魅惑のスープ
咳き込むぼくは、ジョルジュの目を盗んで小屋の軒下へ紛れ込んだ。
正確には、ユダに引っ張られていったんだ。
ユダは羽織っていた外套を僕にかぶせて強引に引っ張った。
もがこうと思えばいくらでももがけたね。
僕を縛っているものなんて本当は何も無かったんだ。
でも、ユダの手が背中に当てられたからやめといてあげたんだ。
彼のすることはいちいちさっぱりなんだな。
彼、僕のお腹を叩いておきながら、背中を摩る手で
「すまない」
なんて簡単に言っちゃうんだもの。
「だがこうするしかなかったんだ。今騒いだら、この先どうなるかわからない」
「殴ることないだろ? 僕がいくら食べても、鍋の中身はなくならないよ。意地汚くしたのは、悪いと思うけどさ」
咽喉がかすれてなかなか声が出ないんだな。
「ああ、あのまま黙っていてさえくれれば、殴らないで住んだんだ。こっちだって殴りたくて殴っているわけじゃ決してないんだ。なあ、わかってくれよ」
わからないんだな。
彼が殴ったことと、僕がそれで本当にひどい目にあったことは、もう変えられないんだもの。
「よく聞くんだ。聞こえるか? おまえはおれの声が聞こえているか? さっきまでのお前は、俺の声なんて、てんで耳に入っていないようだったぞ」
そう言われてみれば、そうだったんだ。
僕は鍋の中身がほしくてたまらなかったんだもの。
「いいか? あの鍋の中身には、何かやばいものが入ってる。俺たちを虜にしちまうほどの何かが」
確かに、僕はあのスープの虜だったさ。
でも今は違うんだな。
なんていうか、その逆で、もっぱら気分が悪くて、頭が捩れたゴムみたいに悲鳴を上げているんだ。
目の周りが異常に厚くて、舌が痺れて、恥ずかしいけど、涎なんかがとめどなく地面に垂れ落ちていた。
でも止められないんだもの、仕方ない。
僕はなんとなく肯いてみた。ユダは根気よく背中をさすり続けてくれているから。
「こりゃひどいな」
ジェラールの押し殺した声だった。
ぼくらは軒下にいたから、遠くの炎の僅かな明かりに陰ばっかりが照らされるだけだった。
でも、彼の野太い声は、一度聞けば忘れないんだ。
「盛大にやらかしたよ。無論、おれにも責任の端はあるが」
彼らは、闇の中で黒光りする僕の吐瀉物を見つめながら苦笑しているようだった。




