表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/22

11.亀裂の気配

今回はあんまりユイカが登場しません。

 リビングの壁に掛けたカレンダーを五月にしてからもう一週間が経った。四月が過ぎたからといって特別何かが変わったということは無い。ただ新入生の歓迎期とゴールデンウィークを終えて、浮足立っていた学校にも落ち着きが戻って来たような気がする。

 高校生になってから妙に僕に甘えるようになっていた娘だが、最近は僕の寝ている部屋に来ることもほとんどなくなり、朝起きたら裸のユイカに抱きしめられていた、なんていう心臓に悪いことも起きていない。それはそれで良かった。良かったのだが…。


「それじゃ、シュンくん行ってきます。」

「もう行くの?ちょっと早くないか?」

「ごめんね。えっと、今日はちょっと友達との約束があるから…」


 朝ごはんを食べ終わったユイカはそう言うと、僕と目も合わせずにいそいそとリュックサックを背負って家を出て行ってしまった。最近の彼女はずっとこんな調子で僕を避けているのだ。

 女子高校生の娘を持つ父親であれば、年頃の娘が父親によそよそしい態度を取ったり、父親を疎んだりするのは受け入れるべきことだ。他の家のことは知らないが、思春期の女の子への接し方も考えて折り合いをつけたりしているだろう。僕だって一人の父親としていつかそういう日が来るのは分かっているし、そうなったら、なるべくさりげなく身を引こうと考えてはいる。でも今の彼女が僕を避けているのはそういった理由ではないのだ。だから僕は今の彼女にどうやって接すればいいのか分からず困っていた。


「ユイカ…」


 彼女のよそよそしい態度の理由は分かっている。二週間前のあの日、ユイカが僕にしていた甘くうっとりするような愛撫。彼女は夢中でやっていたことだから気付いていたか分からないが、あの時の彼女は僕の”娘”ではなく一人の”女”になっていた。それは完全に父娘の枠を超えてしまうもの、僕が途中でユイカの気を逸らさなければ、僕も彼女もどうなっていたか分からない。

 気持ちが高ぶって一心不乱に僕の耳を舐っていた彼女は、僕の声でようやく自分のしていることに気付いたようだった。正気付いた彼女は見ているこっちが辛くなってしまうほどに痛々しい顔をして、いつもの冗談交じりの口調ではない、思いつめたような口調で「ごめん、ごめんね。」と呟いて部屋を出て行った。

 それが二週間前の土曜日の出来事。そこで仲直りできれば良かったのだが、運の悪いことにその次の週の半ばから、今年度初めての連休であるゴールデンウィークが始まってしまったのだった。

 長い休みの間ユイカは幼馴染の美穂ちゃんと亮太くんたちと遊びに出かけたりすることもあったが、それでも家にいる時間は確かに多かったわけで、その時にお互い話をしてあの日のことを無かったことにしてしまえばよかった。

 しかし僕の方は連休中にも関わらず仕事や部活で毎日学校に行っており、その忙しさにかまけて、もっと言うと顔を合わせたときの気まずさもあって、ユイカとのことはすっかり後回しにしてしまっていたのだ。その結果、ゴールデンウィークが明けた今ではさらに気まずくなって、まるで喧嘩をしたかのようなぎこちない空気が流れていた。


「先生?センセイ?おーい、どうしたのさ?ぼーっとして。」

「あの桜井先生、大丈夫ですか?」

「え?」


 気が付けば二人の女子生徒が僕を不思議そうに僕を見ていた。昼休みの木工室にいるのは僕と三人の女子生徒たち。彼女らは全員学校のジャージを着て、床に座り込んで頭を突き合わせている。


「あーごめん。考え事してた。」

「そうでしたか。よかった…のかな?」

「もう、しっかりしてよ先生ー。まさか先生が五月病になった、なんてことだけはやめてくださいよねー?」

「大丈夫だって。で、今はどんな状況なの。どこまで進んだ?」

「駄目だ、この人やっぱり全然見てないじゃん!」


 彼女たちは僕が担任を受け持っている三年生の生徒たちだ。今朝僕の所にやってきて昼休みに木工室の使用許可を取り付けた彼女たちは、教室棟を挟んでにぎやかな校庭とは反対側にある静かな特別教室棟でのある作業を続けていた。


「ほら見てよ先生!なかなか頑張ったと思わない?」

「おお、凄い!もうすぐ完成だ。」


 座っていた椅子から立ち上がって、教室の真ん中あたりまで歩いて行った僕の目に入ったものは男と女が躍動するイラストと、クラスの生徒たち一人ひとりの名前、そして『勝利』の二文字がかかれた大きな看板だ。

 6月の初めにある体育祭に、この学校ではクラスごとに看板を作るという伝統がある。僕のクラスでもイラストが得意な美術部の生徒や彼女の友人たちが看板製作委員として主体となり看板製作をしている。体育祭まではまだ一か月近くあるが、今月末には定期テストがあり、今年受験生の生徒たちに時間を取らせたくないので、なるべく急ピッチで進めるように伝えた。その甲斐もあって、既に下書きもあらかた終えて、色を塗り始めている所だ。

 いつもは放課後に有志の生徒と残って作業しているが、今日は用事があるらしく昼休みに空き教室を借りて看板の製作をしているのだ。別に必要ないと思うのだが、学校のルールで昼休みの特別教室の使用には先生の立ち合いが必要なため、おまけで僕も彼女たちについて木工室に来ている。


「…まだまだ大まかな部分の色塗りが終わっただけですよ。これから細かいところに色を塗っていくんです。」


 ポスターを見て思わず感嘆の声を上げた僕に、それまで一言もしゃべっていなかった三人目の女子生徒はジャージの袖をまくって白い腕を見せながら冷静に呟いた。それ以上僕の方には目も向けず、再びベニヤ板に顔を近づけた無口な彼女こそが美術部の山田桃花やまだ ももか。長い黒髪と透き通るような白い肌は触れがたく美しい日本人形を思わせる。教室では普段あまり自己主張しないタイプの彼女だが、看板製作をしている姿を見ているうちに彼女の職人肌な性格も分かってきた。

 先ほど、ぼーっとしていた僕に一番初めに声をかけてきた人懐っこい性格の女子生徒は中野絵里なかの えりだ。彼女は山田とは対照的に少し茶色がかったショートカットで、年齢よりもほかの二人より少し幼く見える。その見た目と性格もあり、クラスのマスコットのようにクラスメイト達に可愛がられているのだ。

 性格が正反対なところが逆に合うのか物静かな山田とはよく一緒に行動しているところを見る。普段の彼女の行動から飽きっぽい性格だと思っていたが、意外にも一つの物事に集中するストイックさも持ち合わせているのだ。そんな彼女は今看板の色塗りに集中していてすっかり周りの人たちなどお構いなしの様子だ。

 そして二人のサポートとして絵具で色を塗ったり、定規で何やら測っているのが一ノ瀬加奈いちのせ かな。僕にもよく数学の問題を聞きに来たりする彼女は、大人びた容姿と包容力のある性格で三年のアイドル的な存在だ。男女問わず人気の高い彼女は人に囲まれていることも多いが、ふと見ると山田と中野の二人といっしょに談笑していたりする。ようするに三人は仲良しグループなのだ。

 三人がいつも一緒にいるということは知っていたが、あまり先生の近くで雑談をしているタイプの子達ではなかったので看板製作で三人が普段どんな会話をしているのかを知り、彼女たちの性格を三年生にして初めて深く知ることができたように思う。


「そういえば先生さー。」


 やることもないので僕はのんびり彼女たちの作業を眺めたり、そこらに落ちている消しゴムのカスを集めていると看板の色塗り作業に集中していた中野は自分の場所を塗り終わったのか、手を止めて僕の方を振り返った。


「何さ?」

「近頃教室に来なくなったよね。あの一年生の女の子。」

「え?」

「ほら、四月の間は休み時間とか放課後になるとよく来る子がいたじゃん!えーと名前何て言ったっけ?男子たちが騒いでた気がするんだけど。」

「ああけっこうかわいい子だったね…。先生の知り合いなんですか?」


 山田も描いていた手を止めて、右手を揉みながら僕の方を見上げた。いつの間にか一ノ瀬も手を休めて僕の足元に座っており、ちょっとした休憩時間になった。

 中野の言っている一年生で毎回教室に来る女子と言えばユイカのことで間違いないだろう。


「あ、まさか先生!」


 まるで授業中のように体育座りのまま中野がハイハイハイ!と右手を大きく振り上げて僕の方を見上げる。


「はいはい、なんですか中野さん?」

「先生ってもしかしてその子のこと…?」

「おーい何考えてるかはなんとなく分かったけど、絶対にそんなことないからな!?ってか…」

「でもなんでその子もよりにもよって桜井先生を選ぶのかなー。絶ッッ対に体育の山崎先生の方がカッコいいしいいと思うんだけど。」

「ちょっと絵里!」


 担任の先生に対して随分なことを言う少女がさすがに失礼だと思ったのか、年上のお姉さんにも見える一ノ瀬は彼女をたしなめてくれた。そんな一ノ瀬にいいからと合図して僕はしかめっ面を作ってみせる。


「いくらなんでも酷いぞそれ。そんなこと言う奴には仕返ししないといけないなぁ。」

「へ?」

「やられたらやり返せってこと。例えばそうだな…『中野さんが桜井先生より山崎先生の方がカッコいいから好き』って言ってたことちゃんと山崎先生に伝えといてあげようかな。」


 まるで小学生のような子供じみた挑発であったが、中野には効果てきめんだった。彼女は漫画のように顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を上げたのだ。


「え、えええ?え、ええ!えええええええ!?」

「絵里良かったね…。憧れの山崎先生なんだから、健闘を祈るよ…!」

「桃ちゃんまで。え、ちょっと、マジでムリ!私そういうのムリだから!」


 片思いの山崎先生のことでからかわれて真っ赤になっている中野を見ながら、ユイカとはこんな関係になることはできないなと思いながら、僕は言った。


「というかね。君らの言う”あの子”は桜井唯華って言うんだよ。」

「桜井…?」

「先生、もしかして…」


 ユイカの名前を出した途端、最も食いついたのはいつも落ち着いているはずの山田だった。


「そう俺の…」

「隠し子なんですね!そっか…、娘さんは先生が作ってしまった不義の子で、娘さんは家で育てることを許されたけど父の先生は勘当されてしまったんです。それで娘さんは誰かもしれない自分の父親をずっと探してた。父親がいないから寂しかったんでしょうね。それで高校受験の時になって母親に、あなたの父親はこの学校の先生をしているって言われて、この学校に入学。で、入学式の日に父親と十数年越しの再会っていう感動的な……」

「ちょっと待って、ちょっとストップストーップ。普通に俺の娘だよ!生き別れとかじゃなくて普通の!一緒に住んでるし子供の頃から面倒見てきた、正真正銘、戸籍が証明する俺の娘だから!」


「…あ。ごめんなさい、私つい。」

「えーと山田?」


 彼女は自分の口を押えて黙ってしまった。僕も山田の突然のマシンガントークに若干びっくりしていると、隣の一ノ瀬が助け舟を出してくれた。


「あいかわらず桃花は話出したら止まらないよね。今のは最近読んだ小説が参考?」

「うん。それっぽいの3冊くらい混ぜて妄想してた…。」


 やっぱり僕は生徒たちの考えていることや性格を全然分かっていなかったんだな。三人がまた仲良く会話しているのを見て僕はしみじみそう思った。


「その唯華、ちゃんは先生のことが大好きなんだね。で、なんで唯華ちゃんは最近来てくれなくなったの?」


 少女たちの話は再び戻って、僕とユイカの話題になる。


「いや全然分からない。それで聞きたいんだけど君らはお父さんのこと無視してたり避けてたりするの?それが普通かな。」

「あーあ、そういうことか。やっぱ恥ずかしいよね、いつまでもお父さんと一緒にいるのは。」

「…中学生くらいからあんまり話さなくなりました。」

「私も父とはあんまりお話しませんね。父が単身赴任してるってのもあるんですが。」


 少し気になったことを聞いてみたら、異口同音に父とはあまり一緒にいないと返してきた。

 そうするとやっぱりお互いがお互いを一番大切な人として大切にしている僕たちはおかしいのだろう。彼女らの言う通りなら最近のユイカがこうして僕を避けていればいずれは父親との間に溝が生まれ、ちゃんとした父と娘になれるのかもしれない。

 でも僕は……嫌だった。



キンコンカンコーン

 休憩を切り上げて作業を続けていると昼休み終了十分前を告げるチャイムが人の少ないこの建物にも響き渡った。


「じゃあそろそろ片付けて教室に戻ろう。結構進んだし、あと数日作業すれば終わりそうだね。」

「はい!教室の使用許可ありがとうございました。」

「先生ありがとね!」

「…ありがとうございます。」


 そう言いながら中野と山田は看板を二人で持って、一ノ瀬は絵具を持って三人仲良く木工室を出て行った。僕も忘れ物がないかを軽く確認してから職員室へと戻ろうと机に置いたカギを持ち特別教室を出ると、


「あの、先生。」


 絵具を持ったまま、木工室前の廊下には先ほど出て行った一ノ瀬が立っていた。


「どうしたの?教室に戻ったのかと思ったんだけど。何か忘れ物した?」

「いえ、そうじゃないんですが。」

「?」

「あの、おかしなこと言ったらすみません。先生に子供がいるなんて思っていなかったからびっくりしたんです。先生の奥さんは亡くなってるって聞いてたし。」

「…」

「それにこの間娘さん、ううん桜井唯華さんと会って、私よりずっと先生に近いんだなって思って…。」

「近い?何のこと?」

「あ、すみません。ただの妄言です。」

「どうかしたの?何かあったらいつでも相談乗るけど。」

「相談…ですか。そうですね。」


 一ノ瀬はさっきまでの困ったような辛そうな顔をいたずらっぽく変えて僕を真っすぐ見つめた。


「五月末の中間試験のために、また放課後に数学の勉強を教えてもらってもいいですか?」

「それはもちろんいいけど。」

「ありがとうございます!それじゃ私、頑張りますね!」

「お、おう頑張れ。」


 ありがとうございました、と再び頭を下げると一ノ瀬は今度こそ軽やかに教室へと戻って行った。


「一体どういうこと?」


 僕はあっけにとられながら彼女の後姿を見送る。

 その時の僕は気付いていなかった、僕のことを陰から見ている人がいたことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ