月の満ち欠け
「もったいぶるな」おじさんはそう言うと、一枚の紙幣を持った震える手をかざした。「今日の分だ」
「毎度どうも」なんて慣れた感じの声が届くと、同時に苦瓜が転がるとめどない音が聞こえてきた。「夜更け時になると、必ず分厚い雲がどこからともなくやってきて、あたり一面を覆っちまうんでさぁ」らくだ口はそうあっさりと言ってのけ、「あれぁどっから来ているんでしょうかねぇ」なんてとぼけた声を上げた。
「朝になると分厚い雲が・・・」おじさんは怪訝そうに、「上る太陽を隠すと?」といい、もはや半笑いで、「そんな世迷言を信じろと?」なんて事を言った。
「それで、いつの間にか綺麗さっぱりなくなったと思ったときには、お月様が顔を出しているって寸法でさぁ」らくだ口はちょっと不満げに、「アレだけ分厚いのに、お恵みはいただけないんですよねぇ」なんて声を漏らした。お恵みって、きっと雨のことなんだよね。
「何がしたいんだ?」
「それがわかったら苦労ありませんねぇ」って言いながららくだ口は笑った。案外切羽詰っている感じではないんだ。
「どうして普通でいられる?」おじさんの真剣な問いにも、らくだ口は笑って、
「普通でいられるかですって? ではお聞きしますが、どうして普通でいられなくなるんです? ただ、お日様がふてくされているだけじゃないですか」といった。「むしろ助かっているくらいですよ」なんて鼻を震わせ、「砂漠を横断して駱駝を一頭も失わなかったのは、今回が始めてなんですからねぇ」と笑った。「さしあたって不便を感じたことはありませんねぇ」
「雨も降らずに、分厚い雲が、か。損をしている訳でもなく、得をしているわけではない」落っこちてきた苦瓜のひとつを手に取ると、おじさんはそう呟き、「むしろ好ましいと感じさせることすらある、か」なんてぼそぼそと口を開いた。それでやっぱりいぶかしげな顔を空気穴の向こうに向け、「本当に、一体何がしたいんだろう?」なんて図りかねた声を上げたんだ。
するとらくだ口は、「そうさねぇ」なんてせせら笑いを含んだ声を上げ、「あたしにゃ見当もつきやせんねぇ」って簡単にいったくせに、ちょっと間を空けた後、「あるとすりゃ・・・」なんて意味ありげに呟いて見せた。
「あるとすれば、何だ―――」
おじさんがそう訊いた時だった。突然地面が揺れ、結構な砂が底のほうへ崩れた。本当はとめどなく小さな振動が続いていたのかもしれない。そう思ったのは、あんまり簡単に砂が崩れたからだった。それで、おじさんの質問もついでに流されちゃったみたいなんだな。
「このところ多いですねぇ」なんて間抜けた調子でいったらくだ口の言葉は、あながち間違ってもいなかったんだ。ぼくらがここに閉じ込められたときには無かったことが、起こるようになっていた。暗闇のこと、振動のこと。ぼくはなんとなく、そんなことが何処か深いところでひとつに繋がっているんだって漠然と考えていたんだ。
「地震になれているようだが、この地は昔から多いのか?」
「いいえぇ。地震なんて滅多に起こりませんよ。精々年に数回でしょう」紙幣を確かめた風のらくだ口の口調は、急に空々しくなったんだ。「ですが、まさに今が、丁度その数回が起こる時期にあたっているんですよ」
「どうして地震が一定期間に集中するんだ?」
おじさんは転がろうとする苦瓜を全身で抑えながらそう聞いた。
「そりゃあたしにもわからないことですよ。第一、お天道様や土地のご機嫌なんて、人にどうこうできるようなことじゃないですから」
やっぱりらくだ口はそういってせせら笑った。
でも、
「ですが、原因があるとすりゃ・・・」
なんていたずらに言ったあと、どうやら身を翻し始めたんだ。
「原因があるとすればなんなんだ!」
おじさんが空気穴にかじりついてそう訊ねても、らくだ口はあっさり空気穴から遠ざかり始めたようだった。
掻かれる砂の、シャッシャって音がなんだかむなしく聞こえたもんだ。
「お月様、お勤めご苦労様でございました」
って声を上げると、
「そろそろ月が満ちますねぇ」
なんて独り言をらくだ口は吐いた。
それで随分遠のいたところから、「ぁたしゃ、ぁんたたちなら、何かを変えられるんだってことぉ、信じているんですからねぇ!」
と最後に叫んできた。




