16.試験監督の退屈
お久しぶりです。投稿が滞っていたのは単にぼーっと生きていたからです。
学期のはじめは忙しいもので、慌ただしくしている間に気付けば五月も最後の週になっていた。校庭に植えられた木々はまぶしいほど緑が映えている。いつの間にか春は過ぎ、夏がすぐそこまで近づいてきているようだ。
僕の学校では今年度初めての定期テストが始まっており、休み時間はいつもよりだいぶ静かだ。校内ですれ違う生徒たちは皆、夏の訪れを感じている余裕なんて無さそうだけれど。
……
「桜井先生!いつまでのんびりしてるんですか、もうすぐ授業ですよ。先生、次の時間は試験監督じゃないですか?」
「ええ、そうですけど。ってうわ、もうこんな時間?!」
向かい側に座っている社会の先生に急かされ、僕は慌てて立ち上がった。いつもより廊下が静かなことに加えて、ここ三年生教員の職員室にやって来る生徒もいないため、室内でたまに聞こえてくる紙のこすれる音や等間隔のカタカタというパソコンを打つ音以外には雑音が少なく、少しぼーっとしてしまったようだ。僕は机の端に積んでおいた世界史の試験の冊子と解答用紙を両手で抱えて立ち上がる。
「相変わらず社会のテストは重たい重たい。それじゃあ行ってきますねっと。」
「あ、桜井先生ちょっと、」
僕がそう言って職員室を出ようとすると、社会の先生は顔をあげて再び僕に声をかけてきた。次のテスト科目は世界史で、社会の先生方はこの時間は試験監督を務めず、途中でテストの質問を受けて回るため職員室で待機する。彼もまた職員室で待機中なのだ。
「どうしました?」
「世界史のテストに間違えてしまった部分があるので開始前に訂正お願いしますね。問題の入ってる紙袋にメモが貼ってあると思いますが。」
「分かりましたー。…というか先生、それって今朝の会議で仰っていたじゃないですか。ちゃんと把握してますって~。」
「だって桜井先生のことだから、朝の会議の話を覚えてるかも分からないじゃないですか。」
「え?僕ってそんなキャラだと思われてるんですか!?」
「……。」
「……?」
「あはは……」
「なんでそこ、苦笑いなんですか!」
……僕はいい加減な教師に見られているらしい。ここ数年で一番ショックかもしれない。納得がいかなかった僕は助けを求めて周りを見るが、誰一人「そんなことないですよ」とフォローしてくれる人はいなかった。学年主任の先生に至ってはうんうんと何度も頷いてさえいる。先生、確かに普段の僕は話を聞かないこともあるかもしれませんが、そんなに深くうなずかれるといくらなんでも傷つくのですよ。
「うぅ、同じ三年生の教師陣なのにこの信用のなさ……。」
「はいはい、文句なら後で聞きますから。試験監督よろしくお願いしますねー。」
「はい……。でもそんなに信用されていなかったなんて悲しいなぁ。」
「あ、あの!桜井先生は確かに人の話を聞いていないことも多いですが、生徒から信頼されていますし。僕は尊敬してますよ!」
全方位からいじめられている僕を不憫に思ったのか、後輩のイケメン体育教師、山崎先生は必死にフォローしてくれた。前半部に若干傷つくが、それでもたった一人の援軍である後輩教師の方をまるで拾われてきた犬のように悲しそうに見る。
「山崎先生~。やっぱり僕には君しかいないよー。今度奢ってあげるから覚えといて。」
「え、いいんですか?」
「桜井先生?余計な話をしていないで早く教室に行った方がいいですよ?」
「うぅ、ごめんなさい。」
精一杯悲しそうな様子を見せながら職員室の扉を開けると、ちょうど三年生の男子生徒と女子生徒が通りすぎるところだった。彼らは廊下に出た僕に気づくと、きちんと止まって挨拶をしてきた。
「あ、桜井先生。こんにちは。」「先生、こんにちは。」
「はいこんにちはー。もうすぐ授業だから早く教室に戻ってね。」
「はーい。」
彼らを見た僕はすぐに先ほどまでの情けない顔を切り替えて、生徒たちに早く教室へ戻るように促した。彼らが駆け足ぎみに階段を上っていくのを見送ったあと、振り返ってこちら見ていた先生方に勝ち誇ったように言い放つ。
「どうですか今の。生徒たちからもしっかりしてると思われてるでしょう?」
「いやいや、彼らは真面目な子たちですから。どんな先生にも礼儀が正しくて、見本のような生徒ですよ。」
「……そうですね、流石は我が校の生徒たちです!それじゃあ僕も教師として頑張ってきますね!!」
やけくそ気味にそう言って、僕は試験監督を務める自分が担任のクラスへと向かった。ううっ。
※※※
「あっはっは。やっぱり桜井先生ってからかいがいありますよね。」
「ふふ、ちゃらんぽらんな感じで要領のいい人かと思うのに、すごい隙を見せてくるんですもんね。」
「いやいや俺は不安だよ。」
「えと皆さん、桜井先生のことをいじりすぎるのは良くないと思いますよ……。」
※※※
「気を付け、礼。」
「はいよろしく。じゃあ早速テストの席順に……はもうなってるか、じゃ問題の冊子と解答用紙を配るぞー。」
チャイムが鳴る5分前に教室に入ると、もうすでに生徒たちは全員着席して入室した僕の方を見ていた。三年にもなると慣れたもので、男子の学級委員の山本の号令の後、1分程度で問題と解答用紙を滞りなく全列の最後の生徒まで行き届く。
「はい、じゃあ最初に問題に一つ間違いがあるから最初に伝えとくよ。テストが始まった後には板書しとくから。三番の(2)なんだけど……」
社会の先生が貼っておいてくれたメモを見ながら手短に説明する。どうやら問題文中の人名に間違えがあるようだが、ぶっちゃけると文系の科目は専門外で、なんのことやら説明している僕の方がちんぷんかんぷんだ。しかしどうやら生徒たちは理解したようで、何人かはうんうんと頷いている。流石は高校三年生だ。
間違いの説明はすぐに終わり、あとはテスト開始のチャイムを待つだけとなった。
「……じゃあこれで説明終わり。開始まであと2分ほどだけど……そうだな、ここでテストに向けた心構えみたいな話をしようか。」
「おお、お願いします先生!」
先ほどまで同じ教師陣に、僕には信用がないやら信頼やらと弄られてきたため、僕はここで生徒たちにためになるような話をしてあげようと考えた。そんな僕にノリのいい男子が元気よく反応し、生徒たちの視線が集中する。
「よーし君たち、テストって言うのはね……。」
「……。」
「……。」
「先生?」
「うーん、イイこと言おうと思ったのになーんにも思いつかん。ごめんみんな頑張れ!」
全員がずっこけた途端、キンコンカンコーンとチャイムがテストの開始を告げる。
「あ、テスト開始。」
あちゃー、なんて締まりのないテスト開始だろう。僕は生徒たちに心の中でごめんと呟く。実はあれは君たちに脱力させてテスト前の緊張をほぐそうという考えだったんだ。帰りの会でそう弁解しようと思いながら問題の修正点を黒板に書いていく。板書を終えて生徒たちの方を振り返ると、皆一生懸命に問題を見つめ、シャーペンを走らせていた。何人かは僕のポンコツにツッコむタイミングを失ってしまい、たまに僕の方を何か言いたげにちらりと見上げては唇を尖らせていた。彼らにごめんと目で合図していると、他の生徒とは別の色をもった視線を感じ、そちらに自然と視線が吸い寄せられた。
「!」
視線の主は僕と目が合うと、びっくりしたように肩を跳ねさせ、すぐに目を逸らした。そして慌てて下を向いてテストを再開させていた。
視線の主、女子の学級委員である一ノ瀬はここ数日少し様子がおかしい。僕の方をぼんやり見ているかと思えば、慌てて目を背けたりする。放課後に少し話を聞かなければと思っているのだが、いつも帰りのホームルームが終わり次第、そそくさと下校してしまうため、なかなか話を聞く機会を持てないでいるのだった。毎年三年になると受験勉強の悩みで精神的に不安定になる生徒はいる。彼女もそういった悩みがあるのかもしれないが、大事なテスト期間で彼女に時間を使わせるのも抵抗があり、言い出しづらさも感じていた。そして何より、物思いに耽った顔に不覚にもドキッとしてしまい、なんとなく戸惑いを覚えているのだ。
試験監督というのは僕が学生の頃に思っていたよりも、案外大変な仕事である。定期テストの試験監督ということで不正行為をしないか、体調を崩してしまった生徒はいないかなど生徒たちの様子をよく見ていないといけないが、そんなことが起きるのは稀でほとんど何事も起こらない。だから僕はよく試験監督の時にはこっそりパズルの問題などを小さくプリントして持ち込んだりする。生徒にも他の先生方にも内緒でヒマつぶしをしているのだ。そして今回もいつものように数枚、雑誌に載っていた数独をプリンとして持ってきていた。しかしこれが思ったよりも簡単で五分も経たずに解き終えてしまったのだ。
何もすることが無くなった僕は、適当に壁にできた染みを数え始める。あまり新しい学校ではないが、教室の壁はしっかり掃除されてきれいなので、染みは小さくてもよく目立つ。更に暇だった僕は解き終わったプリントの余白部分に教室の見取り図を簡単に描いて、染みの場所をメモしはじめる。放課後にでもきれいにしておこう、そう思ったからだ。
「失礼します。何か質問はありますか。」
教室の後ろ側に10個目の染みを見つけてメモしていた時、ノックと共に社会の先生が入ってきた。時計を見るとテスト終了の15分前、いつも通りの時間での到着だ。僕は素早くプリントを裏返して先生を招き入れる。
先生は生徒たちの質問に近づいて行って何やら小声で答えていたが、質問が無くなったことを確認すると前へと戻ってきた。
「では問題文をよく読んで、最後まで頑張ってくださいね。」
彼はにこやかにそう言って、教室を後にする。
「失礼しました。」
「?」
教室を出る瞬間、先生は意味深な笑みを浮かべながら僕を見た。そしてそのまま机の方を見る。しまった!、そう思って机を見ると先ほどまで置いてあった僕の(内職用)プリントはあるべきところから消え去っていた。はっと廊下の方を見ると、彼は僕のプリントを手に楽しそうに次の教室へと向かっていた。
キンコンカンコーン
チャイムの音と同時に教室を包んでいた緊張感が一気にほぐれる。そしてテストの出来を言い合う生徒たちでうるさくなるが、その前に僕は静かにするよう伝えて解答用紙の回収を始めた。全て回収し終えたことを確認して、僕は生徒たちを見渡す。皆少し疲れは見えるが、まだまだ元気そうだ。
「よし、みんなお疲れ様。それとテスト前は本当にすみませんでした。次の時間も頑張れよー!」
「先生!ツッコみお預けの大ボケなんて、あれはずるいですよ!」
「ほんとほんと。あれのせいで俺、あんなに力入ってたのに、力抜けちゃったんすよ!」
「悪かった悪かった、ほんとごめんって。それじゃあ頑張ってね。」
そう言って僕は教室を出る。出がけにちらりと一ノ瀬の様子を窺ったが彼女はほっとしたように友達とおしゃべりしていて、特に変わった様子は見られなかった。
僕は解答用紙を持って、直接職員室には向かわず、足早に社会科の先生が集まる社会科準備室の方へと向かった。勿論テスト中に取り上げられてしまった数独のプリントを取り返すためだ。普段は通らない所を歩いていると、計らずも一年生の教室の区画に入った。その教室の内の一つに、僕は自然と目が吸い寄せられる。
「桜井さん、テストどうだった?」
「うん。まあまあって感じかな。」
「じゃあじゃあ、ここの問題ってどうやって解いたの?私ほんっとに分かんなくて、ここだけで10分使っちゃった。」
「ここはね、こうやって考えると分かりやすいかも。」
「あああ、そっかー!!そして間違えた……うわーん。」
「もう、……よしよし。」
教室の後ろの席で何人かの女子生徒が集まっていた。その真ん中で悔しがっている生徒の頭を優しくなでている少女は一年前まで中学生だったとは思えないほどに大人っぽく見えた。どのクラスにも一人はいる真面目な優等生。そんな彼女は廊下から見ていた僕に気付くと、途端に嬉しそうに顔なった。その顔は先ほどまでのものよりもだいぶあどけない少女の顔だ。
彼女の表情の変化は誰も気づかなかったようで、彼女は目の合図だけでこっそり僕に「大好き」と伝えてきた。相変わらず器用なことをする子だと少し感心しながら、ハイハイと顔だけで伝えて僕はそそくさとその場をあとにした。
「ん?桜井さんどうかしたの?」
「ううん。何でもないよ。」
「?そっか。でも今の顔、とっても可愛かったよ。」
「ふふ、そうかな。……」
家では好き好き大好きと言ってくる娘が学校では真面目な優等生で通っているのは少し謎だが、彼女の学校生活に首を突っ込もうとは思わない。ユイカにはユイカの、僕の知らない顔もきっとあるのだろう。




