誘惑
実際僕らには限られた時間しかないんだよね。
それは何時だってそうなんだろうけど、時間って、一見溢れるくらいにある気がするだろう?
でも、決して無限のものなんかじゃないんだ。
蛇口を窄めてか細く、極端に節約して流しているのさ。
なぜって、貯水タンクの中の残量を確かめられる人なんて、一人もいないからなんだよね。
たまにちょちょぎれてみたりして、ぼく達はその一滴の中を必死にもがいているだけなのかも。
山小屋の軒下に隠れていた僕らも、残量を確かめられずにあせっていたんだ。
正確には、僕は呑気なもんだったよ。
でも軒下をせわしなく動き回るジェラールとユダは、どっちも結構あせっているようだった。
「どうする」
彼らは、僕の存在を認めていないように二人だけで話しているみたいだったんだけど、たまには僕にも意見を求めてきた。
でも僕は、ちょっとはにかみながら
「何をどうするんだい?」
なんて能天気な言葉しか口に出せなかった。
それは未だに僕が放心状態から抜け出せていなかったって言うのもあったんだけど、第一、人の話を聞かないのは、僕の病気の一つじゃないか。
「このままだとまずいんだ。ずっとここにいるわけには行かない。そろそろあの変な格好をした小母さんも、俺たちがいなくなっていることに気づくだろうし、既に何処かで待っているだろうおれ達の次の案内人が何時上へ引き返していくのかもわからない」
早口でそう説明しながら、ユダは焚き火に浮き出た陰の数を数えていた。
彼は一度に複数のことをできる才能があるんだね。
「五つ・・・あの男装趣味を引けば四つか・・・」
彼は独り言のようにそういうんだ。
「陰が見えないってことは、もう二人は倒れてるってことか・・・」
なんて爪を噛みながら言うと、振り返りもしないで
「悪いが、ジェラールのほうへ言っていてくれないか。それで、あと一人、運がよくても二人が限度だろうって伝えてくれ。・・・それに、あいつに気づかれずにここから抜け出す方法を考えるんだ。これはスミシー、おまえが考えてくれ」
なんてちょび髭おじさんを指差しながら早口で言った。
僕はあんまり、一度に複数のことを覚えるのが苦手だったから、後二人ってとこだけを覚えるようにした。
ユダの指差すほうへ
「後二人、後二人、二人、二・・・」
って呟きながら三十歩くらい前かがみで進むと、微かにわかる程度に闇から浮き出した三つの外套を見つけた。
「三つ・・・」
僕の口からこぼれたのはそんな感じに聞こえたな。
「後三人か・・・」
振り向くか振り向かないかで僕を認めたジェラールはそういった。
「また一つ影が消えた。倒れてしまったのか、それともすでにユダが連れ出したのか。スミシー?」
彼は声だけで僕を呼んだんだ。
そしたら彼、
「ユダのところにはお前のほかに誰かいたのかって聞いているんだ」
なんて少しいらだった声を上げるんだ。
「いや・・・ぼく達二人だけだったよ。そう、二人だ」
「ならあいつは、残ったやつら全員を連れ出そうとしているのか? 無茶だ。気づいてくれって言っているようなもんじゃないか、何考えてやがる」
ジェラールの苛立ちは増す一方なんだな。
「エゴールはいるかい?」
僕はおどけるしかなかったな。
こういうときは、おどけてみせることしか知らないんだ。
ジェラールじゃない外套の二人は、どちらもエゴールじゃないらしかった。
彼らは僕の話なんか耳に聞こえてないみたいなんだな。
ちょっと腹が立ったりもしたんだけど、彼らの脇に吐瀉物の形跡があったから、なんだか可笑しくなって、起こる気もうせてしまったんだよ。
笑いを飲み込ませるようにジェラールが僕の腕を引っ張った。
彼の手は、服の上からでもわかるくらいにごつごつしていた。
それで、もう片方の手の指先は、焚き火のほうをさしていた。
「あの影がエゴールだよ」
「・・・・・・」
僕は一生懸命エゴールのものらしい影を探したんだけど、見つからないんだな。
だって、大体が岩石みたいに大きな影に隠されていたんだもの。
「・・・影なんかじゃ誰が誰だかわからないじゃないか。僕はもう少し近づいてみるよ」
早口にそういいながら軒下から首まで出したんだけど、やっぱり引き戻されちゃった。
「見間違うことなんてあるか、あれが、エゴールだよ」
可笑しいよね。
ジェラールが指差す先には、でっかくてちょっとゆれたりしている岩石みたいな陰しかないんだな。




