その時がくる
「チャンスは、一度きり・・・」
おじさんは同じ事を何度も呟きながら、ぼくの手なんか気付かずに、立ち上がり、坂を下り始めた。
「・・・必ず、来る」
実際は、行くとこなんて無いんだから、結局ぼくらは、あの水溜りに行くしかなかったんだな。
「必ず?」
そういうと、おじさんは、水溜りの何処かに目を落とした。
気のせいかな。
心なしか水溜りが粟立っているように見えた。
でも、いつもどおり滞っていて、滞留の類といえば、地震でできた振動の名残くらいのもんだったね。
「ねえ、上を見てごらんよ」
ぼくは不意に水溜りを照らす月明かりを見上げたんだ。
「なんだか、滲んだような月明かりだね」
「・・・五週?」
不意に、おじさんは意味のわからないことを言い出した。
だから
「五週って、何のことだい?」
って聞き返さずにいられなかった。
「おれ達はさっきでちょうど五回、隊商に会った」
おじさんは落としていた視線を勢いよく上げた。
なんだか目玉に生気が戻ったみたいだった。
「そうだ、ちくしょう!」
おじさんがそう叫んだときだった。
また例の地震が起こり始めたんだ。
「ねえ、何か聞こえない?」
ぼくの耳には、低いのか高いのかわからない、極端な音が聞こえているようだった。
月明かりが徐々に赤みを帯び始めた。
決して早くは無かったのだけれど、確実に、白い煙のような明かりが、青み掛かり、透き通っていった。
「走るんだ!」
おじさんがそう叫んだのは、俄かに水溜りが波立ち始めたときだった。
「待って!」
掴まれていた腕も振り解いて、ぼくは水溜りの前に立ち尽くした。
水溜りの濁りが、見る見る引いていき、透明な薄紫色に変化していった。
そして、すぐに振動は収まった。
とっても静かで、透明になった水溜りはゼリーみたいに表面が艶やかだった。
ぼくは、その傷の無い表面を少しでも長持ちさせたかったから、その場に立ち尽くすしかなかったんだ。
そして、息を呑んで、底の無い暗闇に見入っていた。
「来るんだ!」
おじさんが改めてそういったのは、どういうわけか、濁りだけでなく、その水位まで下げ始めた水溜りを見つけたときだった。
水は音も立てずに引いていった。
ぼくは水の無くなったその穴を見て、何故か無性に恐ろしくなって、おじさんと必死で坂を登り始めたんだ。




