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15/22

15.私は好きです。

「ねえねえ唯華、テストどうだった?」

「んー。まあまあかな。」


 帰りがけ、教室から出ようとしていた私に幼馴染の佐藤(さとう)美穂(みほ)が話しかけてきた。テストの出来を聞いてくる彼女の顔はいつもよりやけに明るい。そういえばこの友人、二時間目の古文のテストの後に大声で敗北宣言していたような気がするのだけれど。


「流石は唯華だ。めちゃくちゃ重たかった数1と古文を乗り越えたってのに平然としてるのね。」

「大変だったけれど。授業でやった所ばっかりだったし、美穂も難しくはなかったでしょ?」

「くっくっく、澄ました顔してこの子は……。古文爆死したあたしの苦しみを知れーー!!」


 そう言って彼女は私の両方の頬を思いっきり横に引っ張った。少し騒々しいけれども彼女とは幼いころからの長い付き合いで、高校に入ってから知り合った友達よりも話していて気持ちが落ち着く。


「痛い痛い、ほっぺた抓らないで。」


 シュン君の補習を受けた翌週、私たちの高校では今年度初めての定期テストが始まっていた。この学校では全部で12科目の試験を一週間かけて行う。今日はその初日。数学1、古文、化学のテストが実施された。補習や普段の勉強の成果か、三教科とも筆がよく進み、なかなかいい感触だった。

 先週のシュン君の補習は、結局あの後も毎日参加し、一ノ瀬先輩と共に補習皆勤賞であった。初めて補習に参加した日には彼も驚いていたが、次の日からは早くも慣れたようで放課後に私が三年生の教室に入って来てもあの人はごく当たり前のように「今日もよろしく」と言って迎え入れてくれた。一ノ瀬先輩は困ったように笑っていたけれど。

 それはそれとして、だ。いつ来ても私と先輩しかいない補習というのはどうなんだろう。あの人が嫌われているなんて話は聞いていないのでそこは心配していない。でもあんなに少人数の補習だと、生徒と教師との距離が必然的に近くなってしまう。長時間教師と生徒が二人っきりになるのは少し心配でもある。特に一ノ瀬先輩は去年から補習に出ていたらしい。今後はテスト前の期間は注意しなければ、そう強く思う。彼はこういうところに無頓着だから困る。


「ねえねえ、ところでまだ帰るには早いし、どこか寄り道しようよ。」


 古文の出来に、既に開き直っている美穂は、ぼけっと考え事をしていた私に再び声をかけてきた。彼女のあまりにものんきなお誘いはまさに今日の陽気のようなお気楽さだった。今の時刻は午後3時を少し過ぎた所で、外の景色もいつもの放課後とは違い、お昼過ぎといったところだ。まだ初日が終わったばかりとはいえ、数学と古文という最初の大きな山を越え、教室内にもどこかほっとしたような空気が流れていた。


「うーん、ごめんやめとく。家でやりたいこともあるし。」

「えーこんな早くに帰れるのに勿体なくない?大好きなシュン君もいないのに家で何するのさ。」

「えーと、家に帰って勉強してるかな。」

「真面目かよー。うぅ、真面目な人の話聞いてるとあたしも勉強しなきゃって思うじゃん……。でもあたしはそんなことに屈しない!別の人探して遊びに行くもん!遠山さんー、亮太ー!放課後ヒマ―!?」

「えーと、ごめんね?それじゃあまた明日。」


 誘ってくれた友達にもう一度謝ってから教室を出た。下校する人たちの流れに身を任せて一人、駅への通学路を歩く。途中何人かの友人に会い、先ほど教室で言われたようにどこか遊びに行かないかと誘われたけれど、テスト勉強するからと断った。駅前の通りのアーケード街に向かうテスト終わりの高校生の流れから抜け、私は一人、駅の改札を通った。

 最近は電車で嫌なことがあってから、彼と一緒に帰ることが当たり前になっていた。だから今日みたいに一人で帰りの電車に乗るのはすごく久々な感じがする。


「ユイカちゃん?」


 いつもよりだいぶ閑散とした駅構内を、家の方向行きの電車のプラットホームに向かおうとしていた私に、後ろから声をかけてくる人。それは良く聞き覚えのある声だ。


「あ、一ノ瀬先輩。こんにちはです。」


 三年生の先輩で、シュン君を好いているらしく要注意人物である一ノ瀬加奈先輩だ。彼女もテストが終わって帰るようだが、他の生徒とは違ってその手にはハンドブックサイズの参考書があった。


「あ、えと、ユイカちゃんも今日は終わりなんだね。」

「そうですね。今日は数1、古文、化学の三時間で終わりです。それじゃあ私はこっち側なんで、失礼します。」


 補習帰りに先輩が反対側の電車を利用することを知ったので、あまり話を続けることなく、別れの挨拶をして先輩に背を向けて歩き出した。別に話すこともなかったから。そんな私を彼女は遠慮がちに、だがはっきりとした声で引き留めてきた。


「あの、ユイカちゃん!」

「はい?どうかしました?」

「いや、別にどうかしたのかってほどでもないんだけどね。」

「?」

「えと……そうだ、今日の数学はできた?ほら、桜井先生の補習でやったところはどうだったのかなって。」

「丁度先生に教えてもらったところが出たので楽勝でしたよ。でもどうしてそんなこと聞くんですか?」

「特に深い意味はないの。ただ何となく……。あはは、」

「……?」

「……。」

「あの、それじゃあ私はこれで、」

「ユイカちゃん。」

「はい?」

「あの、えと……。」


 一ノ瀬先輩は何か言いたげな、でもうまく言えないような、もどかしそうな顔をしながらこちらを見て困ったように微笑んでいた。いや、そんな顔をされても困るのですが。

 このままでは埒が明かないと思って、私は逆に彼女に気になっていることを聞いてみた。


「私からも質問いいですか?」

「え?あ、もちろんいいよ。」

「桜井先生のことが好きなんですよね?」

「え?」


 彼女の顔がしばし固まる。しばらくしてようやく言葉の意味を理解したかのように徐々に顔が赤くなってきた。





「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」 


 数秒の空白の間をおいて、先輩は顔を真っ赤にしながら綺麗なお声をあげた。


「ちょ、ちょっと先輩。ここ駅の中なんですから!あんまり騒がないでくださいよ。」

「な、ないない。それはないよ!第一桜井先生は私の担任の先生だよ?それは確かにお世話になっているし、頼りになるから素敵だなーって思うことはあるけどね。……あ、今のは別に好きだってわけじゃなくてね?」

「なんでそんなに動揺しているんですか?」

「べべ別に動揺してるわけじゃなくてね。ユイカちゃんが変なこと言うからちょっとびっくりしただけっていうか。」


 ないないないと首を振り、今度は歳の差についての理由で否定している彼女に、私ははっきりと言った。


「そうですか。私はあの人のことが好きですから。」



「へ?」

「私は桜井先生のことが好きです。だから美人な一ノ瀬先輩があの人のことが好きだったらどうしようと心配していましたけど、私の杞憂だったみたいですね。変なこと言ってすみませんでした。」

「……え、それって、」

「それじゃあ私はこっち方面なんで。失礼します。あ、そうだ。補習の時は勝手に参加したりしてすみませんでした。」


 後ろを向いてホームへと向かう私を引き留める声はもうかかってこなかった。その代わり細々とした声が耳に届いた。


「でも、先生はユイカちゃんのお父さんなんじゃ。」


 私はちくりとした痛みを胸に覚えながら、それを振り払うように振り返って、できるかぎり明るく笑いながら言った。


「お父さんだからって愛しちゃいけませんか?」

「それは……でも、」

「私にとっては父さんの前に一人の男の人なんです。だから……好きでもないならあの人のこと、取らないでくださいね。」

「わ、私は……」


 彼女の言葉を聞く前に私は一礼して、そのまま階段を上った。ホームに上がると丁度快速電車がやって来たところだった。滑り込むようにその電車に乗ると、平日の昼間はすっかり空いていて、普段は座らない座席に腰を下ろし向かいの窓の外の風景を見る。駅や商業ビルの向こうに遠く頭だけ覗かせている私の高校を眺めながら、先ほどの先輩との会話を思い返した。


「お父さんの前にシュン君なんだから……。」


 思わず出た呟きにハッとして周りを確認したが、幸い周りに人が少ないこともあり、誰も聞いていなかったようだ。

 一ノ瀬先輩にあんな生意気なことを言ったのに自分は他人の目を窺っている、なんて臆病者なんだ。そう自嘲しながら等間隔を刻んでいる電車に揺られて家路へとついた。








 電車と歩きを合わせておよそ30分ほど、いつもよりもだいぶ早い時間に家に帰ってきた。テスト週間で早く帰れる学生(わたしたち)とは異なり、教師である彼は当然のことながらこの時期もいつも通り帰りが遅く、まだ帰ってきてはいない。

 私は荷物を机の上に置いて、中から教科書を取り出して棚に片付けた。とりあえずテストが終わったのでこれからしばらくは取り出すことはないだろう。そして明日試験のある二教科の教材を新たに引っ張り出して、机の上に置いた。明日は今日よりも楽でテストは2教科しかない。先ほど美穂が余裕を見せていたのは、そういった理由もあったのだろう。

 私はしばらく机の上の教科書とにらめっこをしていたが、なんとなくやる気がわかなくて、自分の部屋を出た。重要な所はもう勉強してあるし細かいところも夜からやるから問題ない、誰もいない家の中で一人、そう言い訳しながら奥の方の部屋へと向かう。


「おじゃましまーす……。」


 そんな必要はないと分かってはいるが、やましさから声を潜めて入ったのは彼の部屋。カーテンが半開きになった窓から差し込む陽光が枕元しか当たらない、部屋の向かって奥の場所に彼のいつも寝ているベッドがあった。そのベッドに私はゆっくり近づいていって、恐る恐るそのふわふわの掛布団に体を滑り込ませる。彼が可愛いと言ってくれた長髪がぼさぼさになるのも気にせずに私は布団に潜りこんで深呼吸した。


「んんー。」


 それは学校の友達には勿論、彼にも内緒の習慣。小学校のころ、まだ彼の帰りを一人で待っているのが心細かったころからから続いている一人の時の遊びだ。こうしてあの人の布団に潜り、枕を抱きしめていると彼に包まれているようで安心する。それはきっと私の中に安心できると刻み込まれている感触だからだと思う。

 私の思い出せる一番古い記憶、それは穏やかな風が髪を撫で、シュン君に抱かれている時のものだ。幾つの時のことか、どこでのことなのかも覚えていないけれど、彼の匂いと優しい声ははっきりと覚えている。 あの人が一番安心できる、あの人とずっと一緒にいたい、シュン君のことを愛している理由は言葉にすればこんなに単純化されてしまうのがもどかしい。でもそれが彼への想いだった。


 いつものように彼の枕に鼻をこすりつけて胸いっぱいに匂いをかいだ。布団が私の体温でほのかに暖かくなってくるとあの人に抱きしめられているような気持ちになる。息苦しさと興奮で胸の鼓動は高まり、過呼吸のように息が荒くなってきた。

 こんなことをしている自分は変態なのかもしれない、初めてそう思ったのは小学校高学年になったころだった。学校で親離れや反抗期について学んでいる時も、クラスメイトが父親の愚痴を言っているのを聞いている時も、私は何故自分の父親を嫌いになるのか理解できなかった。でも女の子が父親と一緒に寝るのはおかしいことだということは保健の授業で勉強した。だからシュン君と一緒に寝るのも朝方にシュン君の布団に潜りこむこともやめようとした。この遊びだって何度もやめようとした。

 でも止められなかった。結局高校に上がった今となっても罪悪感を覚えながら、あの人のことを求めてしまっているのだ。


「もうちょっと、もうちょっとだけ……このままで……」


 次第に意識が薄れていく、私は穏やかな眠気に逆らうことなく意識を手放した。







「ユイカ、今日のテストどうだった?確か一年生は数学があったんだろう。どう、補習の成果は出た?」


 その晩、少し遅く帰ってきたシュン君と共に夕飯を食べていた。遅くなる彼のために晩御飯を作るのは私の役目だ。


「うん。シュン君の教えてくれたところがばっちり!次のテストの補習も絶対参加しないとって思っちゃったよー。」

「そうだなー、なら向井先生にテスト対策してくれないか頼んでみるよ。」


 向井先生というのは私たち一年生の数学の担任の先生だ。同じ数学科の先生ということもあって横のつながりも他の教科の先生よりはあるのだろうか。

 でもそんなことはどうだっていい。私は頬を膨らませて彼の方を睨んだ。


「もう、シュン君のいけず!シュン君がいいって言ってるのにどうして他の先生が出てくるの!というか私はシュン君と一ノ瀬先輩が変なことにならないか目を光らせておくんです!」

「だから何度も言ってるけど、普通先生と生徒で変なことなんて起こらないって。第一、一ノ瀬だって彼氏くらいはいるんじゃないの?」

「分かんないですよー。一ノ瀬先輩が誰かと付き合ってるなんて聞いてないし。」

「はいはい分かりました、……てかユイカ、まさかとは思うけど一ノ瀬に変なこと言ってないだろうな?」

「変なことって何かなー?」

「はぁ、まあいいよ。ユイカ、ご飯が終ったら先にお風呂に入っておいで。俺が洗いものしておくから。」


 彼の言葉に立ち上がった私は、風呂場の方には行かずに彼の腕を取り、両手で引っ張った。不思議そうな彼を挑戦的に見ながら私は言った。


「はーい、でも洗い物なんて後にして私と一緒に入ろ?先生だってテストでお疲れでしょ?」


 精一杯上目遣いして誘惑してみるが、彼は呆れたように笑いながらポンポンと頭を二回、拘束されていない方の手で叩いた。そうして一瞬力が弱まった私の両手からすっと手を抜き取ると台所の方に向かって行ってしまった。


「ほーらバカやってないで早く入っておいで?」


 私は空いた片手で彼が触れた所を撫でる。彼の触れた所は少し暖かかった。


「ユイカ?なにぼーっとしてるの?」


 私は台所越しにこちらを見る彼と目が合って飛び跳ねるように背筋を伸ばした。そのまま風呂場へと向かう。


「うひゃぅ!?な、なんでもない。それじゃあお先に!」

「お、おう。どうぞ。」


 彼は私を女性として見てくれていない。だから自分の子供っぽい甘えは許してくれても、性的な接触があれば困惑させてしまうのだ。この間、耳を舐めてしまった時の反応もドギマギするとか、嫌がるとかどん引きするとか、そんな反応の前に、彼は困っていた。優しいシュン君は私にあまり怒らない、でもあの時はそんな顔をされるよりは起こってもらった方がよかった。

 ごめんなさい、そう独り言ちながら一人で湯船に入る。シュン君への愛は風呂のお湯のように溢れてきて止まらなかった。


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