届かない手
休日のショッピングモールは、眩しいくらいに平和だった。
吹き抜けの天井から差し込む午後の光。
ガラス越しに反射する看板の色。
館内に流れる柔らかな音楽と、どこかから漂ってくる甘い匂い。
星象庁の無機質な廊下とはまるで違う空気に、レイは落ち着かなさを覚えていた。
「こういうところ、あんまり来ない?」
隣を歩くミオがそう聞いてくる。
「……来ないかな」
「私は結構好きかも。見てるだけでも楽しいし」
「見るだけで満足できるの?」
「できるときもあるよ。たまに、だけど」
そう言って笑うミオの表情は柔らかかった。
訓練室で見せた沈んだ顔よりは、少しだけ前を向けているようにも見える。
けれど、その内側に迷いが残っていることくらい、レイにも分かっていた。
ミオはショーウィンドウの前で足を止めた。
並べられたアクセサリーの一つを、少しだけ覗き込む。
透明な石が、光を受けて静かに輝いていた。
「……こういうのって、ちゃんと意味があるんだよね」
「意味?」
「願いを込める、とか。お守りみたいな。……高いものほど、そういうの付けたくなるのかな?」
ミオは少しだけ笑う。
「持ってるだけで安心できる、みたいな」
その言葉に、レイはわずかに視線を逸らした。
星珠も、似たようなものなのかもしれない。願いを形にするための核。
ただ、それは“安心するため”のものではない。
力に変わる。
そして、使い方を間違えれば――壊す。
『願いが“定まっていない”』
『適性はある。反応もしている。だが、それだけでは足りない』
ミオがユウゴに言われた言葉が、まだ頭の片隅に残っている。
体の奥に沈んだ、曖昧な“流れ”。
任務のあとから残り続けている違和感は、こうして人の多い場所に来ても消えてはいない。
レイの右手の奥で、微かに何かが揺れた気がした。
「――レイは?」
「……何が?」
「気分転換、できてる?」
不意の問いに、レイは少しだけ言葉を探した。
「……分からない」
「わからない、かぁ」
ミオは小さく苦笑する。
その目がほんの一瞬だけ、レイの右手を見た気がした。
そのときだった。
上階から、何かが砕け散るような激しい音が響いた。
続けて悲鳴が飛ぶ。館内の空気が一瞬で凍りついた。
「……っ」
レイとミオが同時に顔を上げる。
二階の通路脇のガラスが内側から吹き飛び、黒い影が飛び出した。
手すりを蹴り、吹き抜けを斜めに跳躍して、一階中央の広場へと降り立つ。
人間の輪郭を残しながらも、その身は黒い羽毛じみた装甲に覆われていた。
両腕の外縁は鋭く裂け、嘴のように尖った形状をしている。頭部の輪郭もどこか鳥めいて見えた。
転星体。
だが、その表面を走る光は不安定で、ところどころ形が崩れかけている。
「お前ら、動くなよぉ~??」
着地した影――カラス座の転星者は、宝飾店の方へ身体を向け、鋭く叫んだ。
「ショーケース開けろ。価値のあるもん寄越せ!」
店員が凍りついたまま動けずにいる。
周囲の客たちは悲鳴を上げ、一斉に逃げ始めた。
転星者が腕を振るう。
黒い羽片のようなものが散り、店頭のガラスケースが砕け散った。中の宝石が床にばらまかれる。
「きれいだなぁ……」
転星者が笑う。歪んだ、乾いた笑いだった。
「そういうの、全部持ってるやつがいるんだよなぁ……」
レイはすぐに端末を取り出した。
迷う時間はない。短く操作して発信する。
数回のコール音のあと、すぐに繋がった。
『……天宮、用もないのにかけてくるな』
ユウゴが迷惑そうに電話に出る。
「ショッピングモールで違法転星者の襲撃だ」
一拍の沈黙。向こうの空気が変わる。
『場所は?』
「アストラモールの一階吹き抜け」
『こっちは星象庁で待機中だ。すぐ向かう』
短く、即答だった。
『それまでの間、一般人の避難を優先しろ。下手に刺激するな』
「状況次第だ」
『捕縛は考えるな。勝手に動くなよ』
ユウゴの声がわずかに低くなる。
レイは一瞬だけ黙り込んだ。
「……分かった」
通話が切れる。
端末をポケットへ戻したレイは、目の前の混乱へ視線を戻した。
その直後、別方向から鋭い声が飛んだ。
「落ち着いてください!出口はあちらです、走らずに!」
人波をかき分けて現れたのは、制服姿の警備員だった。
胸元には民間警備会社のエンブレム。
その脇には、星象庁認可適合者であることを示す認証章がついている。
四十代前半ほどの男だった。顔立ちは精悍で、声に迷いがない。
「そこの二人も下がってください!」
レイとミオの方を見て、警備員がきっぱりと言う。
「ここは危険です!一般の方は避難を!」
その言葉に、ミオが一瞬だけ目を見開いた。
自分たちを、ただの一般人として守ろうとしている。その事実が、不意に胸へ刺さる。
警備員は腰のデバイスへ手を伸ばした。
「民間適合者運用コード、照合承認」
淡い光が男の身体を包み込む。
「――転星、盾座」
両肩と両腕を覆う硬質な装甲。
その輪郭は攻撃よりも守護に特化した印象を与える。
前腕部には盾のような外殻が、重々しくせり上がった。
カラス座の犯罪者が舌打ちする。
「民間まで星珠持ってんのかよ」
「ここは通さない」
短く言い切った警備員は、逃げ遅れた客を背後に庇うように前へ出た。
カラス座の転星者が突進する。鋭い爪撃。
だが警備員はそれを正面から受け止め、装甲で弾き返した。鈍い衝突音が広場に響く。
床を滑るようにして間合いを立て直し、次の一撃にも即座に対応する。
派手さはない。だが、徹底して“通さない”動きだった。
レイは逃げ遅れた子どもを抱えた女性を非常口へ誘導しながら、その戦いを横目で見ていた。
強い。少なくとも、この場では頼れる存在だった。
「すごい……」
ミオが息をのむ。
警備員は一歩も退かず、攻撃を受け止め続ける。その合間に叫ぶ。
「まだ中に人がいます! 非常口へ誘導してください!」
レイは短くうなずき、近くの客を導きながら走った。
そのとき、カラス座の転星者が床に散った宝石の一つを拾い上げ、にやりと笑った。
「やっぱり、価値あるもんっていいよなぁ」
指先で宝石を弄びながら、警備員を見る。
「お前も、この力を使えるってことはさぞ優秀なんだろうなぁ~」
次の瞬間、転星者の腕から黒い羽片のようなものが放たれた。
警備員は反射的に盾で防ぐ。
しかし――弾かれたはずのその黒片は、盾に触れた瞬間、じわりと光を吸い取るように沈み込んだ。
「……何だ?」
警備員の表情が変わる。
盾の一部が、まるで色を失うように白く削れていた。
硬質な防壁が、明らかに薄くなっている。
「奪ったんだよ」
カラス座の転星者が笑う。
「誰かを守るっていうのも、“持ってる”やつにしか出来ないもんなぁ」
次の攻撃が飛ぶ。警備員は先ほどと同じように防御する。
だが、先ほどまでのように完全には止めきれない。
その衝撃に、近くにいた客の一人が尻もちをついた。
「いや……いやだ……!」
足が震えて立てない。逃げようとしても動けない。
そのすぐ横で、別の男が必死に声を張り上げる。
「こっちだ!出口はこっち!」
だが声はうまく届かない。
人の流れは乱れ、ぶつかり合い、転び、さらに混乱が広がっていく。
守られているはずの空間が、徐々に崩れていく。
警備員はそれを見て、わずかに歯を食いしばった。
転星者の攻撃の衝撃が肩を抜け、背後のベンチが砕け散る。
「っ……!」
体勢が崩れる。そこへ三撃、四撃と黒い羽片が飛ぶ。
防御を削る。奪う。
守るための装甲そのものが、ついばまれるように剥がされていく。
「ほらほらどうしたぁ?警備員なら守らなくちゃ――さ!!」
その瞬間、警備員の脳裏を何かがよぎった。
赤色灯。怒号。泣き叫ぶ子どもの声。
もう少し早ければ。もう少し自分が間に合っていれば。
あの日、守れなかった。
「……今度こそ」
警備員の口から、知らず言葉が漏れる。
そのとき、通路の奥で小さな男の子が立ち尽くしているのが見えた。
人の流れからはぐれ、恐怖で動けなくなっている。
「危ない!」
ミオが叫ぶ。
警備員は即座にそちらへ飛び込んだ。
子どもの前に立ち、巨大化しかけた盾で正面を塞ぐ。
カラス座の転星者の攻撃が叩きつけられる。
衝撃が全身を貫く。
それでも、警備員はその場をどかなかった。
「守らなければ……」
低く、掠れた声。
「今度こそ……守らなければ……!」
視界の奥で、あの日の光景が重なる。
倒れた人。泣き叫ぶ声。
伸ばした手は、届かなかった。
間に合わなかった。守れなかった。
――同じことを、繰り返すわけにはいかない。
その思いだけが、強く、強く、胸の奥を締め付けていた。
警備員の星珠が、不穏な明滅を始めていた。
レイの表情が、わずかに強張る。
「……まずい」
次の瞬間、装甲の輪郭が歪む。
腕部の盾が軋みながら拡張し、表面が幾重にも重なり合う。
それはもはや“持つ盾”ではなく、“全身を覆う防壁”へと変質し始めていた。
肩から背中へと広がった光の板が、空間そのものを押し広げるように展開していく。
本来の転星の枠を越えたその形は、守るための構造を保ったまま、より巨大に、より閉鎖的に、外界を拒絶する形へと歪んでいった。
「守る……守る……」
次の瞬間、床を走る光の線が一気に広がった。
半透明の壁。
子どもを中心にした防衛領域が形成され、周囲の空間ごと包み込む。
近くにいた逃げ遅れた客たちが、その内側へ閉じ込められる。
「何、これ……!?」
「出られない!」
内側から壁を叩いても、びくともしない。
星喰いとなった警備員は、もはや人の姿を半ば失っていた。
巨大な装甲の腕を振るい、近づく者すべてを遠ざけようとする。
その中には、カラス座の転星者だけではなく、助けに向かおうとする一般人も含まれていた。
「守る……この子は……マモル……それ以外ハ……イラナイ……」
ミオの喉がひくりと鳴る。
「この人……守ろうとしてる……」
なのに、閉じ込めている。
逃がそうとする者まで排除しようとしている。
守るという願いが、明らかに歪んでいた。
そのとき、領域の外から、一人の女性が泣きながら駆けてきた。
「りく……!りく、大丈夫!?」
子どもの母親だった。
壁の向こうで名前を呼ばれ、男の子が顔を上げる。
「おかあさん……!」
母親は必死に壁の隙間を探し、子どものもとへ近づこうとする。
その瞬間、星喰いの頭部がぎしりと軋んだ。
「キケン……」
濁った声が漏れる。
「近ヅクナ……排、ジョ……」
母親へ向けて、巨大な腕が持ち上がる。
ミオの顔から血の気が引いた。
「やめて……!」
だが声は届かない。
星喰いにとって今、守る対象は子どもただ一人だった。
それ以外の接近は、すべて害意として処理されている。
母親が手を伸ばす。
子どもも泣きながら手を伸ばす。
その間に、星喰いの腕が振り下ろされようとする。
「……っ!」
ミオはその光景を直視できず、目をつむった。
ガキンッという鈍い音が響き、ミオはおそるおそる目を開ける。
そこには、“異形の姿”となったレイが、星喰いの腕を受け止めていた。
レイは、半透明の防衛と子どもの母親の間へ身体を割り込ませる。
母親を庇うように前へ出た。
ミオは震える手で端末を取り出す。
発信。繋がるまでの数秒が異様に長く感じる。
『……白峰?』
「橘さん……! 早く来てください!」
自分でも分かるほど声が震えていた。
「子どもが……!警備員の人が……星喰いになって……!」
呼吸が乱れる。うまく説明できない。
「レイが、変身して……!対応してる……」
『場所は変わらずか』
「はい……!一階の、吹き抜け……!」
『分かった。ハル!!スピード上げ――』
ユウゴとの通話が切れた。
今この瞬間にも、目の前ではレイが星喰いと向き合っている。
ミオは星珠を握った。
熱を帯びる。あのときよりも、はっきりと。
レイを支えたい。
その気持ちだけは、もう疑いようがなかった。
けれど視界の端には、閉じ込められた人たちの姿も映っていた。
「……転星――」
言葉を紡ごうとして、視界の端に閉じ込められた他の客たちが映る。
泣いている子ども。壁を叩く男。
その場に座り込んでしまった老人。
レイだけじゃない。あの人たちもいる。
誰を助けるのか。何を優先するのか。
自分は今、何を願えばいいのか。
ほんの一瞬の迷い。
けれど、その一瞬で光は形にならなくなる。
「……っ」
転星できない。まただ。
その間に、星喰いの腕がレイへ向けて振り下ろされた。
レイは母親を突き飛ばすようにして逃がし、自分は横へ転がる。
だが完全には避けきれず、床へ叩きつけられた肩から鈍い音が響いた。
「レイ!」
ミオが一歩踏み出す。けれど、その足はそこで止まった。
助けたい。でも、どうすればいい。
自分が前に出れば、レイを助けられるのか。
それとも、閉じ込められた他の誰かを見捨てることになるのか。
選べない。
その迷いの隙を縫うように、領域の端で逃げ遅れた客の一人が崩れた瓦礫に足を取られ、ガラス片で腕を切った。悲鳴が上がる。
ミオの視界が揺れた。
助けたかったのに。守りたかったのに。
何もできない。
領域の内側で、レイがゆっくりと立ち上がる。
肩で息をしながら、星喰いを見据える。
その右手に、ミオは見てしまった。
一瞬だけ。指先に、黒が滲んだのを。
「……え」
見間違いかと思うほど短い時間。けれど、確かにそこにあった。
レイは自分でも気づいたように、右手を強く握り込む。
そして、目の前の星喰いへ向かって低く言った。
「……もうやめてくれ」
だが、星喰いはなおも子どもを背に庇い、母親を“敵”として排除しようとする。
守るために。守ろうとして。
その姿は、痛々しいほどに歪んでいた。
ミオは動けないまま、それを見ていた。
自分の願いがまだ曖昧なことを、痛いほど思い知らされながら。
レイを助けたい。みんなも助けたい。
誰も傷ついてほしくない。
どれも本物のはずなのに、どれも一つに定まらない。
だから、届かない。
手を伸ばしても。願っても。
この場で何かを守れる形には、まだなってくれない。
目の前では、レイが一歩、また一歩と前へ出る。
黒い気配を右手の内側へ押し込めるようにしながら。
止めなきゃいけない。でも、倒したくない。
守りたい。けれど、何をどう守るのかが、まだ分からない。
その答えを見つけられないまま、ミオはただ唇を噛む。
あのとき、手を伸ばせば届いたかもしれない。
レイにも。あの子にも。ここにいる、誰かにも。
それでも、動けなかった。
怖かったのかもしれない。選んでしまうことが。
誰かを助けるために、誰かを後回しにしてしまうことが。
願いはある。あるはずなのに。
それでもまだ――形にならない。
だから、届かなかった。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、レイとミオが遭遇した転星者と、その先で起きた“歪み”を描いた回でした。
そしてミオの願いは――まだ、形にならず。
この騒動はどう収束に向かっていくのか――
次回もぜひお付き合いいただけると嬉しいです。
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