22.体育倉庫+二人きり
僕の学校では最初のテストが終わるとのんびりする暇もなく体育祭がやってくる。しかもその後にはサッカー部などの運動部には夏の大会が控えており、まさに猫の手も借りたいような状況に絶賛陥り中なのである。
テスト終了の翌週の放課後からは、体育祭の全体練習や種目別練習が毎日のように組まれており、またその練習の合間を縫うように部活動が入ってきているため、最近は体感で実質2時間分くらい余計に授業があるような毎日である。
そして今日もまた、紅組と白組に分かれての全体練習が6時間目後の放課後の時間を使って行われていた。生徒たちの自主性を重んじている(と言っている)この学校では体育祭も実行委員の生徒たちを中心に行われている。そのため僕たち教員は前に出て直接取り仕切るようなことはなく、むしろ生徒たちと同じように応援合戦で声を枯らしたり、教員参加の種目の練習がメインの仕事である。
ただ、僕の疲れを増しているのはそれだけではないのだが。
「紅組いくぞおおお!!!」
「「「おおお!!」」」
「お、おおー!」
一日授業やった後のこのエネルギーはどこから来るのだと、生徒たちとの体力の差を思い知らされ、僕はクラスの一番後ろからへとへとになりながら声をはり上げる。応援合戦はうちの学校でも特に盛り上がる演目の一つであり、特に三年生の気合は違う。とにかく熱量が異常なのだ。
「桜井先生もうバテてんですか?まだ始まったばっかりですよ?」
「先生頑張りますよ!今年は紅組が取るんですから!」
「ちょ、ちょっとタイム。無理無理、俺は君たちみたいに若くないから。そんなに大声出してたら明日授業できないから。」
気合いが入りまくった生徒たちに、息も絶え絶えになりながら必死に休憩を訴えると、救いの手を差し伸べてくれる天使が僕のもとに舞い降りた。
「桜井先生、ちょうどよかった。ちょっと一人で運べないので機材運ぶの手伝ってくれませんか?」
クラスの美人学級委員こと一ノ瀬はそう言って僕にウィンクした。彼女の腕の中には一人で持つには少し多すぎる量の荷物が抱えられている。彼女の言葉に何人かの男子がじゃあ俺が、と手を上げかけるがそれよりも早く、僕は颯爽と立ち上がった。
「しょうがないな一ノ瀬。じゃ、その荷物半分持つよ。どこに持っていけばいいんだ?」
「ふふ、ありがとうございます。全て体育倉庫に集めておきたいので、一緒にお願いしてもよろしいですか?」
「お安い御用だよ。それじゃあ諸君、俺はちょっと行ってくるから。」
「あ、桜井先生逃げたー。」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。俺は一ノ瀬の荷物を手伝う、大事な仕事に行くんだからな?!」
そう言って僕はよいしょと荷物を抱えると一ノ瀬と共に応援練習の場から抜け出した。背中には若干数名の男子によるとげとげした視線を感じる。まあまあ安心してくれよ。次に彼女に何か頼まれたら君たちに譲ってあげるから。今日は、今日だけは本当に勘弁してもらいたい。
一ノ瀬は若干ウキウキしたようにはにかみながら僕の隣を歩いている。そんな彼女にお礼を言う。
「ありがとな。声かけてくれたおかげで練習サボれて、助かったよ。」
「もう桜井先生ったらそんなこと言って。他の先生が聞いたら怒られますよ。」
「そんなこと言うけど、一ノ瀬だって練習しなくてラッキーって思うだろ?」
「先生ったら。私は実行委員だからこういう仕事しないといけないんです。先生みたいにサボりたくてやってるんじゃありません!」
「へ、へぃ、すいません。余計なことを言いました。」
「もぉ……」
僕をたしなめるようなことを言うが、その言葉とは反対に彼女は楽しそうにころころと笑っていた。
「いやーでもね正直な話、もう足ガクガクだし、声もそろそろ枯れてきたし。ヤバかったんだよ。」
そう言いながら僕はくしゃっと顔を崩して疲れたとアピールする。それを見て彼女はますます楽し気に笑いだした。僕はそんな彼女をさらに笑わせようと彼女の方を見て、言葉を失った。夕日に照らされながら微笑む一ノ瀬。
夕焼け色の光が彼女の輪郭を暖かく照らし、それはまるで写真かイラストから切り出したような幻想的な姿だった。着ている学校のジャージも、少し土埃で汚れた頬もそれがあることで調和できているように、今の一ノ瀬に自然に似合っている。その可憐さ、血の気の引くような美しさで僕は彼女を見て黙り込んでしまった。
急に黙った僕を見て前を見ながら歩いていた彼女は、不思議そうに僕の方を見た。その美しい相貌が僕を写すと、困惑したような恥ずかしそうな僕の名前を呼ぶ。
「桜井先生?あの、私どうかしました?も、もしかして汗臭いですか?すみませんこんな格好なので、今私。」
「あ、ああ違う。違うよそんなことないから。心配すんなって。」
「そうですか。それじゃあ?」
「い、いやあなんでもない。疲れてぼーっとしてただけだって。と、ところで一ノ瀬って美術部の山田や中野と一緒に看板作ってたよな。あれ、どうなった?もう完成した。」
「え?あ、ええ。クラスの人たちが協力してくれて、あとは塗り残したところを仕上げたら完成です。」
「そっか。早いな。流石は一ノ瀬だ。」
「いえ、私は何もみんなが助けてくれたおかげですから。」
「あっはっは。」
訳もなく僕は笑う。そうでもしていないと間が持たずに気まずくなりそうだと察したからだ。彼女もまた僕につられたように笑う。
「もう先生ったらなんで笑うんですか。」
彼女はどこまでも僕に甘く、優しい。そんな彼女と一緒に運動場から少し離れた所にある体育倉庫へと向かう。遠くの山のすぐ近くまで下りてきた夕陽が目にまぶしかった。
うちの学校の運動場は校庭ができた当初から何度か場所を移動している。なんでもこのあたりの地盤の緩さが原因で何度か校庭にひびが入ったことがあったらしく、そのたびに安全面から運動場だけを少しづつ移動していったのだとか。体育倉庫を作った人は後の改修のことまでは考えていなかったようで、今ではすっかり運動場と体育倉庫の距離が離れてしまっており、体育の先生方は用具の準備だけで一仕事だと聞く。
「ふうやっと着いたな。っていうか、うちの学校やっぱり体育倉庫遠すぎるよな。」
「そうですよね。」
さてその体育倉庫であるが、体育の授業の他、部活動で使う物やこうした学校行事の備品を入れられる場所だけあって、下手な宿泊施設と見紛うくらいの容積がある。その大きな倉庫の正面にある横開きの扉の前にはすでにたくさんの荷物が集められているようで、大小さまざまな段ボール箱や玉入れのかご、綱引きの綱が無造作に積み上げられていた。
一ノ瀬はどうやらそれらの荷物を体育倉庫の中にしまおうとしているようで、手伝ってくれてありがとうございましたと僕にお礼を言うと、体育倉庫の重い扉を一人で何とか半開きに開けて中へと侵入していった。
「それじゃあ先生、私はこの荷物を整理していきますので。」
「俺も手伝うよ。何から運べばいい?」
「そんな、悪いですよ。私一人でなんとかできますから。」
「いいっていいって。こんな量一人でやってたら日が暮れちゃうよ。」
そう言って僕は自分の胸の高さまである備品の類をポンポンと叩いた。一ノ瀬は申し訳なさそうに顔を赤く染めると、お願いしますとそれ以上遠慮することなく荷物を運びこみ始める。僕も彼女に倣って一番手前にあった段ボールを持って体育倉庫に入った。入った途端に感じるのは埃や汗、土の匂い、あまり掃除されていない倉庫の中には特有のカオスな空気が漂っていた。
一ノ瀬は段ボール箱を持って倉庫に入ってきた僕の表情に気付いたようで、苦笑いしながら僕に言う。
「ちょっと臭いですよね。まあそればっかりは我慢してもらうしかないんです。」
「大丈夫。大丈夫。さてと、」
どっこいしょと僕は一ノ瀬の置いた隣に箱を下ろした。どうやらここが体育祭用のスペースのようだが、まだ機材は全然置かれておらず、思っていたよりも長くかかりそうだ。
「先生、やっぱり手伝っていただかなくて大丈夫ですよ。そろそろ他の用具係の子もきてくれると思いますし。」
「気にするなって。ほら次行くぞ。よいしょっと」
僕は入り口付近に立っている玉入れのかごの柱部分を両手で握る。ここにあると邪魔だし、奥に閉まっておこう。そう思って思いっきり、玉入れのかごを持ち上げた。それがいけなかった。
「うおっ!?」
「先生!!」
持ちあげた反動で、かごの下の部分に引っ掛かっていた縄がまるでからまった紐のようにビンと這って僕の足を引っかけた。両手がふさがっている僕は抵抗できるはずもなく、そのまま前のめりで体育倉庫の中に倒れ込んでしまったのだ。
ガガーンという音に一ノ瀬は肩を大きく上下させた。
「桜井先生!!?」
「う、てて……。ごめん一ノ瀬。ぶつかったりしてない?」
「私は大丈夫ですけど。桜井先生は大丈夫でしたか?」
「あ、ああ。なんとかね。」
僕はぶつけた手やひざの埃を払って立ち上がった。立ち上がると膝がズキズキと痛むが、幸いなことに怪我はしていないようだ。
「桜井先生……。」
「どうした。も、もしかしてどこかぶつかったのか?大丈夫か??」
「いえ、そうじゃなくてその……。扉が。」
一ノ瀬の指さす方を見て、僕は思わず二度見してしまった。僕たちが入ってきたはずの扉が閉まっていた。倒れたショックと膝と両手の痛みで忘れていたが、妙に暗くなったような気がしていたのだが、先ほどかごを倒した時に一緒に閉まってしまったようだ。
「閉まっている……。」
焦る気持ちを落ち着けるように僕は近づいて、扉の取っ手に手を掛けて力を込めた。しかし、開かない。
「ウソだろ。もしかして俺が引っ掛かったから何かが扉に倒れてきたのかな?……おーい!!誰かいないか!!」
僕は閉じ込められた状況にパニックになりそうになりながら、助けを求めて外に向かって叫んだ。しかしその甲斐もむなしく、運動場から遠い、校庭のはずれにある体育倉庫の近くに人はいないようで反応は帰って来ない。全身の血の気が引いて行くのを感じながら、僕は恐る恐る後ろを振り返ったら。
「桜井先生……。」
そこには真っ青になりながら僕を見つめている一ノ瀬がいる。こうして僕らは人気の少ない体育倉庫に二人、閉じ込められてしまったのだった。




