14.放課後ファイト
「あ、あのユイ……じゃなくて桜井……?」
「ん?どうしました先生?どこか痛そうな顔をしていますが、体調でも悪いんですか。」
「あー、しいて言うなら頭が痛いな。」
僕が頭を押さえて顔をしかめると、ユイカは心配した顔をして僕のことを見上げてきた。彼女の困った所はそういった冗談を理解していながら、本気で心配してくるところだ。
「本当ですか!?朝は具合悪そうには見えなかったですけど……やっぱり四月の疲れが出たんですかね。今日は私と早く帰りましょうね?」
「いやいやそうじゃなくて、俺は今の状況に頭を痛めていると思うんだけど。」
「え?それは一ノ瀬先輩と私を桜井先生が密室に連れ込んでいるという、この状況のことですか?」
「全然違う!三年生の補習に一年生がちゃっかり紛れ込んでいるってことだよ!」
しれっと三年生の補習に顔を出したユイカは、何事もないかのように一番前の、一ノ瀬の隣の席に腰を掛け自分の教材である一年生の数学の問題集を開いている。そこ、何がおかしいのか分からないとでも言いたげな不思議そうな顔をするんじゃない。おいおい、いくらなんでも自由過ぎるだろう。
最近落ち着いてきたと思っていたが、相変わらずブッ飛んだことをしてくる彼女にいつものようにツッコミを入れていると、その横で”唯一の”補習参加者である一ノ瀬がクスっと笑った。
しまった、いつものノリでユイカと話していて、すっかり一ノ瀬のことを放置してしまった。悲しいことに、事前の告知はしたのに補習参加者は結局彼女一人のようだ。僕は受け持っている生徒たちの顔を恨めしく思い出しながらため息をつく。あいつら、ホントに三年生の自覚はあるのだろうか。
唯一参加してくれた少女にすまないと困った顔をすると、一ノ瀬は大丈夫ですよとでも言うようにふんわりと笑みを浮かべた。
「ごめんな一ノ瀬。ちょっとおかしなのがいるが、実質お前と俺の二人の補習だからいつでも質問してくれよな。」
「おかしなのってなんですか!桜井先生は酷いですよ!私だって先生に教わるために色々調べて折角来たっていうのに!」
「おい、それ詳しく聞かせなさい。一体何をどう調べたんだよ。」
「えへへ、秘密です、」
「……二人きり。」
止まることを知らなかったユイカの口が、一ノ瀬の独り言のような呟きを聞くや否やまるで電池が切れたようにぴたっと止まった。そしてユイカは真っすぐ一ノ瀬の方を見た。
一方の一ノ瀬はユイカの視線に気づくことなく僕を見ている。しかしまるで心ここにあらずといった表情をしていた。
「一ノ瀬?どうかしたの?」
「え?……あ、あ、なんでも、無いです!ごめんなさい!」
「?」
「あれー?一ノ瀬先輩ぼーっとしてどうしたんですか?」
「なんでもないよ。ごめんなさい、ぼーっとして。」
「ねえねえ、二人きりって何ですか?私を入れて三人じゃないですか。もしかして桜井先生と二人きりになりたかったーとかそんなこと考えてたりするんですか?」
「な、何を言ってるか分からないな。桜井さんこそわざわざ放課後に三年生の教室まで来て、そんなに心配だったの?」
「ユイカでいいですよ。桜井先生と同じ苗字ですので、分かりづらいでしょ。うふふふふ。」
「別にそんなことはないけど、それじゃユイカちゃんよろしくね。あはは。」
よく分からないが、なんとも言えない空気が二人の少女の間に流れた気がする。そのまま放っておけばいつまでもユイカが一ノ瀬に話しかけていそうな雰囲気があったので、僕はパンパンと手を叩いて二人の視線を自分の方に向けさせた。
「はいはいおしゃべりストーップ。それじゃ、もうこの際、桜井も一緒に補習受けていいから。そろそろ補習を始めるよ。」
「わーい!よろしくお願いします!」
「分かりました。よろしくお願いします、先生。」
僕はユイカを帰すことをあきらめて補習を始めた。補習と言っても僕が行っているのは授業ではなく、自習の時間の延長のような勉強会だ。さっそく持ってきたプリントを一ノ瀬に配る。来週のテスト対策に20問ほどの問題を用意しておいたのだ。
「はい一ノ瀬。いつもの通り、これがそのまま出る訳じゃないけど似たような問題を出すから。とりあえずまずは一度解いてみて。全部解いて分からない問題があったら俺に質問する、いいかな?」
「分かりました。」
そう言って一ノ瀬は僕から受け取ったプリントに名前を書き込むと静かに取り組み始めた。
隣で見ていたユイカはさすがに邪魔しては悪いと思ったのか、自分の問題集を開いて勝手に解き始めた。悪いがさすがに彼女のためのプリントは用意していない。それを察してか僕が伝える前に、静かに問題集を開いていた。
ユイカが邪魔して補習を妨害するならきつく言って出て行ってもらおうと考えていたが、問題に集中している彼女からは邪魔する様子は見られなかったので、とりあえず何も言わずに放っておくことにした。
「桜井、ほらこれ。」
僕はこそっと耳打ちして、ユイカの机の上に数枚のプリントを置いた。これを取りに職員室に行っていた僕が帰って来ると、一ノ瀬はまだ問題を解いている最中だったが、ユイカは解き終わっているのか、何度もページをめくって解答を確認していた。
「え?何々もしかしてラブレター?」
「違うよ。俺が昔作ったテスト対策問題のプリントだよ。折角(一年生だけど)補習に来てくれたのに一人でずっと問題集やってるのもつまらないだろう?」
「いいのっ!?」
「こら静かにしゃべりなさい。」
ユイカは驚いたように声を上げた。その口を押えるようにして僕は彼女を静かにさせた。幸い、一ノ瀬は問題に集中していたようで、ちらりと一度見て少し目を丸くしただけでそれ以上は特にこちらを気にすることは無く問題を解いていた。
「ごめんなさいシュン君。でもありがとう。私、頑張るね。」
「学校では桜井先生だろ?……よし、じゃあ頑張りな。」
「はい!あ、でも先生、その前にちょっとお手洗いに行ってきてもいいですか?」
「ホントに自由だな。はいはい、行ってらっしゃい。」
「はーい!」
嬉しそうなユイカの後姿をやれやれといった気分で見送っていると、後ろから「先生」と呼ぶ声が聞こえた。
「どうした一ノ瀬?お、終わったみたいだな。質問か?」
「はい。ここの問題なのですが……。」
「ん?どれどれ?」
僕は振り返って一ノ瀬の座っている机の隣にしゃがんで、彼女が指さしていた問題を覗き込む。その時、どれどれと近づけた僕の唇に彼女の右腕が軽く触れてしまった。ふにっとした感触は一瞬何か分からなかったが、一ノ瀬のびくっと緊張したような反応で何をしてしまったか気付いた。
「あっ……。」
「おっと、ごめん一ノ瀬!」
僕が慌てて謝ったが、恥ずかしさと申し訳なさで顔が熱くなった。一ノ瀬の方も僕が唇を押さえたのを見て腕がどこに触れたのか気付いたのか、目線は僕に合わせないが同じように真っ赤に染まっていた。
顔を逸らした僕の口元には一瞬感じた甘い匂いが残っていた。ユイカとは違う、一ノ瀬の匂いだった。
「あ、あの私は気にしてませんので。いいですよ。」
何がいいのか、一ノ瀬は顔を机の問題の方に向けたままそう言った。見れば腕はそのままで、今の僕の体勢だと問題を見るためには再び彼女に触れてしまう可能性が高い位置だ。触れても気にしないと言っていたが、これではむしろ触れさせようとしているようだ。
「先生、ほらこの問題です。早く、早くお願いします……」
一ノ瀬はしきりにそう囁いてくる。一体どうしたというのだろう。今日の彼女はやけに僕に……。
「先生、お願いもう一度……。」
「なーにやってるんですかねぇ!」
「「え?!」」
「二人しかいないからって、何か良からぬことでもしようとしたんですか?」
教室の入り口にはユイカが腕を組んで立っていた。その顔はむっとしたような表情を浮かべている。
「いや違うって!完全に誤解してるよ!ただ一ノ瀬の質問に答えていただけだって。」
「そ、そうです。私は……私たちは……」プシュー
「お、おい一ノ瀬、大丈夫か?」
一ノ瀬は羞恥心からオーバーヒートを起こしてしまった。一ノ瀬さん、それはユイカの指摘を肯定しているような反応ですよ。それにしてもまた、おかしなタイミングで帰ってきてしまった。今の状況を見たらまたユイカが誤解してしまうのも仕方がない。他の女子生徒ならともかくユイカは一ノ瀬に対して何やら思うところがあるらしいし。でも僕も一ノ瀬も全くそんなことはしていないというのは本当だ。
ユイカはむっとしていた顔を急に明るくすると僕たちの方に近づいてきた。
「……まあいいや。先生、先生!じゃあさ私も質問なんだけどいいですか?」
「ちょっと待ってなよ。一ノ瀬の方もすぐ終わるからさ。」
「えー、ホントにすぐ終わることだから大丈夫ですって。」
そう言って駆け寄ってきた娘は僕の右の腕を抱きしめるように掴むと、僕を隣の席の方へと引っ張った。いつものように僕は抵抗することもできずに彼女の方へと引っ張られていく。しかし途中でその動きは反対向きの力が加わったことで止まった。
「ユ、ユイカちゃん、悪いんだけど私の質問もすぐ終わるからちょっと待っていてもらえないかな。」
右腕を抱きしめているユイカに対抗するように、一ノ瀬は僕の左腕を両手でつかんでいた。さっきまで真っ赤になって恥ずかしがっていたのに、今ではすっかり復活して、やたら明るく笑っている。
「お気になさらず。私の方がすぐ終わりますので、その後でしっかり解説してもらってください。三年生の先輩の方が大事だと思うので!」
「ううん。大丈夫。私の方もほんのちょっとしたことなの。だからその手を離してくれる?その体制は桜井先生がきつそうだよ。」
「そちらこそ離してくれませんか。先輩が力入れてるから先生が辛そうなんじゃないですかー。」
なぜか歯を食いしばって腕を引っ張るユイカと一ノ瀬。状況がよく呑み込めない僕は、ただ引っ張られるだけの自分を体育祭で使われる綱引きの綱のように錯覚した。彼らも人々に引っ張られ、どうしようもないような感覚を覚えているのだろうか。
「痛い、痛いって二人とも!」
僕が真ん中で情けなく声を上げると、二人ともほぼ同時のタイミングで僕から手を離した。この二人、息がぴったりと合っている。ぴったり一緒にお互いを見つめあい、それから尻もちをついている僕に「ごめんなさい。」「大丈夫ですか?」と聞いてきた。
「あぁ、大丈夫。っていうか二人ともどうしたの?」
僕が見ている前で、二人は火花を散らして睨みあっていた。なんというか、怖い。ユイカがこういう顔をするのは以前見たことがあるが、一ノ瀬は初めてだった。
なんとか二人をなだめて補習の続きをしたが、それ以降二人の間の緊張感はさらに高まっていた。ことあるごとに僕を間にはさんで口喧嘩のような言い合いをしていた。
「先生、ここも少しわからなくて。」
「あ、ちょっと、先生!私もこの解説して欲しいんですけど。解説が説明してくれてないのでよく分かりません!」
「ユイカちゃん、ごめんね。桜井先生ここをもう少し教えてください。……あんっ、」
「先生!すぐに終わるのでここの途中式見てもらえませんか?」
二人から矢継ぎ早に質問が飛んできて、僕は二人の間でてんやわんやしながら解説する。どうにかこうにか全ての質問を捌き切ったところで、丁度下校時刻を示す音楽が鳴り出した。
「ふぅ、じゃあ今日はこの辺で終わりにしようか。次は明後日になるけど、いいか?」
「分かりました。」
「わっかりましたー!」
一ノ瀬はとユイカは丁寧に返事をした。ユイカは次も来るつもりなのか……。
「二人とも気を付けて帰れよ。」
帰り支度をして教室を出ていく二人を見送ってから、僕は職員室に戻って自分の帰り支度をする。職員室にはまだ仕事をしている先生もいて、僕は邪魔にならないように静かに荷物をまとめて職員玄関へと向かった。
「えーと二人とも、別にいいけどもなんで帰っていないの?」
なぜか学校を出た僕の両脇には二人の少女がいた。
「ですってよ、一ノ瀬先輩。なんでまだ学校に残っていたんですか?」
「いやユイカ!お前もだよ!」
「私はいつもみたいにお父さんと帰りたかったんだよ。ところで一ノ瀬先輩は三年生なのにこんなところで油売っててよかったんですか?」
「私は……その……」
一ノ瀬は言葉に詰まって何も言い出せないようだった。まあ暗い中で一人帰るのは怖いだろう。まして彼女は美人だ。人目を引く彼女が一人で歩くほど危険なことは無い。
「もうすっかり暗くなっているしな。どうせ駅までは一緒だし、三人で帰ろうか。」
「えー、私はお父さんと二人で帰りたかったー。」
学校を出たからか、すっかりユイカは僕への態度が先生から父に変わった。ただ、他の生徒がいる前で僕にここまで甘えてくるのは彼女にしては珍しい。
「あのなぁユイカ、一ノ瀬の前であんまりべったりして欲しくないんだけど。恥ずかしいだろ。」
「えー、いいじゃない。一ノ瀬先輩は羨ましそうにしてるし。」
「し、してないよ!桜井先生、私羨ましいなんて思ってませんから!!」
「お、おう。そうか。」
一ノ瀬はユイカと反対側の僕の横を歩いていた。補習の時はユイカに対抗するように僕の腕を引っ張っていたが、流石に外では恥ずかしいのか、僕の腕を抱きしめているユイカを困ったような表情で見ているだけだった。申し訳ない、こういうやつなんだ。
ユイカはそのまま最近クラスで起こったことを一人でしゃべり続けた。最近彼女とそういう話をしていなかったので嬉しかったが、隣の一ノ瀬を置き去りにしているようで申し訳なかった。僕から話題を振ればちゃんと答えてくれるし、僕に笑ってくれるからまったく退屈していないということはせめてもの救いだった。
「それじゃあ俺とユイカはこっちだから。また明日な。」
「はい。今日はありがとうございました。」
駅について、改札を通ったところで僕たちと反対側に住んでいる一ノ瀬はお別れだ。
「一ノ瀬先輩、お世話になりました。」
「あ、うん。ユイカちゃんもありがとうね。」
「明後日もよろしくお願いします。一ノ瀬先輩は私のライバルなんですからね。」
「おいおい、いくらなんでもライバルって」
「私も……」
「え?」
一ノ瀬は何かを言ったようだが、僕の言葉に遮られて何を言ったかは分からなかった。でもユイカには伝わったようで、何か意味深な表情をして先にホームの方へ向かった。
「今日はごめんな。あいつがおかしなことを言ってたかもしれないけど、気にしなくていいからな。」
「……私、父が長く単身赴任していてあまり会うことが無くて。ちょっとうらやましいって思ったんです。いいなって……。だから気にしてなんかいませんよ。」
僕は一ノ瀬と別れ、今日もユイカと共に電車で家へと帰った。二人きりになった途端、ユイカのおしゃべりはぱたっと途絶えてしまった。無言のまま電車を降り、家に帰ってきたところで、ユイカはぽつりと言った。
「シュン君。迷惑だった?」
「何が?」
「勝手に補習に参加したり、一ノ瀬先輩にちょっかい出したりしたこと。」
「え?」
「シュン君がダメだって思ったらすぐに言って。私シュン君にこれ以上嫌いになってほしくないの。でも自分の気持ちが抑えられなくて……。せめて学校では迷惑をかけない、ただの娘でいようと思っているのに誰かと仲良くしてるシュン君を見てるとどうしようもなく嫌な気持ちになるの。こんなのダメなのに……。」
「そっか。」
苦しそうなユイカを僕は優しく引き寄せて、彼女の頬を撫でた。
「しゅ、シュン君!?ちょっとどうしたの?」
「何度も言ってるけど、ユイカのすること別に迷惑だなんて思ったことは無いよ。ダメならダメだって
ちゃんと言うから。言ってないってことは何も悪くないってことだよ。今日もびっくりはしたけど、……来てくれて嬉しいと思っちゃったし。ユイカがダメなら僕も大概ダメな男だよ。」
「そっか……ありがとねシュン君。」
そう言ってユイカは寂しそうに笑ったのだった。




