35話「龍還の影と龍眼」
今回は文字数がいつもの倍程あるので、時間がある時にお読み下さい。
森は、静かすぎた。
鳥の声も、虫の羽音もない。ただ、三人の足音だけが、湿った土の上に沈んでいく。
「……律式異常の気配は、まだ感じない」
レオンハルトが、低く呟いた。
「当然だ」
ヤマトは短く答えた。
「異常なんて、最初からない」
三人は、森の奥へと進んだ。木々の間隔が狭くなり、頭上を覆う枝葉が、次第に陽光を遮っていく。
やがて、開けた場所に出た。
円形に木々が伐採された、不自然な空間。中央には、古い石碑のようなものが一つ、ぽつんと佇んでいる。
「――ここか」
ヤマトが呟いた、その瞬間。
気配が、四方から湧いた。
「囲まれていますね」
ミヅキが、静かに刀の柄に手をかけた。
木々の陰、地面の下、頭上の枝――あらゆる方向から、黒装束の人影が、音もなく姿を現した。数は、十を超えている。全員が、無言のまま、じりじりと輪を狭めてくる。
「……龍還の連中か」
レオンハルトが、低く唸った。
「久しいな、諸君」
その声は、囲みの中央、最も奥の暗がりから聞こえた。
姿は見えない。だが、圧倒的な気配だけが、そこに立っていた。
「――お前、あの夜の」
ヤマトの脳裏に、迷宮の奥で感じた気配が蘇る。あの時、三人を撤退させた、正体不明の存在。
「……名を、聞いておこうか」
ヤマトは、暗がりに向かって静かに問うた。声は震えていたが、瞳には、最後まで情報を諦めない光があった。
「聞いてどうする」
「敵の正体も知らずに戦うのは、性に合わない」
暗がりの奥で、微かに笑ったような気配がした。
「――イスカリオ、とでも呼ぶといい。もっとも、次にお前がその名を思い出す頃には、この森の記憶ごと、消えているかもしれんがな」
「殺しはしない。安心しろ」
声は、静かに続けた。
「お前たちには、生きたまま来てもらう。……皇族の子息は、帝国の内情を知る貴重な客人として。そして、ヤマト、お前は――あの化け物への、これ以上ない交渉材料としてな」
「……アイクに対しての、人質にするつもりか」
「そういうことだ。あいつらに動かれるのは流石に厄介なのでね」
声には、揺るぎない確信があった。
「抵抗するな。傷つけたくはない。もっとも――」
一拍の間。
「抵抗するというなら、それも一興だが」
黒装束の一人が、無言で踏み込んだ。
「ミヅキ!」
「はい!」
ミヅキの刀が閃いた。予備動作のない一撃が、迫る影の得物を弾く。
だが、次から次へと、影が湧いてくる。二人、三人と、同時に間合いを詰めてきた。
ミヅキは体を沈め、最初の一撃を受け流すと同時に、二人目の脇腹へ刃を走らせた。手応え。だが浅い。相手の装束が、想像以上に硬い。
「――この装束、律式の防御が仕込まれている……!」
三人目の刃が、ミヅキの死角から迫った。回避しきれない、そう判断した瞬間、ミヅキの意識が静かに研ぎ澄まされた。
(――流れを、感じる)
(この感覚は……)
夜更け、ひとり繰り返してきた鍛錬。まだ形になりきらず、父にもヤマト様にも見せたことのない、己の中に眠るスキル。
実戦で使うのは、今日が初めてだった。それでも、体は覚えていた――幾度も失敗し、幾度も摑み損ねた「あの感覚」の輪郭を。
全ての動きには、流れがある。人の踏み込み、剣の軌道、力の伝わり方。ミヅキはそれを、体の芯で読み取った。
迫る刃を、ミヅキは真っ向から受けなかった。剣先をわずかに逸らし、相手の勢いをそのまま自分の刃に乗せる。まるで、川の流れが岩に当たって渦を巻くように。
そして、その勢いを、一瞬にして止めた――その瞬間。
刀身に、淡い水色の光が奔った。石を投げ込んだ水面のように、光の波紋が刃から柄、ミヅキの腕へと広がっていく。律式特有の、脈打つような感覚が、はっきりと肌に伝わってきた。
―――《静水奔流》―――
止まった流れが、行き場を失い、内側で爆発する。
ドンッ、という重い衝撃音とともに、相手の得物が、まるで内側から砕けたかのように弾け飛んだ。黒装束の男が、目に見えない何かに殴られたように後方へ吹き飛ぶ。
「……な、今のは」
レオンハルトが、驚いたように目を見開いた。
ヤマトも、同じ現象を目にしていた。だが、驚きの質が、レオンハルトとは違った。
(――あれは)
脳裏に、出処の分からない断片的な知識が浮かんだ。水道管の中を流れる水を、バルブで瞬時に閉じた時に起きる現象。流れていた水の運動エネルギーが、行き場を失い、圧力の急激な変化として管の内側に伝わる。時には、配管そのものを破裂させるほどの衝撃になるという。
(水撃現象。……そうか。ミヅキのスキルは、あの原理と同じだ。もちろんこれだけではないだろうが…)
剣先で相手の攻撃という「流れ」を受け止め、その勢いに乗せた次の瞬間、完全に止める。逃げ場を失った運動エネルギーは、そのまま内側で圧力の波となり、衝撃に変換される。
「……あれは、流れを急に止めた時に起きる現象と、同じ理屈だ」
ヤマトが、低く呟いた。
「勢いは、消えない。堰き止められて、行き場を失うだけだ。それが内側で圧力になって、爆発する」
「……流れを止める? どういうことだ」
レオンハルトが、困惑した様子で聞き返した。この世界に、水道管という概念はない。
「詳しくは、俺にも分からない。……ただ、そういう現象がある、ということだけは知っている」
ミヅキ自身も、自分の手のひらを見つめ、小さく息を呑んでいた。
(……できた。修行では、何度もこの手前で失敗していたのに……)
感覚を掴みかけたその一瞬にも、次の敵が迫る。ミヅキは意識を戦闘へ引き戻し、刀を構え直した。
「レオンハルト、後方を!」
「言われずとも!」
黄金の光が展開され、レオンハルトの周囲を包む聖域が、背後からの攻撃を弾き返した。
だが、聖域の外側から、律式ではなく物理の礫が飛んでくる。硬化した石の欠片が、聖域の隙間を縫うようにしてレオンハルトの頬を掠めた。
「――っ! 律式無効化の対策までしているのか」
龍還は、レオンハルトの絶対防御が「律式」に対して展開されることを、既に知っていた。物理的な礫は、聖域を素通りする。
ヤマトは、静かに状況を見極めていた。
(数が多い。装束も強化されている。……このままじゃ、いずれ体力が尽きる)
三人は、背中を合わせるようにして、円陣を組んだ。
「レオンハルト、聖域は俺とミヅキの直接的な援護にだけ絞ってくれ。物理攻撃はミヅキが凌ぐ、律式の攻撃はお前が防ぐ、役割を分ける」
「承知した」
「ミヅキ、俺が敵の踏み込みの起点を読む。お前はその瞬間に合わせて、最小限の動きで凌いでくれ」
「はい、ヤマト様」
三人の連携は、乱れなかった。だが、包囲は緩まない。むしろ、じわじわと輪が狭まっていく。
一人、また一人と、黒装束が波状に攻撃を繰り返す。疲弊させることそのものが、目的であるかのように。
ヤマトは、敵の動きを注視しながら、脳内で状況を整理し続けていた。
(連携の質が高い。統率された動きだ。……烏合の衆じゃない、訓練された集団だ)
一人一人の実力は、決して突出してはいない。だが、連携の精度が異様に高く、隙を見せた瞬間を的確に突いてくる。ミヅキの一撃を受けた敵が下がると同時に、別の一人が間隙を埋めるように前へ出る。まるで、一つの生き物のようだった。
「レオンハルト、右だ!」
「くっ……!」
レオンハルトの聖域が、右側から迫った律式の刃を受け止めた。だが、衝撃で体勢が崩れる。
「無理をするな、姿勢を保て!」
「言われなくても分かっている!」
怒鳴り返しながらも、レオンハルトは踏みとどまった。皇族としての誇りが、その足を支えていた。
一人、また一人と、黒装束が波状に攻撃を繰り返す。疲弊させることそのものが、目的であるかのように。
「……ヤマト様。このままでは」
ミヅキの声に、初めて焦りが滲んだ。額には、玉のような汗が浮いている。
「分かってる」
ヤマトは、歯を食いしばった。
(策が、足りない。……ここまでの数を、想定していなかった)
知略も、連携も、この物量の前では、時間稼ぎにしかならない。
ミヅキの肩に、浅い傷が走った。防ぎきれなかった一撃が、皮膚を裂いたのだ。
「くっ……!」
「ミヅキ!」
ヤマトが叫んだ瞬間、その隙を突くように、別の黒装束がヤマトへと肉薄した。
反応が、わずかに遅れる。
(――しまった)
だが、その一撃は、届かなかった。
「随分と、粘るものだ」
森の奥、暗がりの向こうから、ゆっくりと歩み出てくる人影があった。
ドランだった。
彼が姿を現した瞬間、黒装束の攻撃の手が、一瞬だけ緩んだ。ヤマトを狙っていた刃は、寸前で止められていた。
「……教頭先生」
ヤマトが、肩で息をしながら、低く呟いた。
「言っておくが、私は手は出さない」
ドランは、静かにその場に立ち、腕を組んだ。その顔には、慇懃な笑みが、これ以上ないほど深く刻まれていた。
「私はただ、見届けに来ただけだ。お前が、この学園から消える、その瞬間をな。……せっかくの見世物だ、良い席から拝見させてもらうとしよう」
「……随分と、余裕だな」
レオンハルトが、聖域を維持したまま、吐き捨てるように言った。息が上がっている。
「お前一人じゃ、俺たちに指一本触れられなかったくせに」
「その通り」
ドランは、悪びれもせずに頷いた。
「だからこそ、力を借りることにした。……恥じることでもあるまい。使えるものは、何でも使う。それだけの話だ」
ドランの視線が、ヤマトへと向いた。
「お前は、規則という盤面で私を出し抜こうとした。……見事だったよ、少年。だが、盤面の外にも、勝負はある」
「……お前、それでも教育者か」
ヤマトが、荒い息の合間に吐き捨てた。
「教育者?」
ドランは、心底愉快そうに笑った。
「その肩書きに、いつまで意味があると思っている。お前の兄が、私から全てを奪ったあの日から――私は、ただの復讐者だ」
黒装束の輪が、さらに狭まる。
ミヅキの肩の傷が、じわじわと血を滲ませていく。レオンハルトの聖域も、連続する攻撃に、僅かに輝きを弱め始めている。
(……これは、まずい)
ヤマトの脳裏に、初めて、明確な焦りが浮かんだ。
(このままじゃ、本当に――)
黒装束の一人が、拘束用の縄のようなものを取り出した。律式で編まれた、無効化と拘束を兼ねた道具らしい。
「――そろそろ、終わりにしようか」
声が、森全体に響いた。
三人の背中に、冷たい汗が伝った。
その時だった。
空気が、変わった。
温度でも、圧力でもない。ただ――遠くから、何かが近づいてくる気配。
最初に気づいたのは、ミヅキだった。
「……何か、来ます」
その声に、誰もが動きを止めた。黒装束たちさえ、一瞬、攻撃の手を緩めた。
遠く、地の底から響くような、重い振動。それが、次第に近づいてくる。
「――リーーーン」
脳幹を揺さぶるような、鐘の音にも似た高周波が、森の奥から響き渡った。
「……何だ、この音は」
レオンハルトが、周囲を見回した。その声には、隠しきれない動揺があった。
「聞いたことのない音だ。……律式でも、スキルの発動音でもない」
「わたくしにも、分かりません。ただとても綺麗でどこか安心します」
ミヅキも、困惑した様子で辺りを窺っている。彼女の耳は、常人より遥かに鋭敏だ。それでも、この音の正体を、まったく掴めなかった。
だが、ヤマトだけは、その場に凍りついたように立ち尽くしていた。
(……この音)
先日グラヴィスとの戦いで、一度だけ聞いた音。
あの日、アイクの瞳が黄金に染まった瞬間に響いた、あの音。
(アイクが――来る。しかも、いきなり全力で)
龍眼の完全な発動。第三階層への、意志による強制接続。
この音は――ヤマトの知る限り、アイクが意志を持って、限界まで出力を引き上げている証だった。
音は、次第に大きくなっていく。まるで、この世界そのものが、震えているかのように。
黒装束たちの間に、明らかな動揺が広がった。
ボスであるイスカリオの姿だけは気づけば既に消えていた。
「な……何だ、あれは」
「気配が、おかしい……!」
彼らは戦闘技術に長けた者たちだった。だからこそ、直感的に理解していた。この音の先にあるものが、自分たちの手に負えるものではないと。
地面が、微かに震え始めた。木々の梢が、風もないのにざわめいている。
鳥たちが、遠くで一斉に飛び立つ羽音が聞こえた。森全体が、まるで一つの意志を持ったかのように、その音源から逃げようとしていた。
「教頭」
ヤマトは、静かにドランを見た。
「今すぐ、この場から離れることを勧める」
「……何を、言っている」
ドランの声に、初めて、動揺が滲んだ。慇懃な笑みが、その顔から消えていく。
ヤマトは、森の奥、音の発生源となっている方角を見つめた。その瞳には、恐怖と、それを上回る何かが混じっていた。
「あれは、この世界の理と繋がる音だ。……そして、あの音を鳴らせる人間は、この世界に一人しかいない」
ドランは、その言葉の意味を理解しようとしたが、できなかった。ただ、本能が警鐘を鳴らしていた。
「な……に……」
ドランの足が、無意識に一歩、後ずさった。
黒装束の一人が、緊張した声で叫んだ。
「――何か、来る!」
その言葉が終わるより早く。
森の奥から、黒い旋風が吹き荒れた。
木々が、まるで紙のようになぎ倒される。太い幹が、根元から引き裂かれ、宙を舞う。土煙が舞い上がり、視界を覆う。
鳥肌が立つほどの圧力が、その場にいる全員の肌を撫でた。
視界が回復するまでの、ほんの一瞬。誰もが、息をするのも忘れて、その場に立ち尽くしていた。
やがて、土煙が晴れていく。
その中心に、一人の影が立っていた。
「――待たせたな」
アイクだった。
その瞳は、黄金に染まり、縦に裂けた瞳孔が、静かに周囲を睥睨していた。全身から立ち昇る陽炎のような気配が、周囲の空気そのものを歪ませている。
黒装束の影たちが、一瞬にして戦意を喪失した。本能が、目の前の存在に対して、抗うことの無意味さを訴えていた。武器を握る手が、震えている者もいた。
「な――」
ドランが、後ずさった。顔から、完全に血の気が引いていた。
「まさか……直接見るのは、これが初めてだが」
その声は、震えを隠せていなかった。
「あの噂は、本当だったのか。……元序列一位、あの怪物みたいに強かったグラヴィスを一蹴したという、化け物。……ヤマトの、兄」
噂として聞いていた話と、目の前の現実との落差が、ドランの理解を拒絶していた。
アイクは、ゆっくりと視線を巡らせ、ヤマトを見た。
「無事か、ヤマト」
「……ああ。だが、なぜ、ここに」
「後で話す」
アイクは短く答えると、周囲を囲む黒装束の影たちを見渡した。その視線が向けられただけで、何人かが膝から崩れ落ちそうになっていた。
「お前ら。俺の兄弟に手を出したこと、後悔させてやる」
その一言だけで、場の空気が凍りついた。
―――《至高の法典》―――
黒装束の影たちは、逃走を試みようとしたが、既に遅かった。
アイクの姿が、掻き消えた。
次の瞬間、悲鳴すら上げる暇なく、影たちが次々と崩れ落ちていく。一人、また一人。剣を抜く暇もなく、視認すらできない速度で、次々と地に伏していく。殺してはいない。だが、完全に戦闘不能に追い込まれていた。
最後に残ったのは、震える足で後ずさる、ドランだけだった。
「……ま、待て。私は、ただの見物人だ。手を出しては――」
言葉が、途中で途切れた。
気づけば、アイクの姿は、既にドランの目の前にあった。
「見物人、か」
アイクの手が、ドランの首元へ、静かに伸びる。かろうじて反応した身体が、後方へ逃げようとした――が、遅かった。
軽く、指先が触れただけだった。それだけで、ドランの膝が、力を失って崩れ落ちる。
「……っ……」
完全な戦闘不能。それでも、命に別状はなかった。殺す価値もない、とでも言うように、アイクの視線は、崩れ落ちたドランから既に外れていた。
わずか数十秒。
森の中央には、アイクと、三人だけが残された。
地面には、黒装束の男たちと、ドランが、力なく横たわっている。誰一人として、致命傷を負った者はいなかった。それでも、その光景は、十分すぎるほどの威圧を放っていた。
ミヅキが、ようやく肩の力を抜き、その場にへたり込んだ。
「……助かった、のですね」
その声には、安堵と、まだ拭いきれない緊張が同居していた。
「ああ」
レオンハルトも、聖域を解除し、大きく息を吐いた。膝に手をつき、荒い呼吸を整える。
「まったく、とんでもない登場の仕方をする」
その声には、皮肉と、隠しきれない安堵が、同時に滲んでいた。
アイクは、倒れ伏す黒装束たちを一瞥した後、ゆっくりとヤマトの元へ歩み寄った。
瞳から、黄金の輝きが、少しずつ引いていく。その様子を、ヤマトは黙って見つめていた。
(……この五年で、あいつは、あそこまで行ったのか)
誇らしさと、割り切れない何かが、ヤマトの胸の中で交錯していた。
「――アイク。カレンの情報が入った」
全ての決着がついた後、アイクは静かに切り出した。
その瞳は、既に黄金の輝きを失っていた。だが、そこに宿る光は、今までヤマトが見たことのないほど、強く、鋭かった。
「……本当か」
ヤマトの声が、震えた。
「旧セリフィア領の、さらに奥。……確証はまだ薄い。だが、可能性は高い」
「俺は今から、そこへ向かう」
「……待て」
ヤマトが、声を上げた。
「確証が薄いなら、なおさら、慎重に動くべきだ。組織を通して、正式な捜索隊を編成して――」
「待てない」
アイクの声は、静かだったが、揺るぎなかった。
「ヤマト。お前の言うことは、正しい。……いつも、正しい」
「なら――」
「だが、正しさが、いつも間に合うとは限らない」
アイクは、ヤマトを真っ直ぐに見た。
「カレンが今、あの日みたいに、一人で震えているかもしれない。……俺は、それを知って、待てるほど、強くない」
「……お前だけの問題じゃない」
ヤマトの声に、初めて、抑えきれない感情が滲んだ。
「確証もないまま単独で動けば、龍還の思う壺かもしれない。カレンを助けるどころか、お前自身が危険に晒される。俺は、それを黙って見ていられない」
「分かってる」
アイクは、頷いた。
「お前の言うことは、全部分かってる。それでも、行く」
「アイク」
「お前は、お前のやり方でいい。世界を、システムを、味方につけて、大きな盤面で戦う。……それが、お前の強さだ」
アイクは、静かに続けた。
「だが、俺は違う。俺は、目の前にいる一人を、今すぐ助けに行く。それが、俺の強さだ」
沈黙が落ちた。
レオンハルトとミヅキは、何も言わず、二人のやり取りを見守っていた。誰も、割って入ることができなかった。それは、双子だけの領域だった。
「……分かってる」
ヤマトは、静かに言った。
「だから、止めようとは言わない」
アイクが、わずかに目を見開いた。予想していた反応と、違ったのだろう。
「一人で行かせるつもりも、ない」
「……お前が、来るのか」
「確証が薄い情報のまま、感情だけで突っ込むのは無謀だ。……だが、お前が行くのを止められないなら、俺がやることは一つしかない」
ヤマトの瞳に、静かな光が宿った。
「せめて、生存確率を上げる。地図も、この五年で集めた情報も、この頭の中に入っている。……お前の剣だけじゃ届かない部分を、俺が埋める」
「……そういうところ、変わらないな」
アイクは、初めて、小さく笑った。それは、五年前、まだ何も背負っていなかった頃の、あの笑顔に少しだけ似ていた。
「昔から、そうだった。お前が先に頭で道を作って、俺がそこを走る。……今度も、それでいい」
「アイク」
「行くぞ。カレンが、待ってる」
二人は、旧セリフィア領の方角――北の空を見据えた。
レオンハルトが、静かに口を開いた。
「……俺たちは、置いていかれる、ということか」
「悪いが、ここからは」
ヤマトは、静かに答えた。
「俺ら双子の――ゼラントスの問題だ」
ミヅキは、何も言わず、小さく頷いた。何かを言おうとして、やめたのが分かった。
ヤマトとアイクは、並んで歩き出した。並んで歩くのは、随分と久しぶりのことだった。
森の上空、朝の光が、静かに差し込み始めていた。
双子の道は、まだ、分かたれてはいなかった。
だが、その先で、確かに分かたれることを、まだ誰も知らない。




