雨
水面が上がれば上がるほど陰は確かになっていった。
なんだかそれが文字のように思えてきたときには、水は腰まで来ていて、とうとう空気穴を埋めてしまったんだ。
おじさんは穴に掛けていた足を抜くと、例のブーツやズボンを急いで脱ぎ始めたんだ。
ブーツは空気を一杯含んでいて水面にひとしきり浮かんだ。
ぼくは殆ど裸になったおじさんが、ぼくの羽織っていた外套まで脱がしにきたとき、正直、いつか経験した恐ろしさを感じてしまったんだ。
でも、窺ったおじさんの目はぜんぜん充血なんてしてなくって、むしろ結構冷静にぼくを見据えていたもんだから、
「今のうちに脱いでおくんだ」
って声に、素直に従えた。
ぼくが大体パンツ一丁になったのを確認すると、おじさんは水を搔き出しながら中央へ進みだした。
あっという間に水位は胸まで上がり、あごまで上がり、とうとう足の着かないところまで上がってきたんだ。
おじさんは上をしきりに気にしていたんだけど、ぼくはくっきりついた影に、意味なんかを見出そうとして、その線は、どうやら、
『本当にほしいものがあるとすれば、それは・・・』
なんて、結構長い文が書かれていて、案外上手く読めたんだ。
でも、最後の部分だけは、おじさんの背中の影に隠されて見えなかった。
ちょっと静かにしていてほしかったんだけど、多分おじさんのいるところは完全に足が付いていないんだって思ったから、ぼくはボーっとそんな線を眺めた。
おじさんはすばらしく泳ぎが上手だったみたいで、中心まではすぐに付いたんだ。
それで、何度か発光体に手を伸ばしたりなんかした。
どんどん水位は上がっていくもんだから、彼の手は伸びるたびにそれに近づいたんだ。
でも、彼はどういうわけか、こっちに戻ってきた。
「何やってる! 死にたいのか」
実は、今更なんだけど、ぼく、いわゆる、カナヅチってやつだったんだな。
別に隠していたわけじゃないんだけど、今回は、空気穴に吸い込まれる水と一緒に足が巻き込まれたのもあったし、まずい場面をおじさんに見せることになった。
「待ってろ」
それで、おじさんが一旦もぐって、穴に挟まっていたぼくの足を引っこ抜いてくれたときだった。
「こっちに来るんだ!」
って振り上げた彼の腕が合図だったみたいに、中央から巨大な水柱が吹き上がった。
ひどい音で、地下室内はミキサーの中みたいに渦巻いた。
ぼくらは必死に壁にしがみついていたんだけど、結局引き剥がされて、対流に呑まれた。
その間もおじさんはぼくを話さないでいてくれた。
巨大な水柱はついに発光体に触った。
でも、なんだかクリーニングしてるみたいに発光体の表面を優しく磨いたくらいのもんだった。
かわりに、周りにあったおじさんのブーツだとか、ぼくらの衣服は怖いくらい見る間に飲み込んでいって、それらが浮いてくることはなかったんだ。




