19.災い転じて?
「気を付け、礼。」
「はいさようなら。あんまり教室に残らないですぐに帰れよー。」
テスト週間は入ってみると早いもので、今日で四日目が終わった。最終日を残すのみとなった生徒たちの行動は大きく二種類あり、最後の一日に備えて小さなメモ帳を見ながら暗記に励んでいる生徒がいる一方で、既に全日程が終わったかのように気を抜いて午後から遊びに出かける約束をしている生徒もいる。
前者には特に僕から何か言うこともないが、油断している生徒たちには「ちゃんと勉強はしとけよ」と釘を刺しつつ、一人また一人と教室を出ていくのを見送る。彼らを見送りながら僕も教室の窓を閉め、職員室へと戻ろうとしていた。
「先生、進路希望のプリント回収しておきました。」
そんな僕に一人の男子生徒が近づいてきた。クラスの男子の学級委員である田中だ。言葉の通り、彼はプリントの束を持って立っている。そういえば昨日の放課後、彼に進路希望調査票の回収をお願いしていた。でもまさか今日のうちに集め終えてくれるとは思っていなかったので驚きに目を見張る。
「もう集めてくれたのか!ありがとうな。」
「いえ。っていうか昨日言われたんですから今日提出するのが普通では。」
「いやいやテストが終わった後でもよかったんだよ。テスト期間中なのに悪いな。テスト返却までに今の時点での進路希望を把握しておかないといけなかったんだけど、すっかり忘れていてね。いやー助かったわ。」
「良かったです。けど先生そういう大事なことは忘れないでくださいね。」
黒縁メガネの似合う真面目な男子生徒は言葉少なに荷物をまとめて立ち去ろうとしていた。クラスをまとめる学級委員の彼はいいかげんな僕なんかよりもずっとしっかりとしている。彼のリーダーシップや規律を守る模範的姿勢きっと将来大成する、そんな予感のする生徒を僕もついつい頼りにしてしまう。
ただ、少し真面目過ぎて面白くないところもある。遊びがすべていいこととは言わないが少々肩の力を抜いてもいいのではないかと、そう思っていた。僕は真面目な生徒会長の顔を崩すべく、帰りかけていた田中に声を潜めて言った。
「ところでさ、」
「はい?」
「一ノ瀬の進路の希望ってどうなってるのかな。」
「な、な、なんでそんなこと俺に聞くんですか!?」
「だってお前が進路希望を集めてくれただろう。あいつから渡された時に話したのかなーって。同じ学級委員なんだからそういう話はするのかなーってね。俺としても君たち二人は学力高いからどこ目指してるのかなって思っていたんだよ。一ノ瀬とはそういう話はしてない?」
「し、しませんよそんな話!だいたいなんで一ノ瀬さんと……」
田中はしどろもどろになりながら何やら弁解している。うん、いつものお堅い学級委員もいいけどこっちの方も親しみが持てていい。以外にも奥手の彼が同じ学級委員の女子を好いていることを知っているのは、クラスの中でも僕の他に数人だけなのだ。
彼は教室の後ろの方で友人たちと笑いながらおしゃべりしている一ノ瀬をちらちら見てから、にやにやしている僕の方を見て少し怒ったように言った。
「一ノ瀬さんとはそんな話はしませんから。それと桜井先生、今の話他の人にしていませんよね。」
「いや、別に。」
「なら他の人に話さないでくださいね。一ノ瀬さんにもですよ?」
「分かったけど、怒った?」
「別に怒ってないです。また明日!」
彼は猛烈なスピードで教室を出て行った。後ろの一ノ瀬たちも彼が慌ただしく歩き去っていくのを見て驚いていたが、どうやら男二人の会話は聞こえていなかったようですぐにおしゃべりに戻るところを見て、僕は少し安心した。
「ねーねー桃花ちゃぁん、加奈ちゃぁん?駅前でお茶してこーぜー。」
さて、僕が集めてくれた進路希望のプリントを机で整えていると、まるでナンパ男のようなセリフで女子三人組のうちの一人が他の二人を遊びに誘っていた。だらだら教室に残っていた生徒たちも、僕がプリントをまとめ終えて他の荷物と共に教室を出る準備ができたころにはとうとう教室に残っているのは彼女たちだけとなっていた。
「行かないよ。明日もテストあるんだから。遊んでいられないでしょう。」
能天気に笑っている中野絵里を真面目な一ノ瀬がたしなめる。物静かな美術部の山田桃花もこくりと頷き一ノ瀬の言葉に同意を示してから中野を見つめた。
「えー桃花も加奈もノリ悪いでしょー。せっかくの午前授業なんだからどこかに行った方が絶対に楽しいって。」
「絵里ったらもう。明日も午前で終わりなんだから遊ぶのは明日にしようよ。明日の勉強してないんでしょ?」
一ノ瀬からかなり本気めのトーン心配された中野は右手でサムズアップしてみせて余裕さをアピールする。
「全然大丈夫!だって後は世界史と美術と音楽だよ?美術も音楽も今からバタバタしてもどうしようもないし、世界史は運だし。今日は勉強する必要ないでしょ?」
「運って……。どうしよう桃花、絵里が現実逃避しちゃってる。」
「してないしてないよ。私は戦略的に分析して余裕って結論を出したんだから!」
「はぁ、だめだこの子。」
「……今回の美術、歴史が入ってるから覚えるところ多いって言ってたよ。」
「え、嘘。それ本当?」
頭を抱えている一ノ瀬の横で、山田が珍しく自分から口を開いた。彼女の言葉に中野は目を丸くする。山田はこくりと頷いて呟くように言った。
「本当。」
「それもっと早く言ってよ桃花ー。全然勉強してないよ!どうしようもぉー。」
っておい、テストの範囲を前日に知るってお前……。僕はたまらなくなって彼女たちの会話に入り込んでしまった。
「あのねえ中野、自分の担任の先生の前でそんなに不安になるようなこと言わないでほしいんだけど。」
「桜井先生もそう思いますよね。今からでも頑張った方がいいんじゃない。絵里は勉強すればもっといい点とれるんだから。」
一ノ瀬は僕の言葉に同意しつつ能天気な友人を褒めた。確かに中野は天才肌で抜群な才能を持っていることは分かる、しかし自分の興味のないことに関してのすがすがしいほどのサボり癖が少々の問題なのだ。
「うぇ先生、聞いてたの。盗み聞きなんて趣味悪いじゃないですか。」
「いやいや、自分たちしかいない教室で遠慮もせず喋ってたら、盗み聞くも何も普通に聞こえてくるからな。」
僕の言葉に三人とも周りを見渡した。そこで彼女らはようやく教室に残っている生徒が既に他にいないことに気付いたようだ。
「は、いつの間にみんないなくなってたの!」
「見ていなかったのか。それと今日は俺が下校指導で見回りに出るから。寄り道するなら気を付けろよ?」
「ぐぬぬ。それじゃ今日は寄り道できないじゃないですか。」
「テスト期間中は誰かしらが見回りしてるから、別に今日だけ寄り道できないわけじゃないんだけどな。」
「えー、折角美少女2人と放課後デートしたかったのにー。」
「絵里、そのセリフ現役の女子高生とは思えないよ……。桜井先生に迷惑はかけられないし、今日は早く帰って勉強しようよ。また明日誘ってくれたら嬉しいな。」
「そっか、加奈ちゃんは……。もうしょうがないなぁ。」
「な、なんでにやにやしてるのかな?」
「ふっふっ、別にー。」
「私は……。」
にやにやする中野と一ノ瀬がわーわー言い合っていると、山田がおずおずと口を挟む。ん?と二人が彼女の方を見ると山田は顔を真っ赤にして思い切ったように言った。
「私は……絵里と一緒に帰るだけでも楽しいから。だから、一緒に帰りたい……な。」
「桃花。う……愛いやつめ!しょうがないなあ、今日は制服デートは諦めて下校デートしよっか。」
「なんでデートになるんだか、ふふ。」
内向的な山田の珍しい自己主張に二人はほっこりしたようで、中野は彼女を抱きしめ頭を撫でまわし、一ノ瀬は彼女たちを見ながらにこにこと微笑んでいる。そんな二人の真ん中で顔を真っ赤にした山田は口をあわあわさせていた。
「それじゃあ先生、さようなら!」
「へいへいさようなら。気を付けて帰れよ。」
元気よく教室を出る中野と、その後ろから軽く頭を下げる山田。最後に残った一ノ瀬は軽く苦笑して横に立った僕の方を見上げた。
「ごめんなさい。絵里ったら今日のテストが妙に捗ったらしくて変なテンションなんです。」
「そうなんだ。だからいつにも増して異次元な会話になってたのか。」
「ふふ、異次元ってもう。ふふ。」
「だってそうだろう。まあそれはいいとして、今日の数学、どうだった?けっこう難しかったでしょ?」
「はい、まあまあ。でも全部授業で聞いていたことなのでなんとか解けました。」
「お、やるね。採点が楽しみだ。」
「はい。それじゃ桜井先生。また明日。」
「ああ、さようなら。また明日。」
彼女はきれいな髪をなびかせて、既に教室を出て廊下に出ていた二人のもとに駆け足で向かった。二人に何か言われたようで「違うよー。」なんて言いながら、仲良し三人組は楽しそうに廊下を歩いて行った。
さてと、僕も職員室に戻ろう。先ほど中野にも言ったとおり、今日は下校指導で駅前まで出る必要がある。テスト期間中はいつもよりも早い時間に学校が終わるため、駅前のショッピングセンター等に寄り道をする生徒が出てくる恐れがある。うちの学校では生徒が危ないことをしないようにという目的で毎日何名かの教師が下校指導担当することになっている。そして今回の担当が僕というわけだ。
「お疲れ様です。」
職員室に戻ってくると何人かの先生が軽く言葉を返してくれた。そのうちの一人、社会科の高橋先生が僕に言う。
「お疲れ様です。今日は下校担当なんでよろしくお願いしますね。」
「分かってますよー。朝の職員会議で言ってたじゃないですかー。」
「ん?」
「?」
僕は持ってきた進路希望調査のプリントの束と6クラス分の解答用紙を鞄にしまって帰る支度をしてから席を立った。下校指導の先生は基本的に現地解散のため、電車で帰る僕はこのまま学校に戻らずに帰宅するのだ。そもそも下校指導というのも実質早帰りみたいなものだ。高校生なのだから自分のことの責任は自分で取れるだろう。危ない裏路地にさえ入っていなければ基本的には黙認するのが僕の方針だ。どうせなら指導ついでにアイスでも食べて帰ろうかな。
「生徒と一緒に遊んだりはしちゃだめですからね?」
「も、勿論ですよ!」
あ、相変わらず鋭い読みですね。僕はにこにこ笑ってごまかして職員室を出て、下校指導に向かった。
昼間に街を出歩くというのは何だかズル休みをしているようで少しワクワクする。いつも夕暮れの帰り道に見ると客で満席になっている飲食店が準備中だったりガラガラに空いていたり。そんな通りを歩きながら、僕は自分の高校の生徒が残って遊んでいないか(一応)見て回る。この辺りにはゲームセンターなどの子供たちが入りやすい施設は一箇所しかなく、そちらには同じく下校指導を担当している別の先生が見に行ってくれている。たしか生活指導の先生のはずだからもし見つかったらこってり叱られるだろう。ご愁傷様。
今回の僕の担当はこの通り。コンビニやファストフード店が並んでいるのでもしかしたら何人かの生徒は見るかもしれない。そんなことを考えながら歩いていると、道路を挟んで向かい側のハンバーガー店の二階の窓によく知った顔を見つけた。
「ユイカ、なんであんなところに……?」
そう、ハンバーガー店で窓から見えたのは僕の娘のユイカだった。普段は早くに帰宅する彼女だから寄り道して油を売っている姿に驚いた。でもまあ娘にも友達関係というものはあるのであろう。彼女がどこで何をしているのか逐一把握するなんて不可能だしそもそも野暮なことだろうと目を離そうとした、その時だった。
ユイカの隣に男が座り、何やらにこやかに話し始めたではないか。ユイカの方も何か答えているところを見ると知り合いだろうか。それを見た僕の中の何かが熱くなった。あれだけシュン君シュン君と言っても、やっぱりいずれは僕の元を離れていくのだろうか。
「シュン君のエッチ。」
昨晩言われたあの言葉は父親なのに、あんなことを言った僕にドン引きした本心から出た言葉だったのだろうか。
立ち去るわけにも、後からそれとなく訊くのも嫌で、僕は衝動的に交差点を回りそのハンバーガーショップに入った。店員さんのにこやかな「いらっしゃいませ!」という声を聞きながら僕は二階へと上がった。上の階に上がるとにぎやかな店内の中でもすぐに娘と男の声が聞こえてきた。
「さっきからここにずっといるけど君、誰か待ち?その人が来るまでちょっと話そうよ。」
「いえ、あの私は。」
「もしかして一人?!じゃあ君の隣に座っていい?」
「……別にいいですけど。」
「おおノリイイねーそういう子好きだよー。っていうか君可愛いねー。」
「ありがとうございます。」
「あの高校の生徒さん?今はテスト期間だったけ。」
「そうですね。」
「俺あの学校の卒業生なんだ。ここで会ったのもいい機会だしライン交換しない?」
「ごめんなさい、今は電源切ってるんです。」
「えー待っててあげるから交換しようよ。」
「それに私ラインやってないので。」
「マジ?じゃあメアドでもいいから、」
混雑した店内でなかなか近づくこともできなかったが、ようやく彼女のもとにたどり着くことができた。娘は積極的な年上の男のアプローチにスマホをとうとう観念して取り出しているところだった。
「あれ?こんな所で何してるのさ。テスト週間は早く下校しなさいって言われているだろう。」
「あ、桜井先生!よかった、じゃなくてご、ごめんなさい。」
僕が近づくと、ユイカに話しかけていた男性は気まずそうな顔をする。
「あれ、もしかして君の先生かな。どうもーす。」
「こんにちは、こいつの担任の桜井と言います。楽しく話している所申し訳ないんだけど、うちの高校テスト期間中の下校指導って割と厳しくてですね。ああ、OBくんなら覚えていると思うけど。」
「あ、ああそうだったすね。」
「悪いんですけど、僕も担任なんで見逃すわけにはいかないんですね。本当に楽しそうな所申し訳ないんだけど。」
「あ、あーそうすね。」
男は露骨にめんどくさそうな顔をして僕を見たが、その間に彼女は荷物をまとめてトレーを持って立ち上がった。彼が引き留めようとする前にユイカは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいお兄さん。先生に怒られたので私もう行きますね。桜井先生ごめんなさい。そういうわけだし早く行きましょ?」
「あ、君!」
唖然としていた男はハッとして彼女の方に手を伸ばしてきた。その手をひらりと躱して彼に軽く会釈してから僕の横に収まると、まるで僕を押すようにして二人で店を出た。店を出た途端、彼女は僕の腕を抱きしめてきた。
「お、おい!いきなり抱きつこうとしてくるなよ。」
ユイカを腕から引きはがすと、彼女は残念そうな顔をしながらも気を取り直して笑った。
「あそこにシュン君が来てるなんてびっくりしたよー。助けてくれてありがとうね。」
「いやびっくりしたのはこっちだって。なんであんな所にいたのさ?あ、いやほらユイカらしくない気がして。」
「さっきまで友達と寄り道していたんだけど、シュン君が通るのを待ってるうちにみんな先に帰っちゃって。」
「ん?俺?」
「私、知ってたんだよ?今日はシュン君が下校指導だって。だから待ってれば一緒に帰れるかなーって。だけどその前にあの男の人に話しかけられて、どうしようって困っていたの。だから助けてくれて嬉しかった。シュン君、ありがとう!!」
「わぁストップストップ。こんな往来で抱きついてきちゃダメだって!1mくらい離れて。」
「えぇ~そんな気にすること?」
「いやいや、当たり前だからな。」
不満を言うのかと思っていたが、ユイカはすんなりと僕から少し離れて歩き始めた。と、思ったら振り返った彼女の顔はなぜか少しにやけている。
「バレないように少し離れて歩くのって、なんか他の人には秘密の夫婦関係って感じで素敵だね。ドキドキするね。じゃあ会話はラインでする?」
ポロン、と僕のスマホが通知音を立てた。彼女はにこにことスマホの画面を見せてきた。『シュン君愛してる。』
「へ、変なことしなくていいから。それにあそこにいたのはユイカが窓から見えて、知らない男に話しかけられていたから……なんだよ。」
「ねえねえ先生。それってもしかして、嫉妬?」
そこで先生は反則だろう。
「ち、違うよ!!」
「ふーん、ふふ。そうなんだー。」
「あ、信用していないなその顔は。」
「くすくす、別にー。でもね私はシュン君の妻なんだから、私が浮気していたら嫉妬していいんだよー。まあ浮気なんてする気もないけどね。」
「あぁもうだからっ!」
「……?」
彼女は小首をかしげ、にこにこしている。
「だから!……はぁ。こんなんなら心配して損したよ。」
「心配?何のこと?」
「い、いや何でもないよ。あーそうだユイカ、帰ったらオムライスでも作ろうかなと思っているんだけど。」
「シュン君たら誤魔化したー。」
ユイカが男の人と話しているだけでこんなに動揺するなんて。僕も案外ユイカに染まってしまってきたのかもしれない。




