12話 「いざヒナカミへ」
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帝都に戻った翌朝、掲示板に人が群がっていた。
ヤマトは人垣の端からそれを見た。
一枚の手配書。見慣れた形式。だが――
文字を読んだ瞬間、足が止まった。
《カレン・ゼラントス――危険度:S級》
「アイク」
声が、かすれた。
アイクが隣に来て、手配書を見た。
何も言わなかった。
S級。帝国が定める脅威度の最高位。
通常は大陸規模の破壊力を持つ異能者に与えられる格付けだ。
だがこの手配書に書かれているのは、強さではなかった。
《世界の法則を根本から崩壊させる可能性》
それだけだった。
五歳の少女に対して、帝国はそれだけを理由に最高位の断罪を下した。
「……まだ力を発現すらしていない子供だぞ」
アイクの声は静かだった。静かすぎた。
怒鳴らなかった。それがかえって、重かった。
「強さじゃない。危険度だけで裁く――それが、この国の法だ」
拳が、震えていた。
ヤマトは手配書から視線を外した。
頭の中で冷静に計算する。感情は後だ。
「現段階で公的な情報が流れていないということは、まだ確保されていない。仮定の通り龍を信仰する集団に匿われていれば、帝国側に突き出されることはない。それが唯一の救いだ」
「だが」とアイクは言った。
「S級だと出た。これで大陸中の賞金稼ぎが本格的に動くことになる」
「ああ。だからこそ――急ぐ」
資金が足りなかった。
カガミとガンザイの報酬では、ヒナカミへの非正規渡航費と現地での長期滞在費には遥かに及ばない。
正規の船は全て帝国の監視下にあり、一般人では乗船できない。
ヤマトは即座に計算した。
必要な資金。調達可能な方法。時間的余裕。
「複数のバウンティを同時に片付ける」とヤマトは言った。
「一つの任務では足りない。だが三つか四つなら」
「わかった」
アイクは即座にバウンティ・ハンター登録所へ向かった。
掲示板から四枚を引き抜いた。
《ギル・ロウ(B級)――帝都の律を悪用し、貴族を強請る窃盗団リーダー。報酬:金貨300枚》
《マルス・ガイド(B級)――帝都北部で密輸品を捌く商人。報酬:金貨250枚》
《ドノバン(C級)――律式詐欺師。多くの市民から金銭を巻き上げている。報酬:金貨180枚》
《リア・シウ(C級)――傷害罪で逃亡中の元兵士。山賊と化している。報酬:金貨150枚》
合計880枚。非正規渡航の相場は500~700枚。現地での準備費を考えても充分足りる。
一晩で全てのアジトを突き止めた。
――
ギル・ロウのアジトへ。
多重の律式障壁が展開していた。幾層にも重なった防御の壁。
通常の攻撃なら、一枚ずつ削っていくしかない。
「馬鹿め。俺の障壁を破れる剛剣など――」
アイクは踏み込んだ。
障壁が発動するより早かった。
剣閃が走った瞬間――律式の波が、根元から消えた。
破壊ではない。障壁を構成する律の結合そのものが、アイクの星幽容量によって無へと還された。
――《星幽零式》――
律式が「なかったこと」になる。
防御も、攻撃も、スキルも――律の上に成り立っているものは、全て無効化される。
ギル・ロウは、自分の障壁が消えた理由を、最後まで理解できなかった。
――
マルス・ガイドは逃げ足が速かった。
だがアイクは追撃を最小限に抑え、相手を追い詰めるのではなく「誘導」した。
城門に向かう方向に。
シアリーの支部の前で相手が止まった瞬間、自ら投降するように身を低くした。
アイクが後ろから到達した時点で「引き渡し」という形が成立した。
――
ドノバンはより簡単だった。
詐欺師は戦闘慣れしていない。恐怖で逃げ場を失い、すぐに拘束できた。
――
リア・シウとの山での戦闘は最も時間がかかった。
だがアイクは出力を制御した。「速く終わらせる」必要があったが、同時に「ヒナカミでの戦い」を想定した戦闘を心がけた。
律式なしで戦う。星幽容量を意識から切り離す。
純粋な筋力、呼吸、剣筋だけで戦う。
その鍛錬こそが、ヒナカミでの最大の武器になるはずだから。
四つの報酬は、規定の時間内に回収された。
――
一方、ヤマトは動いていた。
非正規渡航を手配するには、帝都の「裏側」を知る必要がある。
正規の港湾施設ではなく、旧港。人目につかない場所。
ヤマトは情報網を張った。
依頼人との関係者、市場の噂、盗賊ギルドの掲示板――。
複数の情報源から、「誰が船を持っているのか」を特定した。
一人の船長にたどり着くまで、丸一日かかった。
「船長・グレイ。帝都旧港で三十年。正規ルートとの仲は最悪。非正規の密航を専門としている」
ヤマトは夜間に旧港へ向かった。
帝都全域の監視パターンを事前に解析し、最も巡回が薄い時間帯を選んで。
古びた貨物船が停泊していた。
船体には錆の筋が走り、帆は継ぎ接ぎだらけだ。
「グレイ船長か」
甲板に現れた老人は、目だけで相手を測った。
何も言わなかった。
「ヒナカミへの渡航を願う。報酬は金貨600枚」
相手はまだ何も言わない。
「追跡される可能性がある。シアリーの直轄部隊が関心を持つかもしれない」
老人は少し考えてから、一言だけ言った。
「倍出せ」
「1200枚か」
「そうだ」
ヤマトは計算した。手持ち資金から、現地での最小限の費用を差し引く。
足りるか。足りるギリギリだ。
「わかった。三日後の夜。月が雲に隠れた時間帯にここへ来い。目立たずに乗船しろ。航海中は船倉の中だ。陸地に着くまで出るな」
「了解」
ヤマトは旧港を離れた。
頭は既に、海上でのシアリー追跡への対抗策を計算し始めていた。
――
出港前日。
アイクは最後の準備として、素振りを続けていた。
ゼラントス家で叩き込まれた、律に頼らない剣。
父が何も説明しなかった訓練が、ここへ来て初めて意味を持つ。
水を汲むのも、火を熾すのも、剣を振るうのも――。
全て自分の力だけで。律式は「甘え」だと、父は言っていた。
(父上は……知っていたのか)
その問いが、浮かんで消えた。答えはもう聞けない。
だが――この剣が、父から受け継いだものだということだけは、わかった。
剣を振るいながら、アイクは静かに思った。
(ゼラントス家の訓練は、最初からヒナカミを見据えていたわけじゃない。だが結果として――あの訓練が、律のない場所でも戦える土台を作っていた)
父の意図がどこにあったのかは、もうわからない。
ただ――受け継いだものを、使い切るだけだ。
――
出港は、月が雲に隠れた夜だった。
帝都の旧港。人気のない波止場。
ヤマトは事前に解析した巡回パターンを頭に入れ、影から影へと移動した。
アイクも同じく、別ルートから接近した。
「あれだ」
ヤマトが示した先に、古びた貨物船が停泊していた。
船体には錆の筋が走り、帆は継ぎ接ぎだらけだった。
船長グレイは乗客の様子を見もしなかった。
金さえ払えば、何も聞かない。それが商売だ。
二人が乗り込んでから、間もなく船が動き出した。
アイクは甲板から、帝都の灯りを見た。
「これで戻れないな」
「戻る必要はない」とヤマトは答えた。「進むだけだ」
船が動き出した。帝都の灯りが、少しずつ小さくなっていく。
封律塔の頂の断律球が、夜の闇の中で白く光っていた。
カレンのいる森は、あの灯りの向こうにある。
遠ざかるたびに、胸が締め付けられた。だが――前を向いた。
――
問題は、律が安定した海域を抜けてすぐに起きた。
船体が、突然止まった。
穏やかな海のはずだった。風もある。波もない。
なのに船が――動かない。
「取り締まりだ」
船長が初めて口を開いた。顔色が変わっている。
「律式で航路を封鎖された。こんな手を使えるのは――《シアリー》の直轄部隊だ」
ヤマトは即座に甲板へ出た。
夜の海に目を凝らす。遠くに巡視船の灯りが見えた。こちらへ向かっている。
「どのくらいで追いつかれる」
「このまま止まっていれば――十分もない」
ヤマトは目を閉じた。
《記憶階梯》が走り始める。
通常の思考は一本の道だ。一つのことを考え、次へ移る。
だがヤマトの意識は違う。記憶の層が分離する。
過去の知識、今の観測、未来の可能性――。
それらが別々の思考として、同時に走り続ける。
船を止めている律式の構造が、数値として見えてくる。
どこから干渉しているか。核はどこか。どう崩せばいいか。
だが――
「……複雑だ」
声が、かすれた。
通常の律式封鎖とは構造が違う。
複数の術式が絡み合い、一つを崩せば別が補完する構造になっている。
核が一つではない。三つ。おそらく四つか五つ。
ヤマトの脳が、限界近くまで回転し始める。
「ヤマト」
アイクが来た。
「何が必要だ」
「……時間だ。核の位置を特定するのに、あと二分はかかる。だが巡視船が――」
「俺が止める」
アイクは甲板の縁に立ち、海の方を見た。
巡視船の灯りが近づいている。
「術者がいるはずだ。的を絞れるか」
「……巡視船の、船首付近。律式の発信源はそこだ」
「充分だ」
アイクは剣を抜いた。
律式もスキルも使わない。ゼラントス家で叩き込まれた、純粋な剣だ。
だが星幽容量だけは解放した。刀身に青白い光が収束していく。
夜の海に向かって、静かに構える。
ヤマトは演算を続けた。頭が熱い。
複数の思考が限界まで走っている。
記憶の層を掘り下げるたびに、頭の奥が鋭く痛む。
前世の建築学。帝国の律式理論。複数式の相互作用メカニズム。
全てを同時に走らせながら、五つの核の位置を逆算する。
「核を一つ特定――二つ目を――」
アイクの剣から、光が走った。
《裂空》。
空間を断つ一閃が、夜の海を渡った。
距離はある。だが刃は――巡視船の船首付近で、律式の流れを断ち切った。
船体の揺れが、わずかに変わった。
「封鎖の一部が――崩れた」とヤマトが言った。「もう一度。その次の角度で――」
アイクの剣閃が、再び走った。
演算が、限界を超え始めていた。
複数の思考が走り続けることで、頭の中で何かが焼き切れるような熱が広がっている。
前世の記憶から引き出せる知識が、ノイズのように混ざり始めた。
鼻の奥に、血の味がする。
(止まるな。まだだ)
三つ目、四つ目の核の位置を特定した。
アイクの三度目の剣閃が、巡視船の別の部分の律式を断ち切った。
「五つ目は――」
ヤマトの思考が、一瞬だけ散乱した。
記憶の層が重なり始める。前世の知識と現在の情報が混濁し、どちらが現実か曖昧になり始める。
「ヤマト!」
アイクの声が、どこか遠く聞こえた。
だが意識は逃げない。
五つ目の核を特定した。そして――対抗術式を構築した。
ヤマトはそれを船体の律の流れに直接適用した。
複数の術式が互いに打ち消し合い始める。
ガン、と鈍い音がした。
船が、動き出した。
ヤマトはその場に膝をついた。頭を押さえる。
鼻の奥に、血の味がした。
「ヤマト」
「……大丈夫だ」
大丈夫ではなかった。だが動けた。それで充分だった。
アイクが隣に来て、ヤマトの肩に手を置いた。
何も言わなかった。ただ、そこにいた。
船は加速した。巡視船の灯りが、後方に遠ざかっていく。
夜が明けた頃、律が不安定になる海域に入った。
体感でわかった。空気が変わった。
星幽容量の感覚が、靄がかかったように鈍くなる。
スキルの手応えが、薄くなっていく。
アイクは剣を握った。
律なしで握る剣の重さは――知っている。
ゼラントス家の訓練で、散々握ってきた重さだ。
だがその重さが、今は少し違う意味を持っていた。
「アイク」
ヤマトが、まだ頭を押さえながら言った。
「ヒナカミに着いたら――大陸の常識が通じない場所に入る。律式もスキルも使えない。だが」
少し間を置いた。
「父上の訓練は、最初からそれを前提にしていたのかもしれないな」
アイクは少し考えてから、頷いた。
「そうかもしれない。あの人は何も説明しなかったけどな」
「説明しない人だったな」
「ああ」
二人は少しだけ、黙った。
父の顔が、浮かんで消えた。
「でも――受け継いだものは、ちゃんとある」とアイクは言った。
「それを使い切るだけだ」
ヤマトは何も言わなかった。
ただ、頷いた。
船は東へ進んでいく。
律の薄い海域を、律のない島へ向かって。
父から受け継いだ剣が、ここから先の土台になる。
二人の旅は、まだ始まったばかりだった。
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