34話「潮時」
三日後、風紀委員会の審査が開かれた。
会議室には、教員数名と、顧問としてドランが着席していた。会長エルフリーデも、記録係として同席している。
「――ヤマト。図書館機密区画への不正な立ち入り、および資料持ち出しの疑いについて、申し開きがあれば聞こう」
ドランの声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。
「立ち入りについては、事実です」
ヤマトは静かに頭を下げた。
「司法生の身分証を用いて、正規の手続きで入室しました。……ですが、資料の持ち出しは、していません」
「では、それを証明できるかね」
ドランが、静かに問い返した。
「――いいえ」
ヤマトは、あっさりと答えた。
「証明する材料は、この場には持ち合わせておりません」
会議室に、微かなざわめきが走った。
「……ほう。随分と潔いな」
ドランの口角が、隠しきれずに上がった。
「証明できぬというのなら、この場は、私の裁量で判断するほかあるまい。……補佐業務への就任は、当面見送りとする。加えて、今後の図書館機密区画への立ち入りを、一律禁止とする」
「異議はありません」
ヤマトは、あっさりと頷いた。
記録係の席で、エルフリーデがペンを止めた。
(……裁量、ね。都合のいい言葉だこと)
だが、それを口に出す立場に、今の彼女はなかった。ただ、静かにその一言を、記録用紙の片隅に書き留めた。
その様子に、ドランはわずかに拍子抜けしたような表情を見せたが、すぐにいつもの慇懃な笑みに戻った。
「物分かりが良くて助かるよ、少年」
審査は、それで終わった。
その日の放課後、ヤマトは帝都の外れ、司法局の討伐拠点へと向かった。
正門で来意を告げると、しばらくして、一人の司法官が現れた。
「――アイク様の弟君、ですか」
フィンは、興味深そうにヤマトを見つめた。
「お会いするのは初めてですね。アイク様から、お噂はかねがね」
「フィンさん、ですね。アイクから聞いています」
ヤマトは丁寧に頭を下げた。
「突然の訪問、失礼します。少し、お時間をいただけますか」
「構いませんよ。……アイク様の弟君となれば、無下にはできません」
フィンは、応接用の簡素な椅子を勧めながら、値踏みするような視線をヤマトに向けた。
「率直に伺いますが、噂に聞くほどの秀才が、わざわざ司法局まで足を運ぶ理由は何でしょう。学園内で済む用件には見えませんね」
「その通りです」
ヤマトは頷いた。
「お願いがあって参りました。……ある記録の写しを、しばらく預かっていただきたいのです」
「記録、ですか」
「学園内の、ある不審な動きに関するものです。ドラン教頭の関与が疑われています」
フィンの表情が、わずかに硬くなった。
「……それは、司法局が扱うべき案件のようにも聞こえますが」
「まだ、確証がありません。ですが、いずれ確証が揃った時、この記録が必要になります。学園の中では、いつ消されてもおかしくない」
ヤマトは、まっすぐにフィンを見た。
「アイクの側にいる方なら、信頼できると思いました」
「……買いかぶりですよ」
フィンは苦笑した。
「私は、ただの補佐官です。アイク様の判断一つで、明日にはこの立場を失うかもしれない。それでも、構いませんか」
「構いません。それでも、俺が今、渡せる場所の中で、一番安全な場所です」
フィンはしばらく黙って、ヤマトの顔を見つめていた。その視線の奥に、何かを測るような色が浮かんでいた。
「……面白いことを仰る。アイク様は、力で道を切り開かれる方だ。だが、貴方は、まるで違う」
「よく言われます」
ヤマトは、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「……アイクは、変わりましたか」
「変わった、とは?」
「最後に会ったのは、序列一位の座を奪ったあの日です。……あれから、直接話す機会もほとんどない」
フィンは、少し考えるように視線を上げた。
「そうですね。……以前より、口数は減りました。無駄な言葉を使わなくなった、というべきでしょうか。それに」
「それに?」
「時折、ひどく静かな目をされることがあります。……何かを、堪えているような」
その言葉に、ヤマトは何も言わなかった。ただ、胸の奥に、小さな棘が刺さったような感覚だけが残った。
「……悪い意味ではありませんよ」
フィンは、小さく笑った。
「双子と伺いましたが、随分と対照的だ。……いいでしょう、お預かりします。ただし」
その声が、少し低くなった。
「この預かり物が、いずれ司法局を巻き込む火種になるようなら、私は私の判断で、上へ報告させていただきます。それでも構いませんか」
「そのようにしていただいて構いません」
ヤマトは、迷いなく答えた。
「いずれ、表沙汰にするつもりでいます。今はまだ、その時ではないというだけです」
フィンは頷き、差し出された封筒を受け取った。
「……分かりました。お預かりします」
だが、その一部始終を、離れた木立の陰から見ている者がいた。
ドランだった。
審査の後、あまりにあっさりと引き下がったヤマトの様子に、違和感を覚えたドランは、生徒監視の権限を使い、密かにヤマトの後をつけていたのだ。
(あの小僧、大人しく引き下がるような玉じゃない。……何か、企んでいる顔をしていた)
果たして、その予感は的中した。
司法局の門をくぐるヤマトの後ろ姿を見送りながら、ドランの中で、苛立ちがゆっくりと固まっていく。
(司法局の人間……。あれはフィンか。)
ドランの喉から、低い呻きが漏れた。証拠そのものが、今すぐドランの命運を左右するほどのものではない。あの記録は、あくまで状況証拠の域を出ない。
だが、問題はそこではなかった。
(この小僧は、規則という盤面で、俺を出し抜こうとしている。……そして、恐らく次も、その次も、同じことを繰り返すつもりだ)
これ以上、この小僧を野放しにすれば、いずれ本当に致命的な証拠を掴まれる。今はまだ間に合う。だが、悠長に構えている余地は、もうない。
(そろそろ、潮時か)
ドランは踵を返し、足早に学園への道を戻った。
その夜、廃教会の地下。
ドランは、影の中の人物に向き合っていた。
「――決めた。あの小僧を、排除する」
「ほう」
影の声には、微かな興味が滲んでいた。
「殺すつもりか」
「そこまでは望んでいない。……あの小僧を殺せば、皇族の子息と、ヒナカミの剣神の娘まで敵に回すことになる。厄介事が増えるだけだ」
ドランは、静かに続けた。
「学園から消えてもらえればいい。危険な任務中の事故、あるいは行方不明。……理由は、後からいくらでも作れる」
「なるほど」
影が、ゆっくりと頷いた気配がした。
「ならば、こちらにも都合が良い。……ドラン、お前の狙いはヤマト・ゼラントスだけだろうが、我々としては、他の二人も同時に手に入れたい」
「他の二人?」
「皇族の子息様は、帝国の内情を探る駒として、そしてジャッジランカー序列一位の弟は、あの化け物への交渉材料として、それぞれ十分な価値がある。殺すより、生かして捕らえる方が、我々にとっては都合がいい」
ドランは、しばらく沈黙した。
(人質、か。……まあ、俺の目的とは矛盾しない)
「――構わない。ただし、俺の目的は、あの小僧をこの学園から消すことだ。お前たちがその後、何をどう使おうと、俺の知ったことではない」
「結構だ」
影の声には、満足そうな響きがあった。
「では、明日、北の森に人員を配置しよう。……お前は、いつも通り、任務という体裁を整えるだけでいい」
ドランは静かに頷いた。
その顔に浮かんでいたのは、もはや慇懃な笑みではなく、何かをやり遂げる直前の、静かな昂りだった。
その夜、第十三雑居房。
ヤマトが戻ると、ドランが一人、扉の前で待っていた。
「……教頭先生。何の御用でしょうか」
ヤマトの声に、警戒が滲んだ。
「なに、大したことじゃない」
ドランは、いつもの慇懃な笑みを浮かべていたが、その奥には、隠しきれない昂りが見え隠れしていた。
「明日、第一班に、緊急の実地任務を命じる。北の森で、律式異常の報告が上がっている。原因究明と、簡易的な対処を頼みたい」
「……随分と急な話ですね」
「急を要する事態だからこそ、急なのだ。……断るというのなら、それも一つの選択肢だが」
ドランは、じっとヤマトを見据えた。
「断れば、それはそれで、また別の『評価』が下ることになるだろうな」
脅しだった。だが、それを断る理由も、ヤマトには見当たらなかった。
「……分かりました。お受けします」
「よろしい」
ドランは満足げに頷き、踵を返した。
その背中を見送りながら、ヤマトは静かに目を細めた。
(……何かがおかしい)
これまでのドランは、手続きと権限を武器に、じわじわとヤマトを追い詰めてきた。だが今回の任務は、あまりに唐突で、あまりに直接的だった。
(審査で退いたから、油断すると思っていたが……様子が違う。あれは、切羽詰まった顔じゃない。……何かを、決めた顔だ)
レオンハルトとミヅキが、部屋の奥からヤマトを見ていた。
「聞こえていたぞ」
レオンハルトが、低く言った。
「罠か」
「かもしれない」
ヤマトは静かに頷いた。
「だが、断る理由もない。……行くしかない」
窓の外、夜の帝都に、封律塔の影が黒々とそびえていた。
その頂で、断律球が、静かに脈打っていた。
翌朝、三人は北校舎の裏手に集合していた。
北の森――帝都の北端に広がる、律式の観測網すらまばらにしか届かない、鬱蒼とした針葉樹の森だ。表向きは薬草採取や実地訓練に使われる場所だが、奥へ進むほど、管理の手が及ばなくなっていくと言われている。
「律式異常、ね」
レオンハルトが、腕を組んで森の入り口を睨んだ。
「聞いたことのない話だ。少なくとも、俺の耳には入ってきていない」
「俺もだ」
ヤマトは静かに頷いた。
「つまり、報告そのものが、この任務のために用意されたものである可能性が高い」
「わたくしたちを、あの森の奥に誘い込むおつもりでしょうか」
ミヅキが、静かに刀の柄に手を添えた。
「かもしれない。……だが、行かない、という選択肢は取れない」
ヤマトは、二人を見た。
「証拠は、既にフィンさんに預けた。……あとは、俺たちが生きて戻ることだけが問題だ」
「随分と、他人事のような言い方だな」
レオンハルトが、鼻を鳴らした。
「他人事のつもりはない。ただ、最悪の事態を想定しておくのは、悪いことじゃない」
ヤマトは、森の奥を見据えた。
「レオンハルト、お前の聖域は、対人だけじゃなく、対集団の防御にも応用できるはずだ。ミヅキ、お前の瞬月は、逃走経路の確保に使える。……役割分担は、昨夜のうちに考えてある」
「ずいぶんと準備がいいこと」
ミヅキが、微かに笑った。
「怖くないんですか、ヤマト様」
ヤマトは一瞬、答えに詰まった。
「……怖さはあるさ。だが、怖さで足が止まるなら、最初から生徒会になんて名乗りを上げていない」
三人は、しばらく無言で森の入り口を見つめていた。
朝靄の向こう、鬱蒼とした木々が、静かに三人を待ち受けていた。
「行こう」
ヤマトが、先陣を切って足を踏み出した。
レオンハルトとミヅキが、その後に続く。
三人の背中を、朝の薄闇が静かに呑み込んでいった。




