存在しない死体
イベント終了後。
会場の熱気だけが、まだ残っていた。
観客たちは笑顔で帰っていく。
「黒崎さん最高だった」
「やっぱ声変わらないよね」
「生で聞けて泣きそうだった」
西條は、その声を聞きながら歩いていた。
胸の奥が、妙に冷えている。
「……生で、ね」
小さく呟く。
東は隣を歩いたまま言う。
「感情論に流されるな」
「分かってるよ」
西條は苦笑する。
「でも、逆に怖いだろ」
「何がだ」
「みんな、本物だと思ってる」
東は答えない。
それが一番恐ろしかった。
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署へ戻る。
深夜。
人は少ない。
西條は机へ座るなり、黒崎恒一の記事を開き始めた。
「……あった」
古いインタビュー。
十年以上前。
『ナナハン限定・メガクラシックバーガーが好き』
西條は、目を細める。
「ほらな……」
あの時。
控室の“黒崎恒一”は答えられなかった。
本物なら。
絶対に忘れない。
それくらい有名な話だった。
「東」
資料を見ていた東が顔を上げる。
「見ろ」
スマホを差し出す。
東は記事を読む。
数秒。
「……一致しないな」
「だろ?」
西條は椅子にもたれる。
「本人じゃない」
その言葉を口にした瞬間。
部屋の空気が変わった。
軽い推測ではなくなる。
現実味を持ち始める。
「だが」
東が静かに言う。
「それだけでは不十分だ」
「分かってる」
西條は頭を掻く。
「全部、違和感だけだ」
「証拠にならない」
東は頷く。
「必要なのは事実だ」
静かな声。
西條は天井を見る。
「……じゃあさ」
「何だ」
「黒崎恒一、今どこに住んでる?」
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資料確認。
登録住所。
高級マンション。
都内。
西條は眉を寄せる。
「……近いな」
「移動する」
東が立ち上がる。
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深夜のマンションは静かだった。
警備員が眠そうな顔で対応する。
「黒崎恒一さんですか?」
「最近、お見かけになりました?」
東が聞く。
警備員は少し考える。
「……最近は、あまり」
「どれくらい」
「半年、くらいですかね」
西條と東の視線が合う。
「荷物の出入りは?」
「奥様が」
西條の表情が変わる。
「奥さんいるんだ」
「ええ」
警備員は自然に答える。
「とても上品な方ですよ」
西條の脳裏に。
ナナハンの女性が浮かぶ。
窓際。
静かな姿勢。
止まる動き。
「……名前は?」
警備員は答える。
「黒崎美沙子さんです」
西條の喉が小さく動いた。
確定だった。
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エレベーター。
静かな上昇音。
西條は壁にもたれている。
「……あの人か」
「可能性は高い」
東は短く言う。
「毎日ナナハン行ってた理由」
「黒崎恒一の声だ」
西條は息を吐く。
「聞きに行ってたのか」
東は答えない。
だが。
否定しなかった。
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部屋の前。
インターホン。
西條が押す。
沈黙。
数秒後。
小さな声。
「……はい」
あの女性だった。
「警察です」
西條が言う。
「少し、お話を」
沈黙。
長い。
そして。
鍵が開く音。
扉がゆっくり開いた。
黒崎美沙子。
ナナハンで見た時と同じ。
静かな表情。
疲れた目。
「夜分にすみません」
東が言う。
美沙子は小さく頷く。
「……どうぞ」
部屋へ入る。
静かだった。
異常なくらい。
生活音がない。
西條は、ゆっくり周囲を見る。
整理された室内。
綺麗すぎる空間。
そして。
リビングの奥。
閉じられた扉。
その向こうから。
微かに。
声が聞こえた。
『問題ありません』
西條の全身が止まる。
東の視線も動く。
まただ。
同じ声。
同じ温度。
同じ言葉。
美沙子は静かに言った。
「……まだ、仕事中なんです」
西條は、ゆっくり扉を見る。
閉じられた部屋。
その向こう。
黒崎恒一がいる。
そのはずだった。
だが。
西條は、なぜか確信していた。
そこには。
もう、“死体”しかない。




