存在の所在②
「少し難しい状況です、か」
署へ戻る車の中で、西條が呟いた。
東は運転したまま答えない。
「便利な言い方だよな」
「曖昧な表現ではある」
短い返答。
西條は窓の外を見る。
雨は止んでいた。
濡れた道路に街灯が反射している。
「でも、“会えない”は否定しなかった」
西條は続ける。
「そこだけ妙に引っかかる」
「高齢だ。リモート中心でも不自然ではない」
「理屈はな」
西條はシートに深く座る。
「でもさ」
「何だ」
「黒崎恒一って、“そこにいる感じ”がしないんだよ」
東は視線を前に向けたまま言う。
「感覚論だ」
「分かってる」
西條は苦笑する。
「分かってるけど、なんか薄いんだよな」
沈黙。
エンジン音だけが残る。
---
署へ戻ると、机の上に新しい資料が置かれていた。
「追加の通話記録です」
若い刑事が言う。
東が受け取り、西條も横から覗き込む。
「被害者の?」
「はい。事件当日のものです」
ページをめくる。
名前が並ぶ。
制作会社。
スポンサー。
音響スタッフ。
その中で。
西條の指が止まる。
「……黒崎恒一」
通話履歴。
事件当日の夜。
二十二時十三分。
「本人と話してる」
西條が言う。
「その可能性は高い」
東が答える。
「録音の時間とも近いな」
西條は資料を持ち上げる。
視線が細くなる。
「……でもさ」
「何だ」
「誰も“会ってない”んだよな」
東は黙っている。
西條は続ける。
「全部、電話だけ」
ページをめくる。
「リモート収録」
「音声納品」
「通話確認」
並んでいるのは、全部“声”だけだった。
西條はゆっくり息を吐く。
「本人の目撃情報、ないのか?」
東は資料を見返す。
「最近半年は確認できない」
「半年」
思ったより長い。
西條は眉を寄せる。
「ファンイベントも?」
「中止が多い」
「雑誌とか」
「音声コメントのみ」
西條は黙る。
机の上の資料を見る。
黒崎恒一。
名前は、どこにでもある。
作品。
CM。
広告。
インタビュー。
だが。
“本人”が、どこにもいない。
「……幽霊みたいだな」
西條が小さく言う。
「比喩としては不適切だ」
東は即答する。
だが。
否定しきれていない空気があった。
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西條は、ふとスマホを取り出す。
検索画面。
黒崎恒一。
大量の記事が並ぶ。
『新作映画出演決定』
『黒崎恒一ナレーション担当』
『最新ゲーム出演』
仕事は続いている。
普通に。
当たり前みたいに。
「……多すぎるだろ」
思わず呟く。
「何がだ」
「仕事量」
西條は画面を見せる。
「六十五でこれって、普通にバケモンだぞ」
東は一瞥する。
「人気があるんだろう」
「いや、それだけじゃ説明つかない」
西條はスクロールを続ける。
「映画、CM、ゲーム、ナレーション」
「しかも全部、最近」
違和感が積み上がる。
少しずつ。
確実に。
「……休んでないんだよな」
西條が言う。
「年齢考えたら異常なくらい」
東は資料を閉じる。
「本人の管理能力だろう」
「そうか?」
西條はスマホを見つめたまま言う。
「なんか、“止まってない”感じがするんだよ」
東は答えない。
西條は続ける。
「普通さ、年取ると変わるだろ」
「声とか、仕事量とか」
「でも黒崎恒一って、“変わってない”んだよ」
その言葉を言った瞬間。
頭の奥で、何かが繋がりかける。
変わらない。
同じ声。
同じ温度。
同じ言葉。
西條の視線が止まる。
「……なあ」
「何だ」
「もしさ」
ゆっくりと言う。
「“変わらない”んじゃなくて、“変われない”んだとしたら」
東が初めて、西條を見る。
数秒。
沈黙。
そのあと。
「根拠は」
静かな声だった。
西條は、小さく笑う。
「ない」
本当に、ない。
ただの違和感。
ただの感覚。
それだけだ。
それでも。
消えない。
机の上の通話記録。
そこに書かれた名前を見る。
黒崎恒一。
確かに存在している。
そのはずなのに。
どこにも触れられない。
西條は、ゆっくりと呟いた。
「……あんた、本当にいるのか?」
誰にも届かない声だった。
だが、その言葉だけが。
静かに残った。




