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九時限目 身の丈を想え(その2)

今回までシリアス回。




 それでも――俺はもう子供じゃ居られないんだ。

 否定した俺の言葉を、だけどもおばさんは首を振って更に否定する。


「ううん、直くんはまだまだ子供。いえ、そうじゃないわね。直くんはまだ子供じゃないといけないの」

「そんな事は――」

「ええ、友仁君もアメリアさんも亡くなってしまった今、子供のままであろうとするのは難しいのかもしれないわ。

 二人が亡くなってから今まで、言葉にすると伝わりにくいでしょうけれど、きっと直くんは大変だったと思うの。本来なら直くんくらいの歳の子ならしなくてもいい苦労をしてしまって、だから尚更子供のままじゃ居られないって思ってるのかもしれないわね。それは立派な志だわ。ホント、咲に聞かせてあげたいくらい。

 でも――だからこそ直くんは意識してでも子供のままで居て欲しいと私は思うわ」

「……」

「子供はどうせいつかは大人になるんだからな。人生八十年として、子供のままで居て許されるのは精々二十年。どうあがいたって子供である事を捨てて生きていかなきゃなんねぇんだ。直、お前だって後たった五年しか無いんだぞ?

 お前は早く一端の大人になりたいって思ってるかもしんねぇけどな、俺も含めて大人になっちまった連中は皆思ってる。『子供の頃に戻りたい』ってな。だが、当たり前だがそりゃ無理な話だ。分かっちゃいるけど、思わずにはいられないくらいには大人も大変で、子供の時ゃ気付かなかったが、それくらい子供の時代っていうのは貴重でかけがえの無いものなんだ。

 今日、話を聞いてお前は立派だと思う。両親の急な死にも負けずに頑張って雅ちゃんをキチンと守りぬいた。こうして屋根のある家の下で兄妹で過ごせる生活を掴みとった。俺がお前の時分の時に比べりゃ十分立派な大人だ。誇っていい。

 けどな、せっかくの貴重な子供の時間をわざわざ手放して、このまま無理を続ける必要は何処にも無いんだよ」

「……おじさんとおばさんの言ってる事は分かります。だけど――」


 そうして子供に戻って、俺達は今の生活を続けていけるのだろうか。せっかく取り戻した日常を維持できるのか。そして――

 そして、そんな大それた願いを、抱いてもいいのだろうか?

 どう反論すべきか逡巡する俺を見て、おじさんは小さく嘆息すると頭を掻いた。


「まったく……親父に似てお前も相当に頑固だな」

「そう、ですか?」

「ああ、本当に――友仁にもアメリアさんにもそっくりだよ、お前は」


 そう言っておじさんは俺を見て笑って、隣でおばさんも微笑んでいるのを見て、少し嬉しくなった。


「ふふ、そうやって直くんは笑えばいいのよ。難しいことを考えないで、感じるがままに、自分の気持ちに正直に笑って、泣いて、怒っていればいいの。それが子供の仕事だもの」

「……そんなもんですか?」

「そんなもんだよ。お前、自分じゃ気づいてないかもしれんが、さっきまで相当ひどい顔してたぞ?」


 ひどい顔って、人斬りヤクザみたいなおっさんに言われたか無いわ。

 まあ冗談は置いといて、だ。


「そんなひどい顔してました?」

「今はマシだけどな。俺らに事情を話してる最中なんか、口調は淡々としてて表情は顔からゴッソリ抜け落ちてな。見てるこっちが居た堪れなくなるくらいだったぞ」


 自分じゃ気づかんかったが、おっさんの口調から察するに相当なもんだったんだろう。人の良い二人だ。そりゃこうして強引にでも膝枕してくれるくらいにも心配するわな。

 本当ならキチンと口にすべきなんだが、俺は何となく気恥ずかしくて、心の中でそっと二人に感謝の気持ちを伝えた。


「ま、そういうわけだ。せっかく直ぐ側に俺ら夫婦が居るんだ。無理して大人になろうとせずに、遠慮無く頼ってくれて良い。俺も美沙子も友仁やアメリアさんにいっぱい助けられたんだ。だからむしろ頼ってくれた方が嬉しいんだ。それに咲も居る。俺らに直接相談しづらかったらまずはアイツにだけでも相談してやってくれ。

 これはお前の為でもあるかもしれんが、俺らの為でもある。手伝ってあげたい、助けてやりたいって思ってる相手に袖にされるのも、それはそれで辛いものがあるからな。

 久々に会った人間にいきなりこんな説教されて不愉快かもしれんが、出来れば心に留めておいて欲しい。ああ、雅ちゃんにもおじさんとおばさんを頼ってくれって伝えてくれ。小学生のあの子には尚更頼れる大人が必要だろうしな」

「……分かりました」


 もう遅いから、とおっさんは立ち上がり、おばさんも最後にもう一度優しく俺の頭を撫でてくれた。昔を思い出すその感触が懐かしくて、少し涙が出そうだった。出来れば雅の頭も、今度でいいから撫でてやってほしいな。

 リビングでいい加減気持ちが落ち着いていた咲に声を掛け、玄関で三人を見送るとともに、俺は頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました。少し気持ちが楽になった気がします。

 咲も、親父達の為に泣いてくれてありがとな」

「……うん。直くん達の気持ちを考えるとあんまり良くないんだろうけど、やっぱり私もおばさん達にはお世話になったから、もう会えないんだって思ったら悲しくて……」

「相変わらず咲は泣き虫だな」

「だって……」

「咲もお前の親には懐いていたからな。こいつにも今度友仁達の話を聞かせてやってくれ。メシでも食いながらゆっくり話そう」

「あら! それはいいわね! 二人共ぜひ家に食べに来てちょうだい」

「え、でも……」


 つい渋る言葉が口をついて出かけたが、先ほどの二人が掛けてくれた言葉が頭を過って、断りの言葉を留めてくれた。

 雅が「どうするの?」とも言いたげな眼で見上げてくるが、確認しなくてもその本心は分かっている。


「いいんですか?」

「ええ、もちろん。そうだ! 雅ちゃん、みんなの晩ゴハンをウチで一緒に作らない? 私の知ってるお料理を教えてあげられると思うの」

「え!? いいんですか!?」

「ふふ、当たり前じゃない。その代わり、偶には雅ちゃんもアメリカのお料理を教えてくれると助かるわ」

「やったーっ! 美沙子おばさん大好き!」


 話がまとまるとはち切れんばかりの笑顔を浮かべて雅がおばさんに抱きつく。うむ、我が妹ながら笑顔が似合うな。やはり笑ってるのが一番だ。






――二〇一五年五月七日

――午後十一時半くらい



「ふぅ……」


 真枝家が去って、ようやく俺は湯船でゆっくりと体を休める事が出来た。温めなおした湯からじんわりとしびれる様な熱が伝わってきて、思わず声が漏れてしまう。


「やっと一日が終わったな……」


 いやしかし、本当に今日という日は長かった。転校して早々にやらかして、窓から落ちかけてダチが出来て何が何やら分からんがなし崩し的に生徒会に入会させられてバイトして帰ってきてみれば少年漫画のお色気シーンみたいな嬉し恥ずかしイベントが起きておっさんに殺されそうになったかと思えば実は昔世話になったおじさんで励ましてもらった。

 うん、訳が分からん。

 だがまあ、なんだ。


「とりあえずは……上手くやっていけそうだな」


 正直、不安で不安で堪らなかった。俺みたいな何の力もない矮小なガキが、小学生の妹と二人で生きていけるのか、不安で怖かった。雅に不自由な生活を強いてしまったり、辛い思いをさせてしまったりするんじゃないかって怖かった。だから、今日おじさんとおばさんから頼っていいんだよって言ってもらって、実はかなり嬉しかったのと同時に安心した。肩の荷がかなり軽くなった気がして、少し気が抜けた。

 湯船の湯を掬って顔に掛ける。濡れた顔から雫が落ちて水面に波紋が広がる。そこに映った自分の顔を見ると、なるほど、目付きの悪さは相変わらずだがどこと無く余裕を取り戻した感はある。こうやってみると俺も中々イケメンだな。


「ンなわけあるか」


 自分の冗談に一人で突っ込んでみる。自分で自分を恥ずかしげもなくカッコいいと言える程自分が見えてない人にはなりたくないからな。

 そうやって一人、水面に浮かぶ顔を見て、その奥にある自分の脚につけたアンクレットが目についた。右足だけを水面から上に出してそれを眺めてみた。


「これもいつまで着けとくべきかねぇ……」


 黄金色、というにはくすんだ色のそれを見ながら溜息混じりにそんな言葉が出てきた。

 物心ついた時から右足首にはめているそれは、常に俺の生活と共にある。寝る時も飯食う時もこうして風呂に入っている時も片時も外さずに着けっぱなしだ。親父とお袋が言うには、何でもお袋の故郷のお守りみたいなものらしい。常に身につけておくことでいざという時に力を貸してくれるんだとか何とか。金属製のアンクレットの腹には三六〇度グルリと良く理解らない呪文のような装飾が施されてて、小さいながらも色とりどりの鮮やかな宝石が散りばめられている。


「何があっても絶対に外すなって二人共言ってたけど」


 小さい時に悪戯心から試しに外してみたことがあったが、その時は烈火の如く怒られた。主にお袋の方から。それ以来外した事はないし、雅もその時の様子がどうもトラウマになったらしく、外そうとする素振りすら見せなくなったな、そういえば。

 そっと右腕でアンクレットを撫でてみた。当たり前だが、金属質で少し表面がくすんでいる以外は何の変哲もない普通のアンクレット――だった。


「今となっちゃ形見になっちゃったなぁ……」


 別に外したからって誰に咎められるでもなくなってしまったが、なんだろうな、今でも外そうとするとお袋に殴られそうな気がしてくる。


「これも未練、なんかなぁ……」


 死んでしまってもう二ヶ月近い。とっくの昔に死を、もう二度と会えない事を受け入れたつもりではあったんだが。

 パシャリ、と湯を俺は顔に掛けた。天井のオレンジ色の明かりが少しだけ滲んで見えた。きっと、おじさんとおばさんが、あんな言葉を掛けてくるからだ。だから少し、本当に少しだけ気が緩んだだけなんだ。

 濡れた手で顔を何度も擦ってみる。だが、何度擦ってみても電灯は滲んだままだった。

 仕方なく俺は湯船の中に頭の先まで体を沈めた。

 揺らめく水面で世界が歪み、俺は安心して眼を閉じた。その直前に口の端から気泡がこぼれて、弾けて湯の中に溶けていった。

 それを見て俺は祈った。

――夢が、覚めませんように








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