その時がくる
らくだ口の隊商との最後の交渉が行われたのは、おじさんの紙幣が無くなった次の時だった。
おじさんは必死に自分の身に着けているものを取って、空気穴に突っ込むんだけど、穴は狭すぎて、向こう側の声をくぐもらせるばかりで、結局、交渉は決裂してしまったんだ。
「対価がないのなら、仕方ありませんねぇ」
らくだ口はせせら笑いながらそういうと、一転確かな声で、
「あんたたちとのご縁も、この場が最後になるでしょう」
だって。
何時だってうっかり落としていった苦瓜のひとつでさえ、その時は落としちゃくれなかったんだ。
「名残がないといえば、嘘になりますが―――」
らくだ口が素っ気無くそういうと、いつもの地震が起こって、その間はみんな上をうかがったりして口を噤んだ。
「…ですが、あんたたちには、正直、本当に、多少の見込みを感じずにはいられませんでしたねぇ」
揺れが収まった途端に隊商はそういい、葉タバコなんかをムシャムシャかみながら、
「ですがねぇ」
なんて、なんか片っ方の眉毛を上げたりしているように意味ありげに呟いた。
「ですが?」
ぼくは呆けてそう声を上げた。
だって、おじさんときたら、
「これで何とかならないか・・・」
情けないかすれた声をあげ、
「これは、見た目より上等なんだ。ここで付いた汚れなんか、洗えばすぐに落ちるだろう。本当だ、これはボスに目利きしてもらった正真正銘なんだ」
なんて、ズボンに通っていたベルトを引き抜くと、空気穴にかざして見せたりして、らくだ口の話なんか、何にも聞いちゃいなかったんだもの。
「結局。結局は・・・ですよねぇ」
そういってらくだ口は早々に踵を返し始めた。
「待ってくれ! 待つんだ! またここにくるんだろ? お前は墓守じゃないか。またここに来て、俺たちの様子を確かめにくるんだろう?」
空気穴にしがみ付いて、額をこすりつけながらおじさんはそう叫んだ。
「まだ交渉は終わっていない。まだ、おれ達は決裂していない。取って置きがあるんだ。聞いてくれよ。なあ、戻ってくるんだ」
なんて早口でまくし立てて、
「これだ、本革製のブーツだよ。ここにきてずいぶん痛んじまったけど、側面に装飾が施されている」
空気穴とその鈍く光る装飾を交互に見ながら、せつな声を上げた。
「お前、琥珀ってしっているか? 古代の樹液が長い年月を掛けて固まったものだ。市場に卸せば高く売れる・・・」
おじさんは突然脱いだブーツを放り捨てると、
「おい! おい!」
って穴に向かって何度も叫んだ、空気穴にかぶりついたりなんかしてね。
「実際、ミスタ・レイクはすばらしいお人でさぁ」
らくだ口はおじさんの叫び声なんかぜんぜん聞こえてないみたいに、これは多分ぼくに話しかけているんだってことがわかった。
「あの人は、ちょうど、その時の一月前に、毎年必ずここへ誰かしかを送り込んでいるんですからねぇ」
「誰かしらって、毎年ここには、誰かが入れられているって事なんだね」
それでぼくはとっさに、
「だったら、みんなここを出られているんだね? だって、ぼくはその人たちに一度だって会ったことが無いんだもの」
「・・・あたしは暫く、この土地から離れますよ」
らくだ口がそう唐突に呟いたもんだから、
「おい! おい!」
っておじさんはかける言葉も見つけられずに叫ぶくらいしかできなかったみたい。
「・・・その時がくれば、もうあなたたちはここにはいないのでしょうねぇ」
「その時ってのはなんなんだ、おい! 答えろ!」
「その時ってのがくれば、僕らはここから出られるんだね」
「そう、毎年、どこを探しても、姿かたちひとつ見つけられません」
らくだ口は踵を返したような気配を見せると、
「最後になってしまいましたが・・・」
と切り出した。
「違う! お前はまた俺たちと会うんだ」
「そうだよ、ぼくは一回、あんたの顔をまともに拝んでみたいんだ」
「・・・恒例になりましたミスタ・レイクのこの言葉と共に、お別れいたしましょう」
らくだ口はそういうと、散々もったいぶった挙句、
「早すぎても、遅すぎてもいけない。チャンスは、一度きり。それしかないというタイミングが、必ず来る」
「隊商さん、僕はせっかちなんだ!」
ちょっぴり悲しくなって、ぼくはそう叫んでいたよ。
ずっと空気穴にかじりついていたい気分だったんだ。
でも、振り向いたら、うつろな目をしちゃっているおじさんの姿を見つけたから、背中なんかをさすってやろうって気持ちになれたんだよ。




