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龍痣の少女と断罪の双子― IYK物語 ―  作者: ヤニコチンタール人
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2話 「目覚めぬ記憶、動き出す意思」

面白いと感じていただけましたら、ぜひ応援をお願いします。

よろしくお願いします。

 夜は、まだ終わらない。


 空は黒く、風は冷たく、燃え落ちた屋敷が煙を吐き続けている。

 ヤマトはアイクの身体を抱えたまま、動けなかった。


 兄の脈はある。呼吸もある。だが目を覚まさない。金色の光はとうに消え、今はただ白い顔だけが夜の闇に浮かんでいた。


「……アイク」

 呼びかけても、返事はない。


 いつものように静かな顔だった。まるで遠くを見ているような、誰もいない場所を眺めているような顔。

 ヤマトは震える手で、兄の額をそっと撫でた。


 その瞬間だった。

 脳裏に、赤い数字が灯った。


 ――《記憶メモリ階梯アセンド》――


 何かが、頭の中で動き始めた。

 複数の思考が同時に走り出す。屋敷の炎の燃焼速度。追手が来るまでの時間。

 カレンの舟が流れ着く場所の確率。森の出口までの最短経路。


(カレンを連れたまま逃走した場合の全滅確率――99.8%。川を利用すれば生存確率15%。それ以外の解はない)


 計算は冷徹で、正確で、感情を持たなかった。恐怖で震える手とは正反対に、脳内の処理だけが静かに、確実に動き続ける。


 これがスキルだ――そう理解した瞬間、ヤマトの意識は、予期せぬ場所へと落ちた。

 スキルが記憶を掘り進み、底を突き抜けたのだ。


 白い天井。

 見たことのない灯り。

 自分の手なのに、知らない袖をまとっている。

 窓の外に広がるのは、この世界には存在しない景色だった。空気の匂いまで違う。何もかもが違うのに――


 懐かしかった。

 胸の奥が、痛くなるほど熱くなった。


『ヤマト、今日の数学のテストやばくね?』


 声が聞こえる。知っている声だ。なのに、誰なのかわからない。顔が見えない。名前が出てこない。

 なのに泣きたくなった。理由もわからないまま。


(俺は……ここにいた)


 記憶ではない。記憶よりもっと深い、根っこに近い場所に刻まれた何かが、そう告げていた。この生よりも古い層が、スキルによって掘り起こされた。


 次の瞬間、意識が戻った。

 アイクがまだ腕の中にいる。夜の空気が頬を刺す。カレンの舟は、もう見えない。

 頭の中では、まだ計算が走り続けている。


(俺は……一度死んでいる)

 その確信だけが、静かに落ちてきた。

 前世と呼ぶべきものなのか、ヤマトにはまだわからない。何があったのか、どんな生だったのか、まだ何も見えない。スキルが開いた扉の向こうは、霞の中だ。


 だが今は、それでいい。


(今は動け。考えるのは、後だ)


 ヤマトは立ち上がった。アイクを背負い、夜の山道を歩き始めた。


 山を下りるまで、ヤマトは無言で歩いた。

 足元はぬかるみ、枝が頬を叩き、息は白く夜に溶けた。兄の体温だけが、背中をじわりと温めた。


「死なせない。絶対に」

 自分に言い聞かせるように、呟いた。


 麓にたどり着いたのは夜明け前だった。灯りのついている建物を見つけたとき、ヤマトの足が初めて止まった。膝が笑っている。腕が限界を訴えている。それでも扉を叩いた。


「お願いします……兄を……アイクを助けてください……!」


 扉を開けたのは、白髪を後ろに束ねた老医師だった。皺の深い顔で双子を見て、一瞬だけ間を置き、すぐにアイクを診察室へ運び込んだ。余計なことは何も言わなかった。


「ひどい火傷と裂傷だ。だが、命に別状はない」

 それだけ告げると、処置に戻った。


 ヤマトはその場に崩れ落ちた。膝が、意志を無視して折れた。そのまま、眠りに落ちた。気を失うように、落ちた。


 目が覚めたとき、窓から淡い光が差し込んでいた。

 朝だった。


 壁に貼られた古い地図。棚に並ぶ薬瓶。炉の残り火。

 テーブルの上に、一枚の新聞が置かれていた。誰かが持ってきたのか、もともとそこにあったのか、わからない。

 ヤマトはそれを手に取り、読んだ。

 最初の一行で、指が止まった。

 ________________________________________

 《ゼラントス伯爵家壊滅》

 《龍痣の発現確認――律崩壊の兆候》

 《序列一位グラヴィス・レーン、龍痣持つ者の捕縛に失敗》

 ________________________________________


 失敗、と書いてある。

 カレンは、まだ生きている。

 その事実だけが、今のヤマトを支えていた。


 だが続く文字は冷たかった。帝国は「龍痣を持つ者」を律の破壊者として最高裁定の対象に指定した。賞金額の記載はない。賞金ではなく、抹殺令だからだ。


 ヤマトは新聞を閉じた。

 手が震えていた。怒りなのか恐怖なのか、自分でもわからなかった。


(カレンが律を壊す因子だとしても、それが五歳の少女を殺す理由になるのか)


 記憶の断片が、また揺れた。前世と呼ぶべきその記憶は、まだ霞の向こうにある。だがその中には確かに、この世界にはない何かが混じっている。知識の欠片。別の世界の論理。


 スキルの名は「記憶階梯」。

 記憶を昇る、という意味ならば――まだ見えていない記憶が、上の階にある。


(使いこなせれば。もっと昇れれば)

 そのとき、背後から声がした。


「……坊や」

 老医師が立っていた。手に新聞を持っていた。ヤマトが読んでいたものとは別の、昨日の夕刊だった。

 一面に、ゼラントス家の紋章が刷られていた。


 老医師はそれをテーブルに置き、ヤマトの顔を静かに見た。素性は問わなかった。問う必要もなかった。


「兄はまだ眠っている。目が覚めるのに時間はかかる」

 間を置いて、続けた。


「ここにいられるのは、今日までだ」

 親切でも冷酷でもない声だった。ただ事実だけを告げる声。


 ヤマトは頷いた。

「わかっています」


 老医師は踵を返した。廊下に消える前に一言だけ言った。

「飯は食べておけ。動くなら、腹がいる」

 その言葉だけが、この朝でいちばん温かかった。


 昼近くなって、アイクが目を覚ました。

 最初は気配だった。呼吸が変わった。次に指が動いた。ヤマトはベッドの傍らで顔を上げた。

 淡青の瞳が、ゆっくりと開く。

 何も言わなかった。しばらく、天井を見ていた。


 ヤマトも何も言えなかった。言葉が、どこかに引っかかったまま出てこない。

 アイクが静かに口を開いた。


「……カレンは」


「逃がした。川に流した。今ごろ遠くにいる」

 また沈黙。


「……父上と、母上は」

 ヤマトは答えなかった。


 答える必要は、なかった。

 アイクは目を閉じた。それだけだった。泣かなかった。叫ばなかった。ただ、目を閉じた。長い沈黙が落ちた。炉の残り火が、かすかに爆ぜた。


 ヤマトはその横顔を見つめながら、昨夜の炎を思い出した。母の最後の声を。父が壁に叩きつけられる音を。グラヴィスの背中が夜に溶けていくのを。


「……アイク」


「何だ」


「俺、決めたことがある」

 アイクは目を開けなかった。だが聞いている。


「俺は知恵で戦う。スキルがまだ全部わかるわけじゃないけど、計算して、考えて、敵の先を読む。それが俺にできることだ」


「……そうか」


「アイクは守る力を持てばいい。俺が道を示す。アイクが守る。それで――カレンを取り戻す」

 長い沈黙。


 アイクの瞳が、ゆっくりと開いた。天井を見ている。

「……俺たちは、弱かった」


「弱かった」


「あの男には、敵わなかった」


「敵わなかった」

 ヤマトは繰り返した。否定しなかった。


「でも」

 アイクが初めて、ヤマトを見た。


「次は違う」

 その言葉が、静かに部屋に落ちた。


 ヤマトは頷いた。

「ああ。次は違う」


 窓から差し込む光が、二人の影を長く伸ばしていた。

 世界はすでに動いている。帝国は動いている。龍の痣を追う者たちが、今この瞬間にも動いている。

 だが今この部屋では、十歳の双子が静かに、確認をしていた。

 誓いとも宣言とも呼べない、もっと静かな何かだった。


 俺たちは行く。カレンのいる場所へ。世界が何を言おうと。法が何を裁こうと。

 それだけが、この朝に残った全てだった。

 ヤマトは窓の外を見た。空は高く、雲が流れている。

 《記憶メモリ階梯アセンド》の、一段目に立っている。


 上を見上げれば、霞の中に続く階段がある。まだ何も見えない。だがいつか昇り切ったとき、あの「別の生」の全てが見えるのだろう。


(それが何であれ、今は関係ない)

 今必要なのは、前だけだ。


 ヤマトは立ち上がり、アイクに手を差し伸べた。

「行こう」

 アイクはその手を掴み、ゆっくりと起き上がった。


 旅は、ここから始まる。

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