声の所在
「会ってみるか」
西條が言った。
東は資料から目を上げる。
「誰にだ」
「黒崎恒一」
静かな沈黙が落ちる。
東は数秒だけ西條を見たあと、再び視線を戻した。
「会えない可能性が高い」
「だからだよ」
西條は椅子にもたれた。
「ここまで来ると、逆に見たくなる」
「好奇心か」
「確認だ」
東は何も言わない。
西條は続ける。
「いるなら、いるでいい」
「でも、誰も会ってない」
「全部“声”だけだ」
机の上には、通話記録と関係者資料が並んでいる。
その中心にある名前。
黒崎恒一。
存在感はある。
だが。
実体だけが抜け落ちていた。
「事務所側へ打診する」
東が言う。
「お」
「ただし、断られる前提で考えろ」
「まあ、だろうな」
西條は苦笑する。
---
返答は、その日の夕方に来た。
「電話取材なら可能、だそうです」
若い刑事が資料を持ってくる。
西條は顔をしかめる。
「また電話かよ」
東はメモを受け取る。
「日時指定あり」
「随分管理されてんな」
西條は椅子を回した。
「本人、そんな偉い人だったっけ」
「業界では相当な立場らしい」
「まあ、レジェンドだもんな」
西條はスマホで黒崎恒一の記事を開く。
どれも同じような文面だった。
『変わらない声』
『唯一無二』
『今なお第一線』
その言葉が、今は妙に不気味だった。
---
翌日。
指定時間。
取調室ではなく、小会議室が使われた。
録音機材。
スピーカー。
通話接続。
準備だけが整っていく。
「なんか変な感じだな」
西條が呟く。
「事情聴取って感じしねえ」
「形式上は参考確認だ」
東は淡々としている。
時刻になる。
接続音。
小さなノイズ。
そして。
『……はい』
声が響く。
低く、落ち着いた声。
聞き慣れた声。
CMと同じ。
映画と同じ。
ナナハン店内で流れていた声。
西條の動きが、一瞬だけ止まる。
「……黒崎恒一さんですか」
東が確認する。
『はい』
短い返答。
綺麗だった。
綺麗すぎるくらいに。
「警察です。本日はご協力ありがとうございます」
『いえ』
間が正確だった。
言葉が滑らかすぎる。
西條は無意識に、録音機を見ていた。
「被害者とは面識が?」
『あります』
「事件当日の夜、通話されていますね」
『はい』
迷いがない。
揺れもない。
「内容は」
『仕事の確認です』
西條の眉がわずかに動く。
まただ。
“確認”。
“問題ない”。
“いつも通り”。
全部、同じ場所を回っている。
「トラブルはありませんでしたか」
東が聞く。
数秒。
沈黙。
その長さまで、綺麗だった。
『問題ありません』
西條は視線を落とす。
指先がわずかに動く。
東は続ける。
「被害者は契約面で不満を持っていたようですが」
『認識の違いだと思います』
即答。
整っている。
出来すぎている。
「最近はリモート中心と伺っています」
『ええ』
「お身体の問題ですか」
ほんのわずか。
本当にわずかに。
ノイズが入った。
『年齢もありますので』
西條の目が上がる。
三崎と同じ言葉だった。
同じ順番。
同じ温度。
東も、それに気づいている。
だが、表情は変わらない。
「現在も仕事は継続中ですか」
『問題なく進んでおります』
また。
同じだ。
西條は、ゆっくりと息を吐く。
耳の奥に違和感が溜まっていく。
声は自然だった。
自然すぎた。
まるで、“黒崎恒一”という完成形を再生しているみたいに。
「……西條」
東の声で我に返る。
「何かあるか」
西條は数秒黙る。
そして。
「黒崎さん」
『はい』
「ナナハン、好きなんですか」
一瞬。
空気が止まった。
東が視線を向ける。
スピーカーの向こうは無音だった。
長い。
さっきまでと違う。
不自然なくらい長い沈黙。
そして。
『……ええ』
返ってきた声は、同じだった。
低く。
落ち着いていて。
完璧だった。
だが。
西條は、その瞬間だけ。
初めて“ズレ”を聞いた気がした。
ほんのわずか。
説明できない程度の違和感。
それでも。
確かに、そこにあった。
「昔から?」
西條が続ける。
『……そうですね』
また、間。
考えているというより。
探しているような間だった。
「おすすめとかあります?」
東が眉をひそめる。
だが止めない。
スピーカーの向こう。
小さなノイズ。
そして。
『全部、好きですよ』
西條の視線が止まる。
違う。
と思った。
理由は分からない。
でも。
その答えだけは、どこか“人間じゃなかった”。
会議室に静寂が落ちる。
西條は、ゆっくりとスピーカーを見る。
そこにいるはずの人物。
声だけの存在。
触れられない誰か。
西條は、小さく呟いた。
「……あんた、誰なんだよ」
その声は。
誰にも届かなかった。




