沈黙
空気が、止まった。
西條の言葉が、控室に残っている。
『本当に、生きてるのか?』
三崎の表情から、初めて笑みが消えた。
「西條」
東の声。
低い制止。
だが、西條は視線を逸らさない。
ソファに座る黒崎恒一。
帽子。
マスク。
サングラス。
顔は見えない。
なのに。
“隠している”というより。
“見せられない”ように感じた。
沈黙。
長い。
異常なくらい長い。
そして。
『……面白いことを言いますね』
声が返る。
低く、落ち着いた声。
完璧な声。
だが。
西條は、もう騙されない。
その声には。
体温がなかった。
「質問に答えてください」
西條が言う。
『私は、ここにいます』
まただ。
答えていない。
“いる”。
それだけ。
東が静かに口を開く。
「最近、公の場へ出ていなかった理由は」
『体調管理です』
「診断名は」
一瞬。
ノイズ。
本当に微かな、電子音みたいな乱れ。
西條の目が動く。
『……加齢によるものです』
遅い。
答えが。
選ばれている。
西條は確信に近づいていた。
「黒崎さん」
『はい』
「昔のナナハン限定バーガー、覚えてます?」
三崎が、西條を見る。
鋭く。
初めて感情が乗った視線だった。
だが、西條は止まらない。
「ファンの間で有名だったじゃないですか」
沈黙。
長い。
長すぎる。
東が静かに西條を見る。
その沈黙だけで、十分だった。
普通じゃない。
『……好きでしたよ』
返答。
だが。
西條は、小さく笑った。
「名前は?」
静止。
完全な静止。
部屋の空気そのものが止まったみたいだった。
三崎が一歩前へ出る。
「西條さん」
声が低い。
「本日はその辺りで」
「答えられないんですか?」
西條は視線を逸らさない。
ソファの黒崎恒一。
動かない。
微動だにしない。
呼吸音すら、聞こえない。
東が静かに言う。
「西條」
だが。
西條は止まれなかった。
「黒崎恒一なら」
ゆっくりと言う。
「絶対覚えてるだろ」
ナナハン好き。
昔からの都市伝説。
ファンなら知っている。
限定バーガーの話を、本人が曖昧に返すはずがない。
沈黙。
長い。
異常な沈黙。
そして。
『……記憶違いかもしれません』
西條は、息を止めた。
違う。
今のは。
“黒崎恒一”じゃない。
もっと別の。
何かだった。
「……誰だよ」
小さく呟く。
三崎が前に出る。
「今日は終了です」
笑顔はない。
声だけが整っている。
「黒崎さんもお疲れですので」
東が立ち上がる。
「失礼しました」
西條は動かない。
視線だけが、ソファへ向いている。
黒崎恒一。
いや。
“黒崎恒一の声”。
そこにあるのは、本当に人間なのか。
「西條」
東がもう一度呼ぶ。
西條は、ゆっくり立ち上がった。
---
廊下。
扉が閉まる。
西條は壁にもたれた。
「……おかしい」
小さく呟く。
「何がだ」
東は静かだった。
「全部だよ」
西條は顔を上げる。
「答え方」
「間」
「沈黙」
「全部、“会話”じゃない」
東は黙って聞いている。
「質問に対して、答えを探してる」
「思い出してる感じじゃない」
西條は息を吐く。
「検索してるみたいなんだよ」
東は数秒黙ったあと、静かに言う。
「……AI音声生成モデル」
西條が視線を向ける。
「条件反射的返答は可能」
「だが、未知の質問に弱いケースがある」
「お前」
西條は乾いた笑いを漏らす。
「もう完全にそっち疑ってるだろ」
東は否定しない。
代わりに。
「だが証拠がない」
それだけを言う。
西條は黙る。
正しい。
全部、違和感だけだ。
確証はない。
でも。
もう戻れない。
「……なあ」
「何だ」
「もし、本当にAIだったら」
西條はゆっくり言う。
「黒崎恒一は、どこにいる?」
東は答えない。
静かな廊下。
遠くでイベント開演の拍手が響く。
歓声。
熱狂。
その中心で。
“黒崎恒一”は今も喋っている。
声だけで。
まるで。
死んでも続いているみたいに。




