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誘惑

「・・・・・・」


人って、分からないことがあったら自分の目で確かめなければならないだろ? 


だから僕は、なんとなく軒下から這い出てみたんだ。


あんまり自然に出てしまったもんだから、ジェラールたちも止められなかったんだろうね。


でも、開かれた空をぽかんと口を開けて眺めたりしていた僕の後ろでは、音が殆ど出ていなかっただけで、結構な騒然が巻き起こっているみたいだった。


「そこで何してる?」


しゃがれた声のほうへ向きを直すと、上半身が裸になったジョルジュが立っていた。


「エゴール・・・エゴールなのかい?」


ジョルジュはどういうわけか膨らんだおっぱいを片腕で覆ったりしていたんだけど、僕はそんなことより、外套が食い込んでしまうほど膨張した豚鼻の男のことが気がかりで仕方なかった。


「そこでなにしてる!」


胸に巻いてあったらしい麻布を手繰りながら、ひどい形相でジョルジュが叫んだんだ。


全く、人が変わっちゃっていたよ。


「・・・そういえばさっきジェラールが言っていたけど、ここから先の案内をしてくれる人はどこにいるの? ・・・・・・やっぱりいいや。今は少し黙っていてくれないか」


また僕の悪い病気の一つが出ていたんだと思うよ。


だって、そうじゃなかったらひどい言葉遣いなんか使ったりしないよ。


でも、僕はエゴールのことばっかりが心配だったから、傍で倒れている、フードに隠されて顔も見えない人たちにも、脱いでいたズボンの片方に足を入れるのに苦心しているジョルジュのことにだって興味がなくなっていたんだ。


僕、何かに夢中になると、他の事に興味が行かなくなる性質なんだな。


「貴様・・・話せるのか?」


僕はもうジョルジュの裸なんて目に入っていなかった。


夢中でエゴールに近づき、パツンパツンになった肩を引いた。


彼は僕を見てくれなかったよ。


専らでっかい器の中に入ったきのこのスープを見ていた。


口の周りに細かな滓が無数についていて、かみ締めるたびに何個かが再びスープに落ちていた。


豚鼻がとめどなくなって、エゴールは息をするのにも手間取っているようだったよ。


「エゴール。もうおなかは膨れているよ・・・」


僕はそういわずにはいられなかったな。


「・・・まだまだスープは余っていますよ。私のスープ、お口に合いませんでしたか?」


優しい口調に戻ったジョルジュの言葉を聴きながら、僕はいつからかエゴールが持っている底の深い器の中身を見ていた。


なんだか、何かを取り上げられているような気分なんだな。


「いや、とってもおいしかったよ。ほんとうにおいしかった・・・」


それで、エゴールが持っていたスプーンを奪ったんだ。


でも、すぐに奪いかえされた。大きくなったエゴールは、その分力も強くなっているみたいだった。


「おやおや、喧嘩はいけませんね。あなたは少し食べたりないのでしょう。丁度良かった。ここに私のお皿があります」


目の前にまだ湯気が立っているスープが差し出された。


「まだ暖かいですよ? 私のでよろしければ、いかがです?」


ジョルジュは笑ってそういった。


謙虚な態度でこっちを窺っているんだ。


髭の片方がはがれていたんだけど気にならなかった。


微笑を満面に浮き上がらせていたんだ。


僕の背中に、ある種の悪寒が走りぬけたのはそんなときだった。


彼の微笑には、目の黒いところしか見受けられなかった。


それから僕は、何時からかスープを食べたくてどうしようもなくなっている自分がいることに気付いたんだ。


「おいしそうだ。いただきます」


皿を受け取りながら、ちょっぴり後悔した自分がいたね。


食べ続けるエゴールやジョルジュの光らない目を見てもなお、スープの魅力に引き込まれそうになる自分がいるんだもの。


「次の案内人の人に伝えてくれないかな。僕はずっとここにいたいから、案内はいらないよってさ」


ちょっと本心のところもあったから、僕はそんな台詞をとっさに吐いてみた。


それなりに聞こえたはずだよ。


だって、本心なんだもの。


「その必要はないね。あたしが黙っていてもルーディーのやつは時間きっかりに門柱の鐘を鳴らし、上へ引き返していくだけだから、あんたがいなくても待っていやしないよ」


僕はスープを何度も掬いながら聞いていた。


ジョルジュはまたしゃがれた声に変わっていたりして、もはやおっぱいも隠さず、下のズボンも再び脱ぎにかかっていた。


「全く、わずらわしいことしてくれるよ。あんたらは黙ってあたしのスープに夢中になっていればいいのさ。しかし、今度からはもっと強力にしたほうがよさそうだねぇ」


ジョルジュは僕をいやな目で見下した。笑顔なんて何処かに消えていたよ。


貪り続けるエゴールを見守っていることしかぼくにはできなかった。


実は、スープが口に近づいて、なまめかしい幹事の香りが鼻に触れるたびに気を失いそうになっていたんだけど、彼の姿やジョルジュの目のことなんかを思い出して、ひどく悲しくなりながらも食べている風をしていたんだ。


僕のスープが空になるかならないかの時、エゴールがうめきだしたんだ。


そっと窺うと、彼のでっかい器にあった大量のスープは綺麗になくなっていたよ。


「本当によく食べるね。あたしゃうれしいよ。待ってな。一人じゃお変わりもできない甘えん坊さん」


エゴールの器を持ち上げたジョルジュの言葉は、なんとなくだけど、嘘じゃないようにも思えたんだ。


「聞こえるかいエゴール。くるしいのかい? あれだけ食べれば苦しいはずだよ」


ジョルジュが鍋のあるところへ消えると、体を絶え間なく揺らし続けるエゴールに離しかけた。


「でもぼく達は行かなくちゃならないんだ。さあ、門柱の鐘が吊るしてあるところへいこうじゃないか」


そういって立ち上がったんだけど、彼は一向に反応すらしないんだ。


そのときだった。


お腹の中心から揺さぶられるような不吉で重厚な鐘の音が辺りに鳴り響いた。


一瞬何も考えられなくなるような深い振動だったんだけど、僕にはそれが、ジョルジュの言っていた鐘の音って事がすぐにわかったんだ。


「よくやったぞ、スミシー」


いつの間にか真後ろに立っていたジェラールが僕の肩を揺さぶった。


拍子にお皿を落としてしまって、鋭い音が僕の正気を取り戻してくれたんだ。


重い鐘の音は極めて間延びしていて、残響が消えると暫く間隔を開けながら繰り返しなっている。


ジョルジュのおぼれるような悲鳴が聞こえてきたのは、鐘の音より少し軽くて鈍い音がした直後のことだった。


僕はそんなことより、エゴールのほうが気になって仕方なかった。


彼はどんな問いかけにも無反応だった。


うつろな表情で、滓が溜まった口から泡状になった涎が不定期に吹き出していた。


「エゴール。しっかりしてくれよ。何時鐘の音が終えるのかわからない。早く行かなくちゃ鳴らないんだ」


「そいつはもう気を失ってる」


そんな声がしたみたいだけど、気にしなかった。


「急ぐんだ、スミシー。もう直ぐ鐘の音が終わるだろう」


鍋のあるほうから駆け寄ってきたユダがなんとなく悲しい表情でそういうんだ。


それで


「残念だが、エゴールはおいていくしかない。誰もそいつを持ち上げられるやつなんかいないじゃないか」


僕はユダの顔とエゴールの陥没したようになってしまった豚鼻を交互に見たりした。


「そうだ、お腹を叩いてみてよ。そうすれば、僕みたいに正気に戻れるじゃないか」


ジェラールに振り返ってそういった。


でも彼はそうする代わりに、僕を簡単に肩に担ぎ上げた。


そして、全速力で暗闇の中を、鐘の音がなるほうへ走り出したんだ。


「あの状態のまま強い刺激を与えていたら、あいつの腹は裂けていた。あきらめろ。あきらめるんだ、スミシー」


僕は体の自由を奪われていたし、第一彼の直ぐ傍に痛んだから、ジェラールの言葉はしっかり聞こえていたよ。


でもね。


手を差し出したりして、叫ばずにはいられなかった。


「エゴール! エゴール! エゴール!」



ってね。



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