第12話:逃げ場は、なかった
背後の空気が、揺れた。
——来た。
振り向く。
だが、そこには何もいない。
「……っ?」
違和感だけが、残る。
一瞬の、静寂。
その直後——
ガサッ。
横。
「……!」
視線を向ける。
茂みの奥。
赤い目が、一つ。
……違う。
二つ。
三つ。
増える。
(……なんだ……)
喉が、ひきつる。
さらに——
後ろ。
別の気配。
前。
木の上。
上から、何かが動く。
(……囲まれてる……?)
理解が追いつかない。
だが——
鼻を刺す匂い。
血。
自分の血だ。
(……これに……)
気づいた瞬間——
ゾワッ。
全身が、粟立つ。
音が、消える。
代わりに——
気配だけが、増えていく。
一つじゃない。
五つでも、足りない。
もっといる。
(……まずい……)
足が、勝手に動いた。
走る。
ただ、逃げるために。
右へ——
ガサッ!
道を、塞がれる。
細い影。
低い唸り声。
止まる。
左へ——
別の影。
枝の上から、落ちてくる。
(……どっちもダメだ……!)
前へ。
無理やり、突っ込む。
すれ違いざま——
何かが、掠める。
ズキッ。
右腕が、悲鳴を上げる。
「……ぁっ……!」
視界が、歪む。
吐き気が、込み上げる。
それでも——止まれない。
止まったら、終わる。
ガサッ。
ガサッ。
ガサッ。
四方から、音。
近い。
全部、近い。
(……なんでだよ……!)
息が、崩れる。
足が、重い。
さっきまで動いていたはずなのに——
急に、何倍も重くなる。
(……動け……!)
言うことを、聞かない。
視界が、暗くなる。
音が、遠い。
何も、はっきりしない。
それでも——
進む。
一歩。
また一歩。
(……死にたくない……)
それだけで、体を動かす。
そのとき——
暗闇の中に、“穴”が見えた。
(……あれ……)
足が、止まりかける。
本能が、拒絶する。
——入るな。
(……でも……)
後ろ。
気配が、すぐそこまで来ている。
数が、増えている。
逃げ場は——もうない。
(……行くしかない……)
右腕を引きずる。
転ぶ。
顔から、地面に叩きつけられる。
それでも——
這う。
一センチ。
また一センチ。
涙が、止まらない。
(……終わりたくない……)
洞窟の入口が、目の前に迫る。
暗い。
深い。
何も、見えない。
それでも——
振り返らない。
振り返れば、終わる。
そのまま——
洞窟の中へ、身体を滑り込ませた。




