10.今の私を見て欲しい
「ユイカ…」
私を呼ぶどこか懐かしく優しい声と、すんと微かな振動と共に私の寝ているベッドに誰かが腰を下ろした気配を感じて、私は少し重たいまぶたをゆっくりと開けた。
枕元に座っていたその人は、私の名前を呼びながら優しく私の前髪を撫でている。
「レナ…おねーちゃん…?」
「あら、おはようユイカ。もう起きたの?まだ四時よ。」
横になったまま両手を万歳して私は軽く伸びをした。多少動いたことで寝ぼけていた頭も少し働きだす。
「ん…。そういうレナ姉さんだって、こんな時間にもう起きてるじゃん。」
「私は朝早くに帰らないといけないからね。その準備よ、準備。」
「準備するなら私の部屋には来ないでしょ普通。」
「可愛い姪っ子の顔を見て、今週の思い出にす・る・の。」
「ちょっと意味分かんない。」
「ふふふ。」
私の髪を撫でて微笑んでいたのはシュンくんの妹で私の叔母のレナ姉さん。昨日の夜に酔っぱらって家にやって来て、そのまま一晩泊めていたのだった。昨晩は酔っ払って真っ赤だった顔も今ではすっかりいつもの通りになっている。
準備するといってるのにちょっかいを出してきて一向に何かしようとする気配を見せない姉さんに、私はあきれてため息をひとつ付いた。
「はぁ。ってかレナ姉さんって相変わらず酔うのも早いけど酔いがさめるのも早いよね。内容はアレだけどもうちゃんと話せてるし。二日酔いとか大丈夫なの。」
「大丈夫大丈夫。私は寝るとすっかり良くなるから。」
お酒は飲んだことがないのだがそんなものなのだろうか。テレビの知識を信じるなら飲んだ翌日は二日酔いするというし、少なくともシュンくんはお酒を飲むと三日間はふらふらして頭を押さえている。でもまあ、いつもと違う弱ったシュンくんもそれはそれで素敵なのだが。
「シュンくんとは違うんだね。…さてと。」
頭を撫でていた姉さんの手が束の間止まったのを感じて、私はベッドから半身を起こした。暖かくなってきてから下着で寝ている私はその姿のままでベッドから出て勉強机の方に歩いていき、机上に置いてあった小さな鏡を見ながら手櫛で軽く髪をとかした。これからまた横になりには行くが、好きな人の所に行くのだから、すこしでも可愛くしておきたい。
そんな私の背中を見ていたらしいレナ姉さんは鏡越しに私の顔を見ながら尋ねてきた。
「ねぇねぇユイカ。私の買ってあげたその下着は、兄さん何て言ってくれたの?」
「え?何も。」
「えーつまんなーい。折角新しく入ったユイカに似合う、兄さん好みのブラとショーツを選んであげたのに。」
十歳ほど年上の母親代わりでもある姉さんの、子供のような不満声を聞き流しながら、私は自分の下着を見た。黒い布地にレースのフリフリが付いたブラとパンツ。どちらも高校入学祝いとして姉さんからプレゼントしてもらったものだ。高校生には少し背伸びしすぎじゃないかというこういった下着を、私は姉さんに言われて身に付けている。
中学二年生の頃から急に胸が大きくなった私は、それまで着けていたスポーツ用のものではきつくなってしまった。いくら好きな人だとは言っても流石に男のシュンくんに相談するのには抵抗があったので、当時の私はそのことを今日のようにたまたま家に泊まりに来ていたレナ姉さんに相談した。真っ赤になって助けを求めた私に対して、姉さんは分かった、私に任せてよと心強い返事をくれたのだった。
手持ちのものでは胸が収まらないし、何よりも学校で男子や先生からの下の方に感じる視線が嫌だった私は学校で恥ずかしい思いをすることももう無いと安心した。
しかしそんな思いは間違いだったとすぐに思い知らされることになる。
その数日後に姉さんは楽しそうな顔をしながら紙袋を持ってきた。恐る恐る中を覗くと、その中にはそれまで洋服屋さんの下着コーナーでは見たこともないような下着が数着分入っていた。
「兄さんをオトす為の道具を買ってきたよ。ユイカに全部あげるからね!」
そう言って姉さんは楽しそうに袋の中身を出して、その場で試着会を始めた。中にはどう見ても紐にしか見えない、下着としての機能を疑うようなものもあり、それを着せられて鏡の前に立たされたときは、恥ずかしさで火がつくかと思った。隠れているのかいないのか分からない局部は羞恥で熱くなっていた。
「こういう大胆なのが兄さん好みなんだよ。」
「で、でもこれ…」
「こういうの着ているときのユカ姉さんはすごかったなぁ…。文字通り勝負してるっていうか(笑)」
「あ、あのレナお姉ちゃん。もう恥ずかしいのはいいよぅ。もっと普通のはないの?」
「普通の?あぁこれなんかおしゃれでいいと思う。」
「こ、こんな怪しい色した上下繋がってる下着なんて無理だよぉ!!」
結局、その時は私でも恥ずかしくない布面積の広い下着だけもらうことになった。ただその後もちょくちょくそういった類いの下着が送られてきて、私の部屋には使われることのない大人の下着が、少なくない数仕舞ってある。いらないと言えば良かったのだが、私のために選んでくれたことと、渡されるときに姉さんの言っていた兄さんはこういうのが好きだからという言葉が忘れられなかったので結局なんだかんだ受け取ってしまったのだ。
「だいたい兄さんも兄さんだよ。ユイカがこんなアラレもない姿で誘ってるのに、可愛いの一つや二つも言わないなんて。なんて甲斐性なしだ!」
「私は別にいいけど…。」
「だめだよ、そういうのは。折角見せるために着てるのに。」
「見せるためって、そうだけど…。」
「というわけで今日は私も着いていきまーす。」
「え?」
「ユイカたちのイチャイチャに私も混ぜてもらうー!」
「だ、駄目だよ!」
「いいからいいから。邪魔はしないし見てるだけだよ♪」
彼とは二人きりになりたかったので渋る私の手を掴むと、姉さんはあの人の寝ている部屋へと引っ張って行った。
「そういえばさ、兄さんのベッドの下は大丈夫なの?」
「え?」
薄明りの点いたシュンくんの部屋で姉さんは面白そうに笑ってそう言った。部屋に入るなりいつものように部屋にこもった彼の匂いを胸に吸い込みながらベッドに近づいていた私は、一時停止して姉さんの方を見た。
今日が休日であることに加え、普段彼が起きるよりもだいぶ早い時間なので彼はベッドの上で穏やかな顔で眠っている。
「だから、ベッドの下。男の人ってエッチな本とかをベッドの下に隠しておくって言うでしょ?兄さんはどうなのかなって。」
「しゅ、シュンくんは私がいるからそんなものないよ!」
シュンくんはそんなことしない、そう信じたいのに私の目はどうしても先ほどよりも低い場所に向いてしまう。
「あれ、もしかしてユイカ知らないの?見といたほうがいいんじゃないのー?ユカ姉さんも結構そこら辺は頻繁に見てた気がするよ。」
「母さんも…?」
自分の母親もそういうことを気にしていたのか。確かにシュンくんも旦那さんである前に一人の男の人だ。かっこよくて大人で、彼は同級生の男子たちとは違う。彼に限ってそんなことは無いと思うが、もしかしたら妻に隠して何か後ろ暗いことがあるかもしれないから確認は必要だろう。自分の中で無理やり納得して私はベッドの手前で腰をかがめた。
「い、一応確認だけする。なんかあったら私泣くけど。」
「あはは、その時は兄さんのこと煮るなり焼くなり好きにしなさい。」
「煮るなり焼くなりって……あ、なんかあった。」
「え!?」
恐る恐るベッドの下にあったものを引っ張り出す。触り心地から少し薄めの本のようだった。
「ビンゴ!これって結構まずくない?」
「ま、まだ分かんないもん。シュンくんはエッチな本とか読まないし…!」
「…あれ?でもなんだこれ。」
まさかの発掘物に興味津々の姉さんと共に恐る恐る取り出してきたものを見る。それは無地の表紙で厚さや大きさはちょうど私が学校で使っている大学ノートくらいの本だった。
「確かに本だけど。え、エ…ッチな本てこんな感じなの?」
「ううん。こんな地味なものじゃないんだけどなぁ。ね、中身も確認しない?」
「わ、分かったよ…。」
二人して恐る恐る一ページ目を開いた。果たしてそこに写っていたのは…。
「わ、私?」
そこに写っていたのは小学校の入学式で行進している私。一年生の動物園への遠足で動物を撫でている私。次のページをめくれば運動会でダンスをしている私。次も、その次のページも私の写真で一杯だった。
姉さんは更にぱらぱらとめくって、六年生の修学旅行で北海道に行った時の写真が貼ってあるページを開いてじっくり見ながら言った。
「兄さんがベッドの下に隠してたのはユイカのアルバムだったんだね。これって友達が撮ってくれたの?」
「ううん。一緒にカメラマンの人が来てたんだ。で、後で撮影した写真を販売してくれるの。たぶん運動会と卒業式もそうだと思う。」
私の説明を聞いている間に姉さんはさらにページをめくっていき、ついに中学生の時に撮られた写真に変わった。
「シュンくんがこんなに写真を持ってたことはびっくりしたけど、でもなんでベッドの下なんかに隠してたのかなぁ?」
「恥ずかしいからじゃない。こんな、集めるようにユイカの写真を持っていることが。」
「??」
「分からないならそれでいいと思うよ。とりあえずエッチな本じゃなくて良かったわね。それじゃそろそろ私は自分の部屋に戻ろうかな。」
「うん。じゃ、またね姉さん。」
レナが出ていくことも確認せずに私は彼の頬を撫でて、鼻の先に優しくキスした。ずっと部屋の中にいてようやく彼に触れた喜びで体が震えてくる。そのまま頬から頭に手を添わせ、頬、額、唇の横とついばむように口付けした。
「シュンくん疑ってごめんね。好き…。」
「zzz…」
次第に体が熱くなり、息も荒くなってくる。胸の奥の熱い炎に導かれるように、そのまま私は……
「ねえねえユイカ。」
「うっひゃう!?ね、姉さんまだいたの?」
「まだいたの、は酷いなぁ。じゃなくてユイカ、キスだけで終わりなの?」
「だけって、キスで終わりじゃないの?……ぁ。」
恋人とは一緒のベッドで寝てキスしたりするものだと思っている。偶に誘惑してドキドキさせるのもいいがやっぱり好きな人とはキスがしたい。しかし一緒に寝たいと言っても断られる私は、だからこそ毎朝こうして通っているわけで。勿論その先ができたらいいとも思っている…一応……。
「あ、赤くなっちゃった。まったくユイカはおませさんなんだから!そうだなぁ…例えばね、私なら好きな人の耳を舐めたりするけどねー。」
「み、耳っ?舐めるの?!」
「そう、好きな人の耳を舐めるのは恋人なら誰でもやってるよ。」
「でも…。」
「ほらほら。やってみれば分かるけど、そんなのぜーんぜん普通だって。」
「うん。」
いつものように、騙されているのか分からないまま、姉さんの言うことに従う。実際、キスだけでは収まらない胸のドキドキは、より恥ずかしいことをすれば治まるような気がしたのだった。私は横向きで寝ている彼の耳に口を近づけた。そして、そっと耳たぶにキスをした。
「ん…。姉さん…これ結構恥ずかしいよ。」
「大丈夫。きっと兄さんは喜んでくれるよ!」
「でもー…」
「ユイカがやらないなら、私がやっちゃおっかなぁ。兄さんの寝顔、可愛いし。」
「わ、私がやるから!」
そう言って彼の方を向き直る。薄明りの下で幸せそうに眠る彼が少し憎らしい。子供の頃からずっと見ていてくれているのは分かった。それはとても嬉しい。でも私もいつまでも子供ではないのだ、大人になった今の私を見て欲しい。そう思いながら、少し躊躇して、耳に舌を近づけて一舐めした。
「はむ…ちゅる、ちゅる……ちゅ。」
「んん…」
「あむ、むちゅ…ぴちゅ。シュンくん…いいよぉ。はぁはぁ、耳たぶ…好き。ちゅぱ…」
「れろ…。あんむ…ん。…私のよだれで、シュンくんこんなに汚しちゃって…。ごめんね、ごめんね。でも止まらないの…。好き、れる…。」
一度始まったものは止まらない、それはどこまでも押し流していく海の波に身を任せるかのように。舐めるという行為が本来の意味を見失っている中、私は自分が何を呟いているのかさえ分からず、ただ愛しい人の耳を一心不乱に舐め続けた。
どれだけの時間が経ったのだろうか。さらに深いところにまで行こうとした時、彼の頭を挟み込むように枕を押さえていた両手が強く握りしめられた。
「…え?」
「えーと、ユイカ。おはよう?」
私を見ているのは寝ぼけ顔のまま、それでも困ったように微笑む彼。それまで抑えられなかったはしたない自分の行動を、一番見られたくない人に見られたという事実に、私の頭は真っ白になった。




