完成披露
映画完成披露イベント当日。
会場前には、人が溢れていた。
ファン。
報道陣。
関係者。
ざわめきが絶えない。
「すげえな」
西條が周囲を見回す。
「アイドルのライブみたいだ」
「人気声優だ」
東は短く返す。
入口には巨大ポスター。
主演俳優の横。
“特別出演 黒崎恒一”。
その名前だけで、空気が出来上がっていた。
「……本当に来るのか」
西條が呟く。
「確認する」
東は会場スタッフへ警察手帳を見せる。
内部通路へ案内される。
控室エリア。
スタッフが慌ただしく動いている。
「黒崎さんは?」
東が聞く。
女性スタッフが答える。
「別室で待機中です」
「会えますか」
「確認します」
女性はインカムで連絡を取る。
その間。
西條は周囲を見ていた。
壁。
照明。
関係者の表情。
どこか、妙に張り詰めている。
「……変だな」
「何がだ」
東が聞く。
「みんな、“黒崎恒一”を避けてる感じする」
東は返答しない。
だが。
西條と同じ方向を見ていた。
---
数分後。
副社長・三崎が現れる。
「お久しぶりです」
穏やかな笑み。
綺麗な姿勢。
整った声。
西條は、その“整いすぎ”にもう慣れ始めていた。
「本日は?」
三崎が聞く。
「確認です」
東が言う。
「黒崎恒一さん本人に」
三崎の表情は変わらない。
「本番前でして」
「短時間で構いません」
沈黙。
本当に短い沈黙。
だが。
西條には長く感じた。
「……分かりました」
三崎は微笑む。
「ただ、少しだけ」
---
案内されたのは、会場奥の控室だった。
扉の前で、三崎が立ち止まる。
「お疲れのようなので」
穏やかな声。
「刺激しないようお願いします」
西條は眉を寄せる。
東は無言。
三崎がノックする。
「黒崎さん」
数秒。
返事はない。
もう一度。
「黒崎さん?」
静寂。
西條の鼓動が少しだけ速くなる。
その時。
『……はい』
部屋の中から声がした。
低く、落ち着いた声。
聞き慣れた声。
だが。
西條の背筋に寒気が走る。
近い。
近すぎる。
まるで録音みたいだった。
「警察の方が」
三崎が言う。
『どうぞ』
完璧な返答。
三崎が扉を開ける。
部屋の中。
照明は落ちている。
奥のソファ。
そこに、人影があった。
帽子。
マスク。
サングラス。
顔はほとんど見えない。
「黒崎恒一さんです」
三崎が紹介する。
西條は、ゆっくり近づく。
「……どうも」
『お疲れ様です』
声。
間。
抑揚。
全部、いつも通り。
完璧だった。
西條は立ち止まる。
違和感。
強烈な違和感。
目の前にいる。
いるはずなのに。
“存在感”がない。
「体調、大丈夫なんですか」
西條が聞く。
『ええ』
即答。
『問題ありません』
また、その言葉。
西條の喉が小さく動く。
「イベント出るの久しぶりですよね」
『そうですね』
「緊張してます?」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
沈黙が落ちる。
西條は、目を細める。
その間だけ。
“人間”じゃなくなる。
『……少しだけ』
返ってきた声。
完璧。
だが。
遅い。
東も気づいている。
視線がわずかに動く。
西條は、さらに踏み込む。
「ナナハン、今でも好きですか」
三崎の肩が、わずかに揺れた。
西條は見逃さない。
部屋の空気が変わる。
静かに。
確実に。
『……好きですよ』
また。
同じだ。
薄い。
具体性がない。
西條は、黒崎恒一を見る。
帽子の奥。
影になった顔。
微動だにしない身体。
呼吸音が、聞こえない。
「……黒崎さん」
西條が静かに言う。
『はい』
「今、楽しいですか」
沈黙。
長い。
異常なくらい長い。
三崎が口を開きかける。
その瞬間。
『楽しいですよ』
声が返る。
だが。
西條は、確信した。
違う。
これは。
“返答”じゃない。
選ばれた言葉だ。
東が静かに言う。
「西條」
制止。
だが。
もう遅かった。
西條は、ゆっくり呟く。
「……あんた」
部屋の空気が止まる。
黒崎恒一は、動かない。
ただ座っている。
声だけが、そこにある。
西條は、目の前の存在を見つめながら。
静かに言った。
「本当に、生きてるのか?」




