8話 「ヤマトVSカガミ(A級)」
倉庫街は静かだった。
静かすぎた。
夜の闇の中、立ち並ぶ鉄骨の影が地面に複雑な模様を作っている。
風もない。虫の声もない。人の気配も――
(いや。いる)
ヤマトは倉庫の陰に背をつけ、息を殺した。
律式の乱れが、空気の中に滲んでいる。
微細な歪み。通常の律の流れとは違う、不自然な「よれ」が、倉庫の奥から漂ってきていた。
依頼書には一行だけ書かれていた。
「対象の行動は、何度も繰り返される」
その意味を、ヤマトはまだ掴めていなかった。
倉庫の扉が、唐突に開いた。
顔の下半分を布で覆った男が飛び出してくる。
周囲を確認する間もなく、律式に介入し――圧縮した衝撃波がヤマトの潜む影に向けて放たれた。
ドォン。
ヤマトは咄嗟に転がり、衝撃を回避した。
頬に熱い風が過ぎる。
(速い。そして――迷いがない)
奇妙だった。男はヤマトの位置を確認していない。
なのに攻撃の角度が、ほぼ正確だった。
男はそのまま跳躍し、正面の窓を破って逃走する。
ヤマトは追わなかった。
動けなかったのではない。何かが、引っかかっていた。
(……なぜ確認しなかった。A級の異能者が、標的の位置を確認せずに攻撃する?)
律式の乱れが、また滲んだ。
今度は少し、強く。
扉が、また開いた。
同じ男が、同じように飛び出してくる。
ヤマトは目を見開いた。
さっきと――全く同じだ。
動き、角度、タイミング。まるで同じ映像を二度見ているような既視感。
だが男の目には、迷いではなく、わずかな苛立ちが混じっていた。
(繰り返している。失敗を――やり直している)
全てが繋がった。
「何度も繰り返される行動」というのは、依頼主の錯覚ではない。
この男は文字通り、同じ時間を何度もやり直しているのだ。
失敗するたびに時間を巻き戻し、より精度を上げて再試行する。
――《時間遡行》――。
これがカガミの力だ。
(だとすれば、今俺が見ているのは――何度目の試行だ?)
男が放った衝撃波が、今度はわずかに軌道を変えていた。
ヤマトは紙一重で躱した。さっきより精度が上がっている。
(まずい。やり直すたびに、こちらの回避パターンも「経験値」として蓄積されていく)
三度目。
今度こそ、ヤマトは完全に読んでいた。
多重演算が走る。
男の重心。律式の流れの歪み。攻撃の軌道。
(来る――この角度、この速度。回避率98%。完璧だ)
ヤマトは動いた。計算通りの経路で。
その瞬間――
衝撃波が、予測とは全く違う軌道を描いた。
「――っ!?」
回避が間に合わない。
ヤマトは咄嗟に腕で顔を庇った。
衝撃が腕を叩き、吹き飛ばされた。
倉庫の壁に背中から激突する。
息が詰まった。
「……やっと当たったか」
カガミが静かに言った。
距離を取りながら、口元に薄い笑みを浮かべている。
「三度目でようやくだ。お前、なかなかよく動く。だが――」
男は首を振った。
「俺の能力を理解したと思ったろう? 残念だが、お前が読んでいたのは――俺が"読ませた"パターンだ」
ヤマトは壁に背をついたまま、言葉を失った。
(読ませた――?)
「俺は三度やり直した。一度目と二度目は、お前に『俺はこう動く』と学習させるための試行だ。三度目で本命を出す。それがいつもの手順だ」
カガミは律式に干渉し始めた。
足元の時間軸が歪んでいく。
「お前の演算は速い。だが速さだけでは、俺には勝てない。俺は――お前の演算そのものを、データとして使う」
(やられた)
ヤマトは痛む腕を押さえながら、頭を回した。
壁に追い詰められている。カガミとの距離は十メートル。
律式が足元を歪め始めている。
逃げれば捕まる。戦えば読まれている。
(詰んでいる。計算上は――)
その瞬間、ノイズのような何かが脳裏を走った。
前世の記憶の底から、引き出されてきた何かが。
ゲームの話だった。
前世で何度も繰り返した、パターン学習型のボスを攻略する記憶。
攻略法は単純だった。
「パターンを学習する敵には――パターンを壊せばいい」
声に出した。
カガミの目が細くなった。
「何を言っている」
「お前の能力は、俺の行動を経験値として蓄積する」とヤマトは言った。
「つまり――俺が今まで一度もしていない行動は、お前のデータにない」
(問題は――それが何か、だ)
ヤマトは脳内の記憶を高速で掘り下げた。
カガミの能力が律式の時間軸に干渉できる範囲。
その限界はどこか。
三度の試行を通じて観測した律式の歪みの強度から逆算すれば――
(半径、およそ十二メートル。それがこいつの干渉できる限界だ)
カガミとの距離は今、十メートル。
限界の内側にいる。ここで何をしても読まれる。逃げても読まれる。
だから――
「お前は俺が逃げると思っている」とヤマトは言った。
「違うのか」
「違う」
ヤマトは――前に出た。
カガミに向かって、走った。
カガミの目が、一瞬だけ止まった。
(そうだ。お前のデータに、俺が突っ込んでくるパターンはない。一度も――やったことがないから)
《未来座標》が走る。視界が数値で埋まる。
頭が割れるように痛い。
だが止まれない。
カガミが律式を再構成しようとする。
間に合わない。距離が詰まっている。
十メートル。八メートル。六メートル――
ヤマトはカガミの干渉範囲の内側で、律式を放った。
攻撃ではない。
カガミの背後――干渉範囲の境界線上にある鉄骨に向けて。
律式が鉄骨を叩く。
鉄骨が崩れ、カガミの背後を塞ぐ。
逃走経路が、消えた。
「――っ!?」
カガミが時間を巻き戻しようとした。
だが律式が干渉できる範囲の外側で何かが崩れたとき、その崩壊は――やり直せない。
「律は痕跡を残す」とヤマトは言った。
息が切れていた。頭が熱い。
「お前が干渉できない場所で起きたことは、お前には戻せない。それだけだ」
カガミの足が、止まった。
「……なぜだ。なぜ俺の干渉限界を知っている」
「三度の試行で、律の歪みの強度を測った。お前が俺のパターンを学習していたように――俺もお前の限界を計算していた」
沈黙。
「最初から――か」
「最初からじゃない」とヤマトは正直に言った。
「壁に叩きつけられてから、考えた」
カガミは少し、目を細めた。
それから――小さく笑った。
「……負けたな」
ヤマトは捕縛の道具を構えた。
腕が震えていた。頭が割れるように痛かった。全身が、限界を訴えていた。
それでも、手だけは動かした。
カガミを引き渡した後、ヤマトは路地の壁に背をつけて座り込んだ。
夜の空気が、熱くなった頭に染みる。
(完璧じゃなかった。一度、完全にやられた)
壁に叩きつけられた瞬間を思い返した。
計算が外れた瞬間。読んでいたはずが、読まれていた瞬間。
あのとき、正直に言えば――怖かった。
知略で戦うということは、計算が外れたとき、何も残らないということだ。
アイクのように身体が動くわけでもない。本能で戦えるわけでもない。
(でも――逆転できた)
壁際に追い詰められてから、答えを見つけた。
追い詰められたから、見つけられた。
それが少しだけ、誇らしかった。
立ち上がり、南東の方角を見た。
アイクは今頃、山岳地帯にいるはずだ。
「……あいつなら大丈夫だ」
ヤマトは呟いた。疑いなく。迷いなく。
あいつという『理不尽』を隣で見て、その身に感じた者だけが持つ確信。
あいつの前では、全ての試行錯誤は無意味。全ての計算も、対策も、やり直しも――
あの圧倒的な刃の一振りで、すべてが塵に変わる。
だから心配なんて、必要ないのだ。
ヤマトは歩き出した。
頭はまだ痛い。腕もまだ痛い。
だが足は、前に向いていた。




