21.デジャブ
終わった……。さらば僕の人生。
桜井俊介、ただいま頭を抱えて絶望してます。まぶしい太陽の光に顔をしかめながら目を開けてみると、僕の腕の中で今春から高校生になった娘のユイカがすやすやと眠っていたと言えば、今の状況が伝わるだろうか。
6月になったというのに一向に夏の暑さを感じないので二人で寝ていても寝苦しさは感じなかった。だからだろうか、娘と添い寝していることなんて気づかずに、朝までぐっすり爆睡していたのだ。
「昨日は……いててっ、」
昨日のことを思い出そうとすると頭が痛む。たしか昨日は学校の飲み会があって、山崎先生の身代わりにやたらと飲まされた覚えがある。
それでフラフラになった後、ユイカに連れられて横になって……、あれ?ユイカはいつから出てきた?それにユイカの肩を借りてからの記憶がない。そもそもどうやって家に帰ってきたんだっけ。思い出そうとすると頭がきしむようにズキズキと痛む。その痛みに耐えきれず僕は思考をそこで一時中断する。
痛みに顔をしかめながらも、改めてユイカの方を見て僕は心臓が止まりそうなくらい驚いた。すやすやと眠るユイカ、そのはだけたパジャマからのぞく白く透き通るような肌と服越しでもわかる高校生離れした大きな胸にもクラクラとしたが、それよりも目立つのが首もとの赤い跡。そう、ユイカの首筋にはうっすらと赤くうっ血した跡があるではないか。それはまるで……、
「マジかよ。何考えてんだ昨日の僕は……。」
どうやら昨日の僕は自分が想像しているよりもだいぶ悪い酔い方をしていたようだ。僕は慌てて右手を掛布団の中に突っ込んだ。そしてほっとする。
「はぁ、何してんだか……。」
ユイカが左腕の上に寝ていて、ちょうど腕枕のような体勢になっているため、僕は動くに動けない。だからユイカとはちょうど向かい合った形になっている。彼女の寝顔なんて、それこそ自分の顔と同じくらいに見飽きているはずなのに、少しでも近づくとキスしてしまいそうな至近距離に年甲斐もなくドキドキしてしまう。そんな自分にまた嫌悪感を覚える。
それにしてもユイカはいつまで僕にべったりが続くのだろう。娘に好かれることはそんなに嫌な気持ちはしないし、むしろ嬉しいけど。娘はいくらなんでもべったりがすぎる。学校の様子を見るに精神年齢が幼いわけでもなく、むしろ同級生よりも大人びてさえいるのに。
そして僕はいつまで娘の親離れを先延ばししていいのだろう。情操教育?性教育?間違ったかな。彼女の中で僕はどんな存在なんだろう。
少なくとも今わかっていることは、時期が来たら娘の方から離れていく、なんていう先達のアドバイスがどうにもユイカには適用外だということだ。
「シュン君?」
僕のことを呼ぶ聞きなれた声がして、僕はびくりと体を震わせた。気付けば声の主である娘は寝ぼけたような眼で僕を見上げていた。
「や、やあユイカおはよう。」
「あれ、シュン君なんで……、え?」
彼女はまだ半分寝ぼけていて、今の状況が正しく把握できていないようだ。学校で纏っている大人びた雰囲気とは正反対の幼げな仕草で目をこする彼女をなるべく刺激しないように、僕は慎重に言葉を選ぼうとする。
「それはだなー。えーと昨日ユイカが俺のことを運んでくれたから、かな?」
「?……!!」
昨日、と言われて少し考えた彼女は、昨晩のことを思い出したのかリンゴのように顔を紅潮させて、甲高い悲鳴を上げたのだった。
いや、昨日の僕ほんとに何したんだよ。
「あのーユイカさん?」
「どうしたのシュン君?」
僕はリビングのソファに座ってテレビを見ているユイカに、気を使って敬語で話しかける。朝のことがあってすごい気まずい僕に対し、いつも通りに過ごす娘の考えていることが分からなくて怖い。
「そろそろお昼だけど、家で食べるの?」
「え、なんで?」
「えーと、そろそろ新しい友達もできたでしょ?その子とどこかに遊びに行ったりしないのかなって。や、ほらテストが終わったから友達と遊ぼうとかないのかなーと、……思いまして。」
「そんなの。私、別に友達いないし。あーでも。」
「友達いないって、また作らないの?いい加減美穂ちゃんや亮太くん以外の友達を、……何?」
テレビを見ていたユイカは肩越しに僕の方を見る。心なしか少し潤んだ彼女の瞳に気圧されるように僕は首を傾げた。
「私、ショッピングセンターにお昼ご飯食べに行きたいなー。」
「ショッピングセンター?」
「そう。ほら、シュン君とお母さんもテストの後はよく行ってたんでしょ。私ともそれしよ!」
「あ、ああでも。」
「でもも、なにももありませんー。久しぶりに二人ともフリーなんだし行こうよシュン君。それに……」
急に僕の耳元に手を当てて囁いた。ここにいるのは僕と彼女だけなのに、まるでリビングのインテイリアに聞かれるのさえ嫌がっているかのようだ。
「シュン君にあんなことされて、私今でもまだドキドキしてるんだから。ちゃんと責任取ってよね。」
言うなり彼女は立ち上がって自分の部屋にぱたぱたと駆けて行った。自分で言いながら自分で恥ずかしがっているようで、耳が赤くなった彼女を僕は呆然と見送る。その姿あまりにも、あまりにも僕の最愛の人に似すぎていた。彼女が去ってようやく我に返った僕は、彼女の部屋に向かって遮られた言葉を独り言のように続けた。
「でもなんで、なんでユイカがそんなこと知ってるんだよ。」
「まさか本当に一緒に来てくれるなんて。」
「いやいや、あんな風に言われたら行かなわけにもいかないだろう?」
「まあそうなんだけどね。えへへ嬉しいな。シュン君との久しぶりのデート。」
「そうだな。」
「……」
「……」
彼女の嬉しそうな顔をする。しかしその顔とは裏腹にいつもとは違う、緊張感のようなものが二人の間を流れていて、僕たち二人はまるで初々しいカップルかのように無言で、駅とは反対側にある大型商業施設に続く国道沿いを歩いて行く。
いつもはいの一番で腕にくっつこうとしてくるユイカが今日は大人しく僕の隣で歩調を合わせているのもなんだか変な感じがする。
ショッピングセンターには休日になるとどこから来てるのかと思うほどに人が集まってくる。今日も同様に二人並んで歩くと進みづらい、自然と僕たち二人は肩を寄せ合うくらいに密着して先へ先へと進むことになる。
「人、多いね。やっぱり。もしかして知ってる人もいるかもね?ふふ。」
「いやあ流石にここに来てはいないと思うけど、どうなんだろう。」
「いいじゃん。私たち別に普通に歩いてるだけだし。きゃっ」
エスカレーターの近くで、巨大な人の波に巻き込まれた。そこは上の階と下の階からやって来た人々がちょうど集まってくる地点で、そこだけまるで何かのイベント会場かのように黒い人だかりができていた。そんな人だかりに飲み込まれて隣同士ぴったりくっついて歩いていた娘は僕の後方へと徐々に徐々に押されて行ってしまい、僕らは離れ離れになりそうになった。咄嗟に僕は人目も気にせずユイカの手を取ると、僕の方へ引き寄せる。
「ユイカ、大丈夫?」
「う、うん。ありがとう。」
ユイカの手と反対の肩を掴んでやさしく押しながら、人混みを抜けると僕たちは顔を見合わせて苦笑いした。
「まったくもう、はぐれちゃうところだったよね!」
「いや、マジで危なかったな。休日のショッピングセンターがまさかこれほどだとは思ってなかった。」
言いながら僕はあれっと思った。いつもならここで恋人同士だねとか言って更に腕に抱き着いてきたりするはずなのに、今日はそんなことも言わず、大人しく手を握りしめられている。その手は若干汗ばんでいて、ちらっと見た顔は恥ずかしさと嬉しさが合い混ぜになったような不思議な顔をしていて、
「ちょっとそこのお兄さんたち!今いいですかね?」
そんな僕らが下に降りるエレベーターを待っていると、見知らぬ人に呼び止められた。その手にはカメラが握られており、どうやら何かの撮影をしているようだ。
「え?もしかして俺たちのことですか?」
「そう!僕、こういうものなんですけども」
そう言って彼は胸ポケットから名刺を差し出してきた。名前はよく知らないが雑誌の名前が書いてあり、どうやらその雑誌のカメラマンのようだ。
ユイカもカメラマンに興味を持ったようで、どうしたのとでもいうように名刺を覗き込んで、名刺に書いてある雑誌名を見て驚いたような顔をしていた。中高生に人気があるのものだろうか。
「それでですね。お二人さん、僕今日このお店でカップルの写真が欲しくてね、一日粘っているんですか。お兄さんとお嬢さんの姿にビビッと来ちゃって。よければ一枚どうです?勿論ただとは言いませんし、使うのも雑誌でだけです。」
「いやいやちょっと待ってください。カップルでしょう?俺たちはそうではないので。」
「はい。……あ、もしかして兄妹とかでしたか?あーでもそれはそれでありなので。」
「いや俺たち親子、」
父と娘ですからという前に、さっきからうずうずしていたユイカが声を上げた。その顔はさっきまでの思いつめたような顔とは違う、いつもの明るい顔だった。
「面白そうだね。シュン君やろうよ!お兄さん、ちゃんと名前とかも隠してくれるんでしょう?」
「ええ勿論。お兄さんもどうです。」
「は、はあ。まあ一枚くらいなら。」
僕らカメラマンのお兄さんに連れられて、やってきたエレベーターに乗ると、地下一階のフードコートへとやって来た。お代のうちとお兄さんが注文してくれた、クリームソーダを飲みながら何枚か写真を撮られる。写真なんて証明写真くらいしか経験が無く、どういう顔をしていいか悩む僕に対し向かいの席に座った娘は、それはもう自然な笑顔を僕に向けていた。
15分程度写真を撮られて、どうやら会心の一枚を撮影できたようだ。彼はニコニコと僕らに握手を求めてきた。
「いやーありがとうございました!お陰様でいいのが撮れましたよ。待ってた甲斐があったなー。」
「は、はあ。それは何よりです。」
「それよりもお嬢さん。モデルか何かやってるんですか?もしよければまた雑誌のモデルとかやってみません。」
「ふふ、ありがとうございます。それは考えときますね。写真はいつ見れるんですか?」
ユイカの釣れない返事にカメラマンのお兄さんは残念と苦笑いしながらも、すぐにもとの嬉しそうな顔になる。
「残念。ああ、来月号で載せますので是非お手に取ってくださいね。それじゃあまたどこかで。」
彼はそういうとにこやかに笑いながら人混みの中に消えて行った。それを見送ったユイカは僕の方を振り返っていたずらっぽく微笑んだ。
「私にモデルにならないか、だって。えへへ。」
「あんなのは可愛い女の子には誰かれ構わず声かけているんだよ。」
「へえー、私のこと可愛いって言ってくれるなんて、シュン君昨日から積極的ね。」
「ばっ、違う違う。これは言葉のあやって。」
「ふふふ。シュン君たら照れてるのー。」
「あーこほん、ユイカ。さすがにクリームソーダでは腹は膨れないよな。何食べようか。」
「あー誤魔化したー。」
「い、いいから早く選ぼうよ。また人が来て混んできてるよ。」
「あ、そうだね。えーとじゃあ、私はドーナッツ食べたい。」
彼女はそう言って僕たちの席のすぐそばにあったドーナッツ屋さんに駆けていくと、女性の店員に何やら注文している。その後ろ姿を見ながら、僕はふっと昔のことを思い出す。
『私、ドーナッツにする。えーとチョコにエンゼルフレンチにカスタード、あとはエンゼルクリームと……』
『おいおい、そんなに食べれるの?』
『シュン君と一緒に食べるからいーの!』
「シュン君シュン君、全部食べてみたくてついついたくさん買っちゃった。ごめんなさい。」
昔の思い出に浸っている所に、ユイカが帰ってきた。その手にはワゴンを抱えているが、ワゴンの上には一人で食べるには少し多すぎるドーナッツが積まれていた。
「いいけど、そんなに食べれるの?」
すると彼女はいたずらっぽく笑って口を開いた。その姿はあまりにも昔の思い出に似すぎていた。
「うん。だってシュン君と一緒に食べるからいいの!」
小学生のころユイカはユカの生まれ変わりだと言った。それは小学校で生まれ変わりとかそういったことを習った影響で、そんな話を考えたのだろうと思っていた。でも今は時々思う。最近のユイカを見ていると、まるで僕が高校時代に時間を巻き戻ったかのようだ。
ユイカがもし妻の生まれ変わりなら、僕は彼女とこれからどう接していけばいいのだろう。どう愛すればいいのだろう。




