装われる星座
レイが星喰いの腕を受け止めた瞬間、広場の空気がさらに張りつめた。
半透明の防壁の向こうでは、泣きじゃくる子どもと逃げ遅れた客たちが身を寄せ合っている。
その外側に立つ盾座の星喰いは、彼らを守るように巨大な腕を広げていた。
そして、そのさらに手前で、レイが母親を庇うように踏みとどまっている。
子どもを守るために張られたはずの壁は、今やその子ども自身を閉じ込める檻になっていた。
「星象庁だ!今すぐ転星を解け!!」
鋭い声が飛ぶ。
次の瞬間、広場の床を蹴って飛び込んできた影があった。久我ハルだった。
紫がかった光を纏い、蠍座の転星体がカラス座の転星者へと一直線に迫る。
カラス座の男は舌打ちし、飛び退いた。
「……やっと到着かよ」
「あ~らら、レイくん好き勝手してんねぇ」
レイのぼやきに軽く返すハル。しかし、ハルの目には笑みがなかった。
そのすぐ後ろから、橘ユウゴが現れる。
山羊座の光を薄く滲ませたまま、現場を一目で見回した。
「どんな状況だ」
ユウゴの短い声。ミオが息を乱したまま振り返る。
「警備員の人が……星喰いになって……!子どもを守ろうとして、壁を作って……」
「天宮は」
「あそこにいる……!」
その返答に、ユウゴの表情がさらに険しくなる。
ユウゴは領域と、領域近くにいる星喰いとレイを順に見た。
視線だけで全体を組み立てるように。
「……防衛対象が固定されている」
「固定?」
いつの間にかその隣まで来ていた小坂ヒナは、天秤座の星珠を握ったまま防壁を見つめていた。
「領域型だな。しかも内側優先の防衛構造だ」
ユウゴは短く続ける。
「外から破壊するのは非現実的だ」
「防壁と同時に内側の圧力が崩れる。下手をすれば、中の人間ごと潰れる」
ヒナの顔が強張る。
「そんな……じゃあ、どうするの?」
「内部から崩すしかない。だが――」
一瞬だけ、ユウゴの視線がレイへ向く。
「一般人を巻き込まずに、内側から崩す術はないだろうな」
「それって……」
「リスク覚悟で外側から叩く。もしくは――」
「星喰い本体を止めるしかない」
「あの人は子どもを守ろうとしてやってるのに、そんな……」
ミオが小さく言う。
「……倒すしかないってこと?」
ヒナが小さく声を震わせる。
ユウゴは即答しない。領域の内側を見たまま、低く言う。
「最悪の場合はそうなる」
「そんなの……」
ミオの喉が詰まる。
子どもを守ろうとしていた人が、子どもを守ろうとして壊れて、それで最後は倒されるしかないなんて。
「助ける方法はないの?」
問いかけるようなヒナの声に、ユウゴは短く息を吐いた。
「あるなら最初から言っている」
冷たい言い方だった。
だが、それが現実なのだと分かるからこそ、ミオは何も返せなかった。
「あの星喰いに状況を考える理性は、もうない」
ユウゴは低く続けた。
「本人の中では、“子どもを守る”ことを実行することしか行動原理にない」
ミオの胸が痛んだ。警備員は確かに守ろうとしていた。
自分たちにも、下がってくださいと言って、一般人として庇っていた。
それが今は、こんなふうに歪んでいる。
「ハル、カラス座を抑えろ。ヒナは避難誘導だ」
「了解~」
「うん!」
ユウゴは最後にミオを見た。
「白峰、お前は下がれ」
「でも……!」
「今のお前では足りない」
冷たい言葉。だが、それが事実だと分かってしまうのが痛かった。
ミオが言い返せないまま立ち尽くしていると、カラス座の転星者が甲高く笑った。
「仲間割れかぁ?国家の犬って仲悪いんだなぁ~!」
「黙れ」
ハルが一気に距離を詰める。
「大人しくしてほしいなっと!――毒穿!!」
蠍の尾のように伸びた光が閃き、カラス座の転星者の脇腹を掠めた。
男は舌打ちしながら身を翻し、羽片のような黒い刃をばら撒く。
ハルは軽やかに躱す。
だが、羽片が当たった柱の一部が、まるで表面だけ削ぎ落とされるように白く砕けた。
「うわぁ、いやらっし~」
ハルが顔をしかめる。
「ユウゴ!こいつ、やっぱ“削ってる”!」
「奪っているんだろう。防御、硬度、あるいは星珠による構造そのものを」
ユウゴは即座に答える。
「長引くと不利になるぞ」
「分かってる、って!」
ハルは再び踏み込んだ。
その一方で、レイは盾座の星喰いと向き合っていた。
巨大な腕が振り下ろされる。
レイは咄嗟に横へ跳ぶが、振動だけで床が砕け、破片が飛ぶ。
「っ……!」
肩に痛みが走る。さっき受けた一撃のダメージは、まだ消えていない。
それでも退けない。背後には閉じ込められた子どもの母親がいる。
「守ル……」
星喰いが低く唸る。
「コノ子ハ……守ル……」
「それで守ってるつもりかよ……」
レイは息を荒げながら言い返した。
「閉じ込めて、傷つけて……」
返ってくるのは、軋むような音だけだった。
言葉は、もう届かない。
星喰いの腕が再び持ち上がる。
レイは歯を食いしばり、拳を握り込んだ。
右手の奥で、黒い何かが暴れている。
任務のあとから残っていた“流れ”。
それが今、明確な意思を持ったように脈打っていた。
――出せ。
そんなふうに、急き立てられている気がする。
レイはその感覚に抗うように右手を押さえた。
だが押さえ込めば押さえ込むほど、体の内側で何かが膨れ上がっていく。
骨が軋むような感覚。
熱とも痛みとも違う、もっと不快な圧迫感。
「……っ、は……」
呼吸が乱れる。
その異変に、外から見ていたヒナが気づいた。
「ユウゴ、レイくんの様子が変……!」
「……分かっている」
ユウゴもまた、領域の内側でレイの右腕に集まっていく黒い気配を見ていた。
転星ではない。星喰い化とも違う。
だが、明らかに通常の反応ではない。
「なに、あれ……」
ハルがカラス座と打ち合いながらつぶやく。
「分からん。だが――」
ユウゴの言葉を遮るように、領域の内側で星喰いが踏み込んだ。
巨大な腕が横薙ぎに振るわれる。
レイは身を沈めて避けたが、風圧だけで頬が割れた。
割れた部分から星空のような黒いもやが流れる。
次の瞬間、レイの右腕に走る黒い線が、肩口まで一気に広がった。
「……!」
痛い。違う。
これは単なる痛みじゃない。
体の中に溜まっているものが、出口を失って暴れている。
押さえつけているだけでは、内側から壊れる。
レイはその直感を理解した。
――また壊すのか。
頭の奥で、あの夜の光景がよぎる。
自分の手で、何かを壊した感触。
止められなかった衝動。
気づいたときには、もう終わっていた。
あれが、また起こるのか。
それでも、このままでは――
「……守れない」
喉の奥で、言葉が擦れる。
守るためには、壊さなければならない。
壊さなければ、守れない。
その理不尽さに、歯を食いしばる。
それでも――拳を握る。
あの夜も、きっとこんなふうだった。
止めなければならないと思った。強くなりたいと思った。
けれど、その先で何を壊したのか、自分はまだ全部を覚えていない。
強くなるという願いは、いつも何かを壊す方へ傾く。
それでも今、目の前で守られようとしているものがある。
母親の手も、泣いている子どもの声も、閉じ込められた人たちの息遣いも、全部ここにある。
守るために壊すしかないなんて、そんなの間違ってる。
間違っていても、今はやるしかない。
「……だったら」
レイは右手を強く握り込む。
「壊すのは――俺で終わらせる」
けれど。
この星喰いは、守ろうとしていた人間だ。
子どもを守るために、こんな姿になってしまった警備員だ。
そこで迷った、その一瞬だった。
黒い流れが、今度は胸元まで逆流した。
「が……っ!」
レイの体がびくりと跳ねる。
骨の内側からひび割れるような感覚。
呼吸が止まり、視界が白く揺れた。
「レイ!」
ミオが叫ぶ。
レイは膝をつきかけた体を、無理やり立て直す。
右腕が痙攣していた。黒い線は皮膚の上ではなく、もっと内側で暴れている。
この力は、ためらいを許さない。
出さなければ壊れる。
けれど出せば――相手を壊す。
「……ふざ、けるな」
レイは唇の端から黒いもやを流しながら、立ち上がった。
その目の前で、母親がもう一度防壁の中にいる子どもへ手を伸ばそうとする。
星喰いがそれに反応し、腕を持ち上げる。
間に合わない。
そう思った瞬間、レイの中で何かが決壊した。
黒い流れが右腕から全身へ広がる。
それはこれまでの異形の姿とは違った。
肉を侵食するのではなく、上から覆い被さるように形を作っていく。
肩。胸。腕。
夜空を閉じ込めたような濃紺の装甲が、きしむ音とともに形成される。
細い銀の線が星図のように走り、肩口で交差した。
レイ自身も、何が起きているのか分からない。
ただ、“形になってしまった”ことだけは分かった。
外で見ていたミオが、息を呑む。
「……レイ?」
ヒナも目を見開いていた。
「星座の鎧……?そんな現象――」
ユウゴは言葉を切る。認識が追いつかない。
レイはゆっくりと顔を上げた。
視界が妙に澄んでいる。
星喰いの動きが、さっきまでよりはっきり見える。
「……ッ、アアァァァ!!」
星喰いが咆哮し、腕を振り下ろす。
レイは今度こそ正面から踏み込んだ。
右腕を振り抜く。
夜色の装甲に沿って光が走り、衝撃が星喰いの身体を貫く。
星喰いへ与えたダメージが、防壁へ波及していき、強固な防壁が崩れた。
「崩れた……!」
ヒナが声を上げる。
ミオの目にも、それははっきり見えた。
崩れなかった防壁が、破れた。
レイはそのまま追撃に入ろうとした。だが、その瞬間。
目の前で、子どもを庇うように身を縮めた星喰いの姿が見えた。
守ろうとしている。
歪んでいても、壊れていても。この人はまだ、守ろうとしている。
その認識が、レイの動きを一瞬止めた。
「……くっ」
攻撃をためらった、その瞬間。
装甲の内側で黒い流れが逆巻いた。
今度はさっきよりも激しい。
胸の中心から肩へ、肩から腕へ、抑え込まれた力が逃げ場を失って暴れる。
「が、あ……っ!」
レイの体に亀裂のような痛みが走る。
装甲の継ぎ目から黒い粒子が漏れ、足元へ散った。
「レイ……!?」
ミオの声が震える。
攻撃しなければ、自分が壊れる。でも、攻撃すれば相手を壊す。
その板挟みの中で、レイの装星は明らかに不安定だった。
そして、カラス座の男はその瞬間を見逃さなかった。
「お前、使いこなせてないなぁ?お手本見せてやるよぉ~!」
カラス座の転星者が、ハルとの打ち合いを無理やり外して飛び込んできた。
――崩れかけたタイミングを、狙っていたかのように。
「しまっ――」
ハルが舌打ちする。
「星砕――」
ユウゴが重圧をかけようとした時には、もう遅かった。
黒い羽片が一直線に飛ぶ。
星座を装ったレイの脇腹へと突き刺さる。
装甲が軋み、削れる。
防御を奪われた箇所から、衝撃がそのまま体へ通った。
「っ――!」
レイの体が吹き飛ぶ。
壁際へ叩きつけられ、鈍い音が響いた。
「レイ!!」
ミオが叫ぶ。
レイは床に手をつき、立ち上がろうとする。
まだ終われない。終わらせてはいけない。
その意思だけで膝を持ち上げる。
だが、装星の輪郭が揺らぎ、黒い粒子が崩れ落ちる。
立てない。
それでもレイは、床に手をついて体を起こそうとした。
指先が震える。持ち上がりかけた膝が、また崩れる。
装星の輪郭は明滅を繰り返し、形を保つことすら苦しそうだった。
もう十分だった。誰が見ても、限界だった。
それでも前を向こうとするその姿が、ミオには痛いほど眩しかった。
どうしてそこまでして立とうとするのか。
どうして一人で抱え込むのか。
そんなことを思った瞬間、自分がずっと安全な場所で立ち尽くしていたことを、突きつけられた気がした。
どうして、レイはあそこにいるのに。
どうして、自分はここにいるのか。
同じ場にいたはずなのに。
同じものを見ていたはずなのに。
レイは前に出た。
自分は、止まったままだった。
怖かったのかもしれない。
傷つくことが。壊れることが。
でも――それ以上に。
「……独りにしてる」
その言葉が、ミオの胸の奥で重く沈んだ。
右腕が言うことを聞かない。呼吸のたびに胸の奥が裂ける。
それでもレイは、なおも前を見た。
星喰いはまだ子どもを背に守っている。
カラス座はその外側で嗤っている。
守りたいものも、止めなければならないものも、両方そこにある。
けれど、レイの体はそこで限界を迎えた。
膝が落ちる。
装星の光が不安定に明滅し、形が崩れかける。
その姿を見て、ミオの胸が強く締めつけられた。
強かった。さっきまで、確かに誰よりも前へ出ていた。
なのに今は、壊れそうなほど危うい。
助けなきゃ。
その思いは、これまでで一番はっきりしていた。
でも、足が動かない。
目の前の人を助けたい。
閉じ込められた人たちも助けたい。
子どもも、母親も、警備員も。
どれかを選べば、どれかから目を逸らすことになる。
そのことが怖くて、まだ踏み出せない。
レイは選んだ。
壊れるかもしれなくても、前へ出た。
自分はまだ、選べていない。
それが、どうしようもなく苦しかった。
もし今、自分に力があれば。
もし今、自分の願いが形になっていれば。
レイはこんなふうに、一人で壊れそうにならずに済んだのだろうか。
その背中を、支えられたのだろうか。
ミオは唇を噛んだ。
目を逸らせない。逸らしたくない。
壊れそうになりながら、それでも前に立とうとするレイの姿を、もう見過ごしたくなかった。
助けたい。今度こそ、届く形で。
けれどその願いはまだ、胸の中で熱を持つだけで、はっきりとは定まってくれない。
だからまた、手は届かない。
星喰いの前で膝をつくレイを見つめながら、ミオは自分の無力さを噛みしめる。
支えたいのに。助けたいのに。
そのための形が、まだ見つからない。
レイが壊れていく姿を見ても、
それでもまだ――自分は、動けない。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、レイの“星をまとう力”と、レイとミオの覚悟の違いを描いた回でした。
苦しみながらも戦うことを選んだレイと、それでも動けなかったミオ。
ミオの願いは、形になるのか――
次回もぜひお付き合いいただけると嬉しいです。
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