七時限目 夜は大変なことになりました(その2)
本日二話目です。
続きはまた明日投稿します。
不意にオッサンの顔がハッと驚きに染まって、俺から離れた。
「お、お前まさか……」
「やっぱりオッサンも俺に見覚えがあんのか!?」
「娘じゃなくて俺のストーカーだったのか……?」
…………は?
「どうもさっきから俺を見る目が怪しいし、娘の裸にも興味を示さねえと思ったらそういう事だったのか……」
「いやいやいやちょっと待てオッサン」
「だがダメだ! 俺には妻子もいるしそもそもがノーマルなんだ! 辛いだろうが……俺はお前の気持ちには応えてやれねぇ」
「何でオッサンに俺が惚れなきゃならねぇんだよっ! ただオッサンに見覚えがあるか聞いただけじゃねぇか! つーかその顔で自惚れんな! いっぺん鏡見てこい!」
「ンだとこのエロガキが! てめぇこそなんだその面は! ンな殺人鬼みてぇな目付きしやがって! ウチの娘どころかろくな女が寄ってこねぇぞ!」
「この眼は生まれつきだ! よけーな世話こいてんじゃねぇ!」
「健一さん? なにやって……あら? その子……」
どう考えても低レベルな口論をオッサンとしていたその時、開いた玄関の方から女性の声が聞こえてきた。
そこには髪を後ろに束ねて白いエプロンを着けた女の人が立っていた。柔らかそうな雰囲気をした、優しそうな熟年の女の人で、左手を頬に軽く当てて笑顔を浮かべながらもその眼は驚きに染まって俺の方を見ていた。
そして俺もまたその女の人を知っていた。
「み、美沙子……これはだな、別に……」
「っ! やっぱりっ! 美沙子おばさん!」
「もしかして……直くん?」
その呼び方に俺は懐かしさがこみ上げてくるのを感じた。と、同時に昔の思い出が、これまでの抵抗が何だったのかと思うほどにすっと浮かび上がってきた。
ずっと前、まだ俺が小学校に入る前にこの家に住んでた頃、よく遊びに行ってた友達のお母さん。「美沙子おばさん」って呼ぶと困ったように笑いながら「直くんから見ればおばさんよねぇ……」なんて溜息混じりに呟いてたのを覚えている。そんなおばさんの様子が何故か面白くて、わざと「おばさん」って呼んで、終いには怒らせちゃったのもいい思い出だ。
少々歳は取ってしまったが、目の前の美沙子おばさんと記憶の中のおばさんの姿は殆ど変わっていない。同じ柔らかい笑顔を浮かべて俺を見ている。そして――
「この場合、『健一さん×直くん』かしら?」
「「ちがうっ!!」」
相変わらずこういう思考をする人だった。
「あらあら、冗談よ冗談。さすがに私も旦那と娘の友達をカップリングさせるなんて事はしないわ」
(嘘だ……!)
(絶対本気だったろ、美沙子……!)
当時から度々そういうことを口にする人だったよ、そういえば。
勿論当時はまったく意味が分からんかったが、後々で意味を知って本気で戦いた。優しい大人の女の人の闇の部分を知った気分だったよ。
それはともかく。
「直って……もしかしてお前、武内の息子の……!」
「はい! ご無沙汰してます、健一おじさん」
昔懐かしの知り合いと分かれば、目の前の強面も自然と何とも思わなくなってくるから不思議だ。頭から俺の頭を噛み砕かんばかりだったおじさんの勢いも、俺が「昔、よく遊びにきてた子供」だと気づいて削がれて、「はぁぁ……」なんて感嘆とも呆れとも取れそうな溜息を吐きながら俺を眺めている。
「そうか、武内ン所の直くんだったか。いやぁ、立派な男に成長したなぁ!」
そうしてそれまでとは雰囲気が一転。「ガハハ!」などと豪快に笑いながらおじさんは背中をバンバンと叩いてくる。アンタ、さっき散々俺の事を「エロガキ」呼ばわりしてただろ、とは突っ込まない。俺ももう良い大人なんでな。
と、そこでリビングのドアが開いた。
「もう、さっきから何騒いでるのよお兄ちゃん……ってあれ? お客さん?」
「こっちが直くんって事は……もしかして雅ちゃん? 昔お隣さんだった真枝・美沙子だけど、覚えてるかしら?」
「美沙子……美沙子……美沙子さん!?」
我が妹も思い出したらしい。おじさんとおばさんの二人を見て怪訝な顔を浮かべていたんだが、俺共々よく遊んでもらった隣人だと気づくと一気に破顔して美沙子おばさんにツインテールを靡かせて抱きついた。
「うわぁ……ホントに美沙子おばさんだぁ……!」
「ふふ、お久しぶりね。そんなに私変わってないかしら?」
「全然変わってないですよ! 会ってすぐ美沙子おばさんだって分かりましたもん!」
「ありがとね。そういう雅ちゃんは随分大きくなって。もう何年生になるのかしら?」
数年ぶりというブランクを感じさせずに雅のやつはおばさんとの話に花を咲かせ始めた。最後に会ったのはまだ雅が四歳くらいの時だったはずだが、相変わらず妹の社交性は高いな、などと、何の屈託もなく旧交を暖める妹の姿が少し羨ましく思った。
しかし、隣が昔馴染みの人が住んでいる家、ということはもしかして俺がさっき裸を見たのは――
「あ、そうだ! 私達だけ直くん雅ちゃんと再会を楽しんじゃダメよね? ちょっと待ってて、今すぐに娘を呼んでくるから!」
おばさんは一方的に俺達にそう言うと、小走りで外に出て行った。そして程なくして戻ってきたのだが。
「ちょっと、お母さん!? そっちはさっきの痴漢が住んでる家じゃない!?」
「いいから、いいから」
どうやら連れてきた誰か――まあおばさんの娘だが――が、いざウチの玄関に入ろうというところで抵抗しているらしい。あと俺は痴漢じゃない。
が、そんな抵抗も虚しく、玄関ドアが大きく開け放たれ、その向こうで先ほど俺が窓越しに見た女の子が明らかに困惑していた様子で立っていた。
「さっきの痴漢男……!」
「違うっ! さっきのは不可抗力だ!」
忌々し気に俺を見つつの第一声に凹みつつも全力で否定する。ここだけははっきりさせとかないとな。
と言いつつも俺の顔はきっとまた赤くなっているだろう。さっきは裸を見てしまった焦りだったが、今はどちらかと言えば気恥ずかしさか、はたまた気まずさか。どうやら向こうは俺の事に気づいていないみたいだが、俺は目の前の少女が誰であるのか、ハッキリと思い出していたのだから。
そんな俺達の間に流れる、決して(一方的に)友好的でない空気を察したか、美沙子おばさんが少女の背中を押してくれた。
「覚えてる? 昔一緒に遊んでた武内・直くんと雅ちゃんよ」
「え――?」
おばさんから俺達兄妹を紹介され、思い出したんだろう。彼女の顔が最初驚きに染まって、次いで少しずつ敵意が薄れて代わりにコイツの顔にも気恥ずかしさが沸き上がってくるのが見ていて俺にも分かった。
「な、直くん……?」
「よ、よう、――咲。久しぶりだな」
挨拶を交わす俺と咲。約八年ぶりの再会。互いに一言ずつ言葉は出るものの中々次が出てこない。
そうした中、咲は俺の姿をじっと見て不意に眼を逸らした。
あー、これはアレだな。さすがに裸を見ちまったのを気にしてんのかな。見ず知らずの男に見られるのと幼馴染に見られるののどっちが恥ずかしいのかは俺には分からんが、昔よく遊んだ仲ではあるし、ここは謝っておくべきだろう。
「あー……その、さっきは悪かったな」
「え!? あ、ああ、いいよ別に。その、わ、私も悪かったと思うし……」
「そ、そうか……」
それでまたお互い沈黙。何でか知らないが言葉が続かない。昔はもっと他愛なく話せてた気がするが、やっぱり俺も咲も久しぶりで緊張しちまってるんだろうか。
そんな事を考えながら咲の様子を伺うと、何だか落ち着きが無い風で、モジモジしながら俺を見下ろしている。
咲は、そして口を開いて俺に尋ねる。
「あ、あのね、直くん」
「お、おう。どうした?」
まさか、愛の告白とか?
「やっぱり……」
そんな訳ないと思いつつも期待してしまう俺、十六歳。思春期だから仕方ないのよ。
勝手に生唾を飲み込み、期待と不安に心をかき混ぜられる俺を前に咲が放った言葉は――
「私は直くん攻めでお父さん受けの方が良いと思うの!」
「違うんだよ、咲ーっ!」
「ちげーよ! しかもおばさんだけじゃなくてお前もかよ!? オッサンもいつまで俺の上に乗ったまんまなんだよ!」
「ぐほぉ!?」
とりあえずオッサンを殴って俺の上から下ろす。
「なら普段は『お父さん×直くん』?」
「否定したのそこじゃないから!?」
「あ、それも私、嫌いじゃないから!」
ダメだ、完全に腐ってやがる。しかも親子揃って。
「さっきから咲お姉ちゃんが言ってる『健一おじさん×お兄ちゃん』とかってどういう意味?」
「ああ、雅ちゃん。それはねー」
「うちの妹をそっちに引きこむの止めてくれませんかね!?」
普段から雅にそういう眼で見られるかと思うと家に帰っても落ち着かないからやめて欲しいです。
何故か熱心に聴講姿勢を見せ始めた雅を咲から引き剥がす。可愛い妹にいらん知識を埋め込もうとするんじゃないよ、まったく。
「しかし、繰り返しになるが直くんも本当に立派な男になったな! あんまりにも立派になってるから俺も分かんなかったよ!」
「はあ、ありがとうございます」
「直くんが引っ越した時は咲もずいぶんと落ち込んでなぁ。慰めるのに苦労したんだよ」
「誰もいない家のチャイムを毎日鳴らしに行って、その度に泣きながら帰ってきてたわよね」
「もう、二人とも止めてよ! 昔の話じゃない!」
「何を勘違いしたか、近くの神社で『直くんが早く戻ってきますようにー!』って直くんの写真を張った藁人形に五寸釘を打ち込んだりもしてたわよね?」
「さすがにあの時はご近所さんの目が恥ずかしかったなぁ……」
そんな事をしてたのか、コイツは。
「だがちゃんと帰ってきてくれたし、良かったじゃないか、咲」
「恥ずかしい姿も見られちゃったしね」
「これはもう嫁にもらってもらうしかないな!」
「いやいや! アレは事故なんですって!」
「ああ? 娘の裸を見といて責任は取れねぇってか?」
「いや、それはその……」
だからその顔で凄んでくるのは止めろって。あと咲の裸を見たのは事故だから。それに大事な所はタオルに隠されて見えてません。雅も人を変態みたいな顔で見るのは止めなさい。
妹の中での兄に対する評価がダダ下がりとなっているのを感じつつ、どうやったら雅の評価を元に戻せるかを思考していた俺だが、オッサンが顔を離してキョロキョロとウチの中を見回し始めた。
「だが武内ン奴も水臭え奴だな。こっちに戻ってきたんなら戻ってきたって言ってくれりゃいいのに。そうすりゃ盛大に歓迎してやったのによぉ」
「戻ってきたばかりできっと色々忙しかったんですよ。それにもう八年も経つんだもの。まだ私達が隣に住んでるとは思ってなかったんじゃないかしら?」
「まあいいさ。あの時はこーんなに小さかった直と雅ちゃんが帰ってきてくれたんだ。改めて歓迎してやるさ。
しかしこんだけ俺らが話してんのに出てこねぇな。親父さんとお母さんはどっか旅行でも出かけてんのか?」
オッサンが話の水を向けてくる。
俺は顔を曇らせた。雅の方を見てみれば、アイツも思い出したんだろう、俺と同じく顔を曇らせて伏せ、眉間に皺を寄せていた。それは、アイツが泣くのを必死に堪えてる時の顔だ。
「……どうしたんだ?」
俺達の空気を察したんだろう。それまでの明るい声色から一変して、俺と雅の様子を心配してくれている口調で尋ねてきた。
……そうだな。健一おじさんと美沙子おばさんには昔から世話になってるし、親父とお袋とも結婚前からの付き合いだって聞いた事がある。二人にも、そして俺が二人に良くしてもらったのと同じようにウチの両親にも懐いていた咲には話しておくべきだろう。
「親父とお袋は」
居住まいを正して座り、俺は伝えなくてはならない事を正直に伝えた。
「死にました」
胸が軋んだ音がした。
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