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八時限目 身の丈を想え(その1)

本日一話目。

今回と次回はシリアス回。





 両親が死んで、俺と雅の二人だけが取り残されてしまったのはもう一ヶ月も前だ。それとも「まだ」一ヶ月しか経っていないと考えた方がもっと適切と言えるだろうか。

 全ての事の始まりは、それから更に数週間前に遡る。

 始まりの日は、妹の雅が熱を出して寝込んでいた以外は何の変哲も無い一日だった。

 いつもの休日どおり朝はいつもより遅い時間に起きて、朝食から不仲の両親の気まずい空気に文句を言って部屋に篭った。ジュニアハイも卒業してハイスクールへの入学を控えて、普通なら新生活への期待に胸を膨らませて居る頃。しかし俺は朝から両親の様子に苛立っていた。

 毎日の様に続く口論。ヒステリックな母親の叫び声に、怒鳴り散らすわけでもなく、だが静かに怒りを口にする父親の声。俺が幼い頃に目撃していた仲睦まじい様子は無い。だが両親の喧嘩自体は特段珍しくはない。

 喧嘩しても一晩寝れば、大概は仲直り出来ていたが今回の不仲はこれまでよりも長く続いていた。雅が体調を崩したのもそれによる精神的な不調が一因だったんだが、それを知っても尚、両親の諍いは治まる様子は無かった。それが俺は腹立たしかった。

 何とかしなければ。

 思い立った俺は、卒業前から両親を仲直りさせる計画を立てた。それは雅の為でもあり、そして俺の為でもあった。

 これまでに貯めていた小遣いと、卒業して出来た時間を使って中坊でも出来る簡単なバイトをして貯金を増やし、家族での旅行を提案した。両親は嬉しさと気まずさが混ざった微妙な表情をしていたが、すでに俺は断られるのを想定してホテルの予約やチケットの手配を済ませていたので、強引だとは思ったが両親に仕事を休ませて家族旅行を実行させた。

 両親が本来優しいのは、これまでの十五年で十分に分かっていた。口論自体も決して俺ら兄妹が居る場所ではせず何とか表面上だけを取り繕っているだけだったが、どんなに不仲でもそういった配慮だけはしてくれるくらいには俺らに気を遣ってくれていた。

 それに、二人共本気で相手を嫌っているとは思ってなくて、ただ些細にすれ違っただけで、俺らを含めた家族で一緒に時間を過ごしてくれればまた元の仲の良い両親に戻ってくれると信じていた。

 そしてその目論見は成功だったと言えるだろう。

 雅の体調だけが気がかりだったが、アイツを家に置いていく、なんて選択肢は始めから存在しない。

 幸いにして旅行初日は妹の体調も良く、アメリカ東海岸の有名な観光地を楽しく巡ることができた。レンタカーの中の両親は、初めこそ微妙なぎこちなさがあったが、言葉を交わす内に次第に笑い合うようになり、楽しい一日となってくれた。

 家族で写真を撮り、ショッピングを楽しみ、美味しい名物料理に舌鼓を打ち。

 父が笑い、母が柔らかく微笑み、妹も久しぶりにはち切れんばかりの笑顔を見せて。

 その様子を見て俺は、「思い切ってやってみて、本当に良かった」と本気で思った。旅行は大成功だと、胸を張って言えると思った。

 だがそれが間違いだと気づくのには、それ程時間は掛からなかった。

 二日目の移動中、また些細な事からケンカになった。正確な原因は今となっては分からない。だが車の中でうたた寝をして俺が眼を覚ました時にはすでに車内は微妙な雰囲気になってしまっていた。

 何を言えば良いのか。誰を責めればいいのか。誰を宥めればいいのか。原因も何も分からない俺は、ただ俺自身が殊更に明るく振る舞うくらいしか出来ず、せっかくの旅行も、気がかりのせいで何処をどう回ったのか殆ど覚えて無かった。

 そしてその晩からまた妹が体調を崩した。

 熱を出して寝込み、翌日になっても体調は回復せず、流石に親父もお袋も心配そうに雅の面倒を見ていたんだが、雅はせっかくの旅行が自分のせいで台無しになるのは申し訳ないと思ったんだろう。


「私は大丈夫だから、お母さん達は楽しんできてよ」


 熱で上気した顔で、辛いだろうに笑顔を浮かべて俺達を雅は促した。俺は勿論、親父もお袋も雅を一人残していく事を心配して渋ったが、逆に雅に付きっきりになる方が雅にとって負担になる、ということで俺達だけで旅行を続ける事にした。念のためにホテルの従業員に様子を定期的に見るようお願いだけはしたが。

 幸いにしてこの日はホテルを拠点にして、日帰りで近場の観光地を巡るだけの予定だった。なのでここは雅が羨ましくなって早く元気になるくらい楽しんでくるか。そしてお土産を買ってプレゼントでもしてやるか。

 楽しむことを誓って、俺達は雅を置いて旅行に出かけた。

 結果的にそれは、雅にとって正解だったのかもしれない。

 そして――親父とお袋にとっては最悪の旅行となった。


 その日は朝は快晴だった。妹の事が、やはり気がかりではあったが、それでも楽しく各地を巡る事はできた。親父とお袋も、ここに来て諍いを続けるのは愚かだと思ったのか、それとも単純に楽しかったのかは分からないが、仲良く楽しんでくれているようだった。

 だが天気は突如として悪化。一通り目ぼしいところを回ってホテルへと帰る段階になってからだが、帰り道ではすでに大雨どころか豪雨になっていた。

 走る車をけたたましく音を立てながら雨が打ち据え、フロントガラスを拭くワイパーが右へ左へ忙しなく移動する。

 車は山道の急カーブを走りぬけ、その中で揺られながら、どうしてだか胸騒ぎを覚えていた。

 稲光が暗くなり始めた空を白く染めた。何度も雷鳴が響いて、雨脚は更に強くなる。まだ強くなるのか、と俺は初めての経験に驚きを以て窓の外を見ていた。

 その時だった。

 俺の足元が急に光った気がした。顔を外からそっちに向ける。だが足元を振り返った時には、光はすでになく、気のせいかと俺は首を傾げた。

 その直後、衝撃が突然襲ってきた。激しく横から殴られたように揺さぶられ、車の窓ガラスが割れた。濡れた土が大量に俺に覆い被さってきて息が出来ない。

 そして頭が殴られた。かと思った。上下も左右も分からないくらいに揉みくちゃにされて、気づけば車の外に放り出されていた。

 そして崖下の落ちていく車を、朦朧とした意識で眺めていた。体が冷たくなっていく感覚と、広がっていく血の匂い。崩れた土砂で塞がれた道の上に横たわりながら、意識が薄れていく中、俺は朧気に何が起きたのか察した。

 頭の中が真っ白だった。雨か涙か、それとも血か。そいつらが混じって俺の顔を濡らして、心を掻き毟った。

 体から力が抜けていき、だが俺は自分が死ぬのだと悟った。それでも俺はその恐怖よりも、生きてはいないだろう両親を想った。


 ――俺が、奪ってしまった――





「そうか……」


 仏壇の前に置かれた(りん)を鳴らすと健一おじさんは、写真の中で微笑んでいる親父とお袋に向かって手を合わせて黙祷した。

 美沙子おばさんは悲しそうにおじさんに寄り添いながら遺影を見つめ、咲は親父達の事を聞いた途端にショックを受けて泣き始めたんで、今は雅に頼んで一緒にリビングに居てもらってる。だから今はこの部屋には三人だけで、さっきまでの騒がしさが消えて神妙な雰囲気が漂ってる。静寂が、少し苦しかった。

 しばらく眼を閉じていたが、おじさん達は後ろで黙っていた俺に向き直って何事か話しかけようとしたが、立ち込める雰囲気を打ち破るのに難儀しているみたいに口をモゴモゴさせて言葉を探していた。代わりに僅かに胸を上下させて大きく息を吐いた。


「大変だったでしょう、直くん……」

「いえ、そんな……そうですね、やっぱり大変だったかもしれません」


 最初に口を開いたのはおばさんで、柔らかく、だけども悲しそうな顔をしながら俺に慰めの言葉を投げ掛けてくれた。最初は日本人らしく謙遜が口をついて出てきかけたが、しかしながら俺は、何となく「大変じゃない」と言ったら、親父達の死がその程度でしか無い気がして否定できなかった。


「事故で親父達が死んでから記憶が曖昧で……あんまり実感が無いんですよね」


 記憶が無いわけじゃない。崖から親父達が車ごと転落するのははっきり覚えているし、その後の病院での事情聴取やら帰国の手配やら俺達の学校編入の手配やら、慌ただしく何らかの手続をしていた記憶はある。ただそこら辺は、今思い出すと何かに急かされ、深く考える時間もなく動いててまるで機械みたいだった。

 覚えているのは涙を流しながら感情を失ったようにただ俺を見つめる雅の姿と、俺達を互いに押し付けようって魂胆を静かにぶつけ合う親戚たちの姿だけだ。今思い出しても腹が立って、気づけば俺は膝の上で拳を握りしめていた。


「そういえば、ウチの親父達とおじさん達って昔から仲良かったんですよね?」

「ん? ああ、そうだな。俺が友仁……お前の親父に初めて会ったのは高校の時だから、それ以来の仲だな。大学も一緒だったし、どっちかっていうと腐れ縁って言う方が近いか。就職先も、流石に同じ会社じゃあ無かったが、近場は近場だったし、何の因果か建てる家まで隣同士になったからなぁ。それを知った時は流石に驚いたぜ」

「そんなに長かったんですか?」

「そうよね。ウチの方が後から家を建てたけど、引っ越しの挨拶をしに行ってお互いにびっくりしたのを覚えてるわ。すごい偶然ってあるのねって思って、これは縁を大事にしなきゃって思って。家族ぐるみの付き合いが始まったのもそこからだったかしら?」


 凄い縁もあるもんだ。どっちも別に意識したわけじゃないんだもんな。


「親父とお袋って、昔はどんな感じだったんですか?」


 そう聞くと、おじさんもおばさんも懐しそうに眼を細めた。


「そうだなぁ……友仁は」


 おじさんは考えこむように一瞬難しい顔をしたが、すぐにポンっと手を打つと美沙子おばさんと眼を合わせて、ほぼ同時に応えてくれた。


「お人好しだったな」

「お人好しだったわね。それもとびっきりの」


 笑いながら二人は言った。どんだけお人好しなんだよ、親父。


「そこの写真みたいにいつもニコニコ笑っててなぁ。困った奴がいれば誰だって手伝ってやってたよ」

「募金を見かければ迷わずいつもしてたし、アルバイトでも急に欠員が出て代わりをお願いされたら嫌な顔は……しながらも断らなかったかしら?」

「ああ、俺が偶には断れって言っても『でもそれで店長が困るしなぁ……』なんて頭を掻いてたな。他にも自分の勉強そっちのけで他の大学仲間の一夜漬けに付き合ってやったり、突然俺が『旅行に行こうぜ!』なんて言い出しても『ん。いいよ』なんて感じでかるーくオッケー出したりな」

「ホント、よく貴方に付き合ってくれてたわよねぇ」

「へぇ……そうだったんですね」

「だがな、一度こうと決めたら譲らない頑固な奴でもあったな」

「例えば、どんな時ですか?」

「そうねぇ……アメリアさんとの結婚を決めた時とかかしら?」

「お袋と?」

「そう。二人が結婚したのは大学卒業前だったの。学生結婚って事になるんだけど、当然ながら家族親戚一同から猛反対されたらしいわ」

「そもそもアメリアさんと付き合ってるのすら俺らも知らなかったからな。突然結婚するって言われてそりゃ驚いたよ。だが流石に早過ぎるんじゃないかって俺も反対したんだが、アイツは『僕が決めたんだ。健一がいくら反対しても僕は結婚する』っつって頑として聞かなかったもんな」


 なんか、意外だな。死ぬ前は結構ケンカしてたけど、それ以外の記憶の中の親父はお袋にべた惚れで、お袋の言う事にはノーを言ってた覚えは無い。ただイエスマンかというとそうじゃなくて、意見はキチンと言ってたみたいだけど。


「じゃあお袋はどんな人だったんですか?」

「アメリアさんはなんつーか……凄い美人だったが、それ以上にしっかりした人だったなぁ」

「私も初めて会った時はびっくりしたわ……お人形さんみたいに顔が整ってるのもそうだけど、何て言うのかしら? 思わず頭を下げたくなる雰囲気を持ってたわ」

「いやぁもうなぁ。初めてアイツから紹介された時は何処のお嬢様どころか、どっかの国のお姫様でもさらってきたのかと思ったな。別に偉そうだとか言う訳じゃないんだが、お淑やかな雰囲気の中にも凛とした、なんだろうな、芯の強さが見えるっていうか、そんな女性(ひと)だった」

「友仁君を押し退けて前に出るタイプじゃあ無かったけど、ただ黙って意見を受け入れるってタイプじゃなかったかな? ダメな物はダメ、嫌なものは嫌ってはっきりいうことが出来る人だったの。だからそういう意味で私は『ああ、友仁君とお似合いだな』って思ったわ。実際結婚しても私達の心配を他所に上手く行ってたし」

「目付きはキツかったけどな」

「目付きはキツかったわね」

「……なんでそこで二人して俺を見るんスか?」


 ああ知ってたよ、俺の目付きの悪さはお袋譲りだってことは!

 分かってはいたが改めて思い知らされたお袋からの欠点にいささかとは言えないくらいに深くやさぐれた気分になりながらソッポを向いた俺だったが、不意に頭を引っ張られた。


「な、な、な!?」

「ふふ、昔もよくこんな風にしてあげたわねぇ」


 半ば強引に俺の頭を膝の上に乗せると、頭を撫でながらおばさんは小さく笑った。


「や、止めてくださいよ!」

「あら、恥ずかしいのかしら?」

「そりゃそうですよ!」


 こう見えてももう高校生だからな。子供じゃないんだし、そりゃ、いくら昔から知ってる人だっていっても女の人の膝枕なんて恥ずかしいに決まってる。ましてや、昔から遊んでた幼馴染のお母さんだからな。これを羞恥プレイと呼ばずしてなんと呼ぶよ。誰か助けてくれ!

 そうだ、おっさん!

 咲を見た俺に対してあれだけ荒ぶったおっさんならきっと今頃嫉妬の炎を燃やして俺を睨みつけてるに違いない。そして俺を美沙子おばさんから引き剥がしてくれるはずだ!

 期待の篭った眼差しをおっさんに向けた俺だったが、しかしおっさんは神妙な表情をして俺とおばさんの二人を見ているだけで何も言わなかった。

 何でだよ、と肝心な所で期待外れの行動をやらかしたおっさんに全力で突っ込もうとしたが、それよりも早くおばさんが優しく頭を撫でてきた。


「恥ずかしがらなくてもいいのよ。まだ直くんは子供なんだから」

「……俺はもう子供じゃないですよ」


 おばさんが掛けてくれた言葉を、だが俺は否定した。

 もう親父もお袋も居ない。そしてまだ小学生の雅と二人になってしまった。俺が単なる子供で居る時間が終わってしまった事くらい、頭の悪い俺でも分かる。そりゃ口では子供じゃないなんて言っても、本当の大人みたいには出来ない。世間的には背伸びくらいしか出来ないガキだろうし、出来ないことばっかりな事はこの一、二ヶ月で何度も痛感した。

 それでも――俺はもう子供じゃ居られないんだ。


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