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龍痣の少女と断罪の双子― IYK物語 ―  作者: ヤニコチンタール人
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28話「罠」

 迷宮の入口は、地の底へと続く一本の縦穴だった。


 壁面には無数の律式紋が刻まれ、淡い青白い光を放っている。その光が三人の顔を下から照らし、奇妙な影を作り出していた。


「……降りるのか」

 縦穴の底を覗き込むレオンハルトの声には、普段の傲慢さが薄れていた。


「降りる」

 まだ額に汗を残したまま、ヤマトは即座に断言する。

「このまま行く。二人はただ、自然に動いてくれ」


「……自然に、か」

 レオンハルトは小さく鼻を鳴らしたが、それ以上の反論はしなかった。


 ミヅキが縦穴の縁に手をかけ、するりと降り始める。ヒナカミで培われた身体捌きに一切の無駄はない。だが——壁の受容紋へ注ぎ込む律式の量は、慣れないエネルギーの扱いに苦戦しているのか、少し不安定だ。


(ミヅキはヒナカミという律の存在しない地から来た、だからこそ一定量を保つことすら至難の業のはず。対してレオンハルトの出力は高すぎる……俺が間を埋める)


 ヤマトは視界の端で、二人が壁へ流し込む律式の量を絶えず追っていた。先ほどよりは、いくらか楽になっている。一度、束ねる感覚を掴んだからだろう。


 縦穴を降りる間、誰も足を滑らせなかった。

 壁を見るまでもなく、わかる。三人が注ぎ込む量は、今のところ均一に保たれている。


 縦穴を降りると、石造りの通路が続いていた。


 松明の代わりに律式の光源が等間隔に並び、通路全体を薄く照らしている。床は整えられ、壁には細かい紋様が刻まれていた。


 不意に、ヤマトが足を止める。

(……おかしい)


「どうしました、ヤマト様?」

 背後からミヅキが気遣わしげに視線を向けた。


「この通路だが……試験用の施設にしては——きれいすぎる」

 ヤマトの低い声が、石壁に吸い込まれていく。


「きれいすぎる、とは?」

 レオンハルトが胡乱な目で壁を睨んだ。


「天秤のトラップが仕掛けられているなら、律式を受け取るための紋がどこかに刻まれているはずだ。だが——」


 ヤマトは床に視線を落とす。受容紋らしきものも、出力差に反応した形跡も、どこにもない。まるで、ここを行き来することに慣れた者たちが通り続けているかのように、通路全体が自然に磨り減っていた。


「誰かが、定期的にここを使っている」


 静寂が落ちた。


「……つまり、ここは試験用の施設ではない、と」

 レオンハルトの声音が、一段と低く沈む。


「ああ」

 ヤマトは前を向いた。

「ドランが俺たちに渡した情報は、この施設を『試験会場』として偽装したものだったと思う。意図的に——ここに誘い込んだ」


「……あの老狐め」

 レオンハルトが吐き捨てた息に、静かな怒りが滲む。


「引き返しますか」

 ミヅキの問いかけに、ヤマトは緩く首を振った。


「いや。断罪の印がこの先にあるかどうかは別として——ここが何なのかを知る必要がある。情報は武器だ」


 三人は警戒を強め、通路の奥へと進んだ。


 五分ほど歩いたところで、通路が広い空間へと繋がった。


 天井が高く、壁際に木箱や布袋が積み上げられている。中央には長いテーブルと椅子。壁には地図のようなものが貼られていた。


 そして——三人の人間が、そこにいた。


 気づいたのは互いに同時だった。


「——っ!」


 一人がスキルを発動しようとした瞬間、ミヅキが動いた。

 予備動作がない。ただ、気づいた時にはミヅキが相手の正面に立っていた。


 相手の手首を掴み、スキルの発動を封じる。


「動かないでください」

 ミヅキの声は穏やかだったが、その目に迷いは一切ない。


 残りの二人がヤマトとレオンハルトに向かって構えた。


「レオンハルト、前方二人を抑えてくれ。殺さずに」


「……命令するな」

 悪態をつきながらも、レオンハルトは動いた。


 黄金の聖域が展開される。壁のように広がった黄金の光が、二人の律式を完全に受け止めた。


「無駄だ。この私の絶対防御を、その程度の出力で破れると思うな」

 黄金の光越しに、レオンハルトが冷酷に告げる。


 構成員たちの顔に、明らかな動揺が走った。


 その隙にヤマトは部屋全体を素早く観察した。地図。木箱の中身の形状。壁に刻まれた紋様。


(龍に関係する紋様だ。そして——この規模の拠点を、学園の地下に持っている)


 その時、相手の構成員たちが突然動きを止めた。

 示し合わせたように、三人が後退を始める。


「……逃げる気か?」

 レオンハルトが眉を上げる。


「待て」

 ヤマトの頭の中で、致命的な警報が鳴った。


(違う。逃げているのではない。時間を稼いでいる。奥に——何かいる)


「撤退する。今すぐだ」

 ヤマトは短く、だが強い緊迫を孕んだ声で命じた。


「なぜだ、今なら——」


「レオンハルト」

 ヤマトの声が、さらに一段低くなった。

「奥から何かが来る。今の俺たちでは——対処できない」


 その直後だった。


 空気が、変わった。

 温度ではない。圧力でもない。


 ただ——『圧倒的な存在』が、そこにあった。


 迷宮の奥の暗闇から、それは漏れ出してきた。言葉にならない何か。律式でも星幽でもない、もっと根源的な何かが、床を這うように近づいてくる。


「……何だ、これは」

 レオンハルトの横顔から、初めて余裕が消え去った。


「走れ」


 三人は駆け出した。

 来た道を全速力で戻る。ミヅキが先頭、ヤマトが中央、レオンハルトが後方。


 通路の角を曲がった瞬間——


 ドォン!!


 背後からすさまじい衝撃波が来た。

 通路の壁が揺れ、天井から石の破片が落ちてくる。


「ミヅキ!」


 ヤマトの叫びより早く、ミヅキは動いていた。

 振り返りざまに抜刀。流れるような一閃が、落下してくる岩塊を両断する。砕けた石が通路に散らばった。


「レオンハルト!」

 ヤマトの二度目の叫びに、第四皇子が即座に呼応する。黄金の聖域が展開し、三人を包み込んだ。


 二撃目が来た。


 先ほどより遥かに重い。黄金の光が激しく揺れ、レオンハルトの顔が一瞬歪む。


「……くっ」


「もう少しだ、縦穴が見えた!」


 三人が縦穴を駆け上がる。レオンハルトの聖域が辛うじて三撃目を受け止めた。


 地上に出た瞬間、背後の縦穴から異様な気配がふっと消えた。

 まるで——これ以上追う必要がないとでも言うように。


 訓練場の外。夜の冷たい空気が三人を包んだ。


 しばらく、誰も口を開かなかった。

 レオンハルトが膝に手をつき、荒い息を整えている。ミヅキは刀を収め、静かに深呼吸を繰り返していた。


「……断罪の印は」


「なかった。最初から、あんなものはなかったんだと思う」

 レオンハルトの問いに、ヤマトは淡々と事実だけを返す。


 重い沈黙が降りた。


「ドランめ……」

 レオンハルトが吐き捨てた声は、怒りというよりも、ある種の確信に満ちていた。

「ああ。俺たちを——あそこに送り込んだ」


「目的は?」


「今はまだわからない」

 ヤマトは正直に首を振り、縦穴の方向へと視線を巡らせた。

「ただ——あの組織が何者なのか。それを調べる必要がある」


 レオンハルトはしばらく黙っていた。

 それから、ゆっくりとヤマトに視線を向ける。


「……貴様が警告しなければ」


 言いかけて、止まった。

 代わりに、小さく息を吐く。


「……次は、もう少し早く言え」


 それだけだった。

 だがヤマトには、その言葉の裏にある重さがわかった。


「レオンハルト様」

 ミヅキが小さく微笑んで歩み寄る。

「先ほどは助かりました。あの三撃目、わたくしでは防げませんでした」


 レオンハルトは鼻を鳴らしたが、その表情はわずかに和らいでいた。


 夜の空に、封律塔の頂が白く光っていた。


 その光を見ながら、ヤマトは静かに思考を回す。


(あの組織は——何を目的としている。そして、ドランとの繋がりは)


 問いは増えるばかりだった。

 だが、今夜一つだけ確かなことがある。


 この班の戦いは——まだ、終わっていない。


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