31話「生徒会」
翌朝、ヤマトは生徒会室の扉を叩いた。
中央校舎の最上階、他の教室とは明らかに違う重厚な扉。その奥には、静かな緊張感が漂っていた。
「失礼します。一年一組、ヤマト・ゼラントスと申します。生徒会補佐業務への就任を、志願しに参りました」
部屋の中央、書類に目を通していた一人の女性が顔を上げた。
生徒会長、エルフリーデ・ヴァイスハイト。
その所作には、隙がない。
その傍らでは、副会長のガレット・シュタインが書類の束を黙々と整理し、少し離れた席では、書記のリーゼ・ノヴァクが淡々とペンを走らせていた。二人とも顔を上げることなく、それぞれの仕事に集中している。
「……ゼラントス。ああ、噂の」
彼女は静かにペンを置いた。
「入学試験、満点だったそうね。……面白いわね。座りなさい」
促されるまま、ヤマトは向かいの椅子に腰を下ろした。
「規定は知っているわね。一年生の総合成績首位者には、補佐業務への就任資格が与えられる。……貴方の場合、その資格は満たしている」
「はい」
「ただ、形式的な確認が必要になる。推薦状は?」
「本日中に、担当教員より提出いただけるよう、お願いしております」
「結構」
会長は小さく頷いた。話は、拍子抜けするほど順調に進んでいた。
だが、その空気が変わったのは、扉が唐突に開かれた瞬間だった。
「――ちょっと待ってもらおうか!」
ドランだった。
「教頭先生?」
会長が眉を寄せる。
「何の御用でしょう」
「なに、ヤマト・ゼラントスが補佐業務に名乗りを上げたと、耳に入ってきてね。放っておけず、急ぎ足を運んだまでだ」
ドランは、いつもの慇懃な笑みを浮かべながら、部屋の中央へと歩み出た。
「ヤマト・ゼラントス君が、補佐業務への就任を志願している、と。……素晴らしい向上心だ。だが」
ドランは、懐から一枚の古い羊皮紙を取り出した。黄ばみ、端が擦り切れたそれは、明らかに長年、誰の目にも触れてこなかった代物だった。
「養成院設立当初に定められた、原初規約というものがある。……ご存じかな」
会長が、微かに眉をひそめた。
「原初規約?聞いたことがありませんが」
「無理もない。長きにわたり、一度も適用された例がないのだから」
ドランは羊皮紙を、テーブルの上に広げた。
「――第七条。一年次生が生徒会運営に参与する場合、これを推薦する教員は三名以上、かつ教頭職以上の推薦を一名、必要とする」
沈黙が落ちた。
「……なぜ、そのような規則が」
「養成院の草創期、まだ若く未熟な生徒たちが、実力だけを理由に安易に組織の中枢へ入り込むことを危惧した、当時の学園長の配慮だそうだ。……以来、誰もこの条文を使う必要がなかった。なにしろ、一年生でこれほどの成績を残す者など、これまで一人もいなかったのでね」
ヤマトは、羊皮紙の文面を静かに見つめた。
「……教頭先生。恐れながら、理由が今ひとつ判然としません」
「ほう?」
「実力を証明する試験は、既に厳格に行われています。筆記も実技も、不正の入り込む余地がないよう設計されている。……その結果を『安易』と呼ぶのなら、この養成院の入学試験そのものを否定することになりませんか」
ドランの目が、わずかに細まった。
「言葉尻を捉えるものではないよ、少年。過去の学園長の考えを、今の私が完全に代弁できるわけではない。……ただ、条文が存在する以上、私にはそれを遵守する義務がある。それだけのことだ」
理屈は苦しい。だが、ドランはそれを認めようとしなかった。
ドランの視線が、ヤマトへと向いた。
「奇しくも、今年は――君がその『前例』を作ることになった、というわけだ」
その口調には、まるで祝福するかのような、しかし芯の部分に氷のような悪意が滲んでいた。
「……ドラン先生」
ヤマトは静かに口を開いた。
「その推薦、私はどこで得ればよろしいでしょうか」
「もちろん、養成院に籍を置く教員なら誰でも構わない。……ただし」
ドランは、笑みを深めた。
「教頭職以上、というのは、現状この学園において、私と学園長しかいない。学園長は現在、公務で長期出張中でいらっしゃる。行き先は明かされておらず、いつお戻りになるかも、私を含め誰にも分からない。……となると」
「あなたしか、いない」
ヤマトが静かに言葉を継いだ。
「その通り」
ドランは、まるで当然の帰結であるかのように頷いた。
「私が推薦せねば、君は補佐業務に就任できない。……もちろん、私は公正な立場で判断させていただくつもりだ。君が、その資格に相応しい生徒だと、私を納得させることができれば、の話だがね」
部屋の空気が、一段と冷え込んだ。
会長がヤマトを見た。その目には、同情とも、興味ともつかない色が浮かんでいた。
「……ゼラントス。悪いけれど、規則は規則よ。私の一存では、どうにもできない」
「承知しています」
ヤマトは静かに答えた。表情に、動揺は見えなかった。
「では、教頭先生。どうすれば、私はあなたを納得させられますか」
ドランは、じっとヤマトを見つめた。しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと口角を上げた。
「――簡単なことだ。この養成院にとって、君が『必要』だと、私自身に思わせてみせればいい。……もっとも」
ドランは羊皮紙を丁寧に畳みながら、部屋を出る間際、独り言のように付け加えた。
「十年、この学園を見てきた私を納得させるのは、そう容易いことではないがね」
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
会長は、深く息を吐いた。
「……厄介なことになったわね。あの人、貴方のことを最初から気に入らなかったみたいだけれど」
「ええ」
ヤマトは静かに頷いた。
「知っています」
「それでも、続けるの?」
「はい」
ヤマトの声に、迷いはなかった。
「時間をください。必ず、教頭先生を納得させてみせます」
会長は、しばらくヤマトを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……面白い子ね。いいでしょう、期待しておくわ」
その笑みには、どこか遠くを見るような色が混じっていた。
(家柄や後ろ盾もなく、たった一人で頂に立とうとする。……懐かしいわね、その感じ)
エルフリーデ自身、かつて帝国に呑まれた小さな王国の血を引いている。だが、その血筋は、今のこの学園では何の後ろ盾にもならない。彼女がこの椅子に座っているのは、ただ、自分の力でそれを勝ち取ったからだ。
生徒会室を後にしたヤマトを、廊下の陰でレオンハルトとミヅキが待っていた。
「聞いていたぞ、あの茶番」
レオンハルトが、腕を組んだまま吐き捨てた。
「長らく一度も使われなかった条文を、都合よく引っ張り出してくるとはな」
「ああ」
ヤマトは静かに頷いた。
「予想の範囲内だ。ただ、思っていたより早かった。……俺が名乗りを上げると分かった瞬間に、あの条文を用意していたんだろう」
「つまり、最初から見張られていた、と」
「かもしれない」
ミヅキが、心配そうにヤマトを見た。
「ヤマト様。あの教頭が推薦することなど、あるのでしょうか」
「まず、ない」
ヤマトは即答した。
「あの人は、俺を潰すために、この規則を持ち出した。納得させろというのは、建前だ。……本当は、俺が諦めるのを待っている」
「だったら、どうする」
レオンハルトの問いに、ヤマトは足を止め、窓の外――夜明けの帝都を見つめた。
「ドラン教頭を納得させる必要はない」
「は?」
「必要なのは、教頭を納得させることじゃない。……教頭が『拒否できない』状況を作ることだ」
ヤマトの瞳に、静かな光が宿った。
「あの人が持ち出したのは、あくまで『規則』だ。規則である以上、それを覆すのもまた、規則でなければならない。……この学園には、まだ俺たちが読んでいない条文が、山ほど眠っているはずだ」
レオンハルトが、小さく息を吐いた。
「……また、図書館の奥に籠るつもりか」
「ああ」
ヤマトは、初めて微かに口の端を上げた。
「あの人が“法”を武器にするなら、俺も同じ武器で戦う。それだけの話だ」




