第5話:黒い影、青い炎
魔神城前の混乱から逃げ延びたラグナードは、負傷した右腕の痛みに耐えながら森の奥へと戻っていった。 だが、いつも安全だったはずの森は不気味なほど静まり返り、彼の不安をさらに煽る。 逃げ場を求めて辿り着いた洞窟でラグナードは意識を失う。
目覚めた瞬間、洞窟の奥から“魔物とも魔神とも違う圧倒的な気配”が迫り、死を覚悟しながら必死に這い出した。 外に出た先は、見たこともない赤い空と荒野が広がる異様な世界── ラグナードは、森とはまったく別の場所に迷い込んでいた。
黒い“もや”が揺れていた。 風もないのに、ゆらゆらと形を変えながら漂っている。
ラグナードはただ、それをじっと見つめていた。
気配は……ない。 確かにそこに“何か”がいるのに、魔物のような殺気も、魔神のような圧力も感じない。 遠すぎて正体は見えないが、危険ではない──そう思えた。
弱いがゆえに、気配を感じ取る力だけは鋭い。 だからこそ、黒いもやが“あの洞窟の圧力”とは別物だとすぐに分かった。
呼吸が少しずつ整っていく。
さっきまで涙を流していた魔物とは思えないほど、 口は閉じ、呼吸は安定し、目はしっかりと開いていた。
だが、体はボロボロだった。 右腕はぐしゃぐしゃに折れ、感覚もない。 顔は泥と血で汚れ、左手は裂け、胸や腹にも血が滲んでいるはずだ。
「……まずいな。今の俺、魔物に襲われたらただの餌だ……」
笑えてきた。
繋がりがほしくて、期待して、深淵の森を出た。 その結果がこれか。 俺はいったい何がしたかったんだろう。
ラグナードは、これまでの“出会い”を思い返す。
最初に話しかけたのは、魔界の植物だった。 風に揺れてかわいいやつだと思って近づいたら、ニカッと笑ったように歯をむき出し── 次の瞬間、顔に噛みつかれた。
次は四足歩行の小さな獣。 噛む力は弱いが、足が異常に速くてしつこかった。 仲良くなれると思ったが、あいつは“食べやすいところ”を探していただけだった。
最後は泉の小さな魚。 「お前も大変だな」と声をかけたら、ゆっくり近づいてきて…… 手を伸ばした瞬間、全身を膨らませてトゲを突き立ててきた。
「……懐かしいな」
この世界では、戦う以外の選択肢なんてないのかもしれない。
左手で体を起こそうとする。
「戻らないと……深淵の森に……」
右腕は完全に死んだのだろう。痛みすら感じない。 他の痛みも、今は耐えられる。
そう思った瞬間──
黒いもやが、形を変えながら一瞬で目の前に現れた。
「えっ……」
骨の“顔”があった。
黒いもやと、目の前の骨の顔。 思考が追いつかない。
その生き物は、手に大きな鎌を持っていた。 表情はないはずなのに、笑っているように見える。
「……どうしようというんだ……」
ラグナードは心の中で呟いた。
だが、魔界の生き物のような気配も圧力もない。 敵なのか、何なのか、判断がつかない。
考えていると── 骨の顔の生き物が、不意に左手を上げた。
青い炎が、ふっと灯る。
次の瞬間、炎は円を描きながら回転し、 ラグナードへ向かって投げ放たれた。
動けない。 避けられない。 ただ、攻撃されたのだと本能で理解した。
青い炎が、ラグナードの全身を包む。
「……そうか。俺はここで死ぬのか……」
そう思い、目を閉じた。




