双子座の転星者
車内には、低いエンジン音だけが満ちていた。
夜の街を走る公用車の中で、ミオは膝の上で手を組み、前方のシート越しにユウゴの背中を見ていた。助手席で端末を操作する横顔はいつも通り冷静だが、今日の空気は少しだけ張っている気がする。
「今回の現場は城南区のオフィス街。買収交渉中だった企業ビルで異常現象が起きているらしい」
ユウゴが資料を見たまま言う。
「異常現象ってどんなの~?なーんか曖昧だよねぇ」
「買収される側の社員が急に、買収元の会社に乗り込み暴れているという話だ」
「何それ?それって俺たちの担当なのかねぇ」
ハルが窓にもたれたまま肩をすくめた。
「その社員は止めようとしているのに身体が勝手に動いてしまうそうだ」
ユウゴが答える。
「変なことが起こってるんだねぇ~。でもそんなこと出来る星座ってあったっけ?」
「それ、ケフェウス座っぽいですね」
後部座席から、軽い声が割り込んだ。全員の視線が向く。
カナメは気楽そうに座ったまま、にこりと笑っていた。
「神話だと、あの王様って自分の都合で娘を差し出す側なんで。人に何かやらせるとか、犠牲を当然みたいに扱うなら、まあ、それっぽいかなって」
ひと拍、車内が静まる。
「……詳しいな」
ハルが目を細める。
「へえ、そういうの勉強したの?」
「まあ、それなりに」
カナメは肩をすくめた。
「星座のこと知らないと、適性出たあと困るじゃないですか」
ヒナは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……そっか」
短い返答。
その声は、ほんの少しだけ硬かった。
ミオはそのやり取りを横目で見て、違和感を覚える。
なんとなく、噛み合っていない気がした。
昔からの知り合いのはずなのに、距離がある。
レイもまた、窓の外を見ながら小さく眉をひそめる。
「……星座なんて、そんな調べるもんか?」
ぽつりと漏らす。
ただの疑問というよりも、どこか引っかかるような声だった。
カナメは軽く肩をすくめた。
「それは人によるでしょ」
さらりと言う。
けれど、その言い方にはどこか含みがあった。
「とりあえず、本体まで突っ切る感じでいいですか?」
続けてカナメが言う。
「は?」
レイが顔をしかめる。
「だって、操ってる側を落とせば終わるでしょ?」
「ダメだ」
ユウゴが即座に切った。
「今回は見学だ、三浦。最初はこの部隊のやり方を見て学べ」
「えー」
カナメは大して残念そうでもない声を出す。
「実践から入った方が身に着くの早いと思うんですけど」
「身に着くまでにトラブルを起こしたら元も子もないだろう」
振り返りもせず、ユウゴはそう言った。ハルが小さく吹き出す。
ヒナが小さく苦笑する横で、カナメは窓の外に目を向けた。
「……了解です」
返事は素直だった。
けれど、その目は少しも退屈していない。
窓の外を見ながら、ほんのわずかに口元が緩んでいた。
「到着だ」
車が減速し、夜の高層ビル群の一角で止まる。
ドアが開いた瞬間、冷えた空気に混じって、どこか焦げ臭い匂いが流れ込んできた。
現場は、ガラス張りの大企業ビルだった。
エントランスの自動ドアは砕け、ロビーには割れた照明と書類が散乱している。
だが、まだ“怪物が暴れ回った跡”という感じではない。壊れ方に妙な整然さがあった。
「……確かに、星喰い化って感じじゃないねぇ」
ハルが周囲を見回しながら呟く。
その先で、スーツ姿の男たちが並んでいた。
目は開いている。意識もある。だが、全員の動きが不自然だった。
糸で引かれているみたいにぎこちない。
「申し訳ございません、先ほどの件ですが――」
社員の一人が、涙を浮かべながら取引先に電話をかけている。
声は震えているのに、指先だけが異様に滑らかに動く。
「やめ……っ、やめてください……!」
別の女性社員が必死に口だけで抵抗する。
だがその身体は、まるで本人の意思など無いみたいに机を蹴り飛ばし、手近な端末を叩き壊した。
「意識はある……!」
ミオが息を呑む。
「でも、止められてない……!」
その社員たちの後方。
ロビー中央の吹き抜け階段に、一人の男が立っていた。
「……あれが社長か」
ユウゴが低く言う。
男の周囲には転星の光が揺れている。ケフェウス座の転星体。
まだ人の形を保っているが、まとった装甲には王冠めいた意匠があり、既にかなり不穏だった。
「うわぁ……普通に嫌なタイプじゃん」
ハルが吐き捨てる。
社長はゆっくりとこちらを見下ろした。
「星象庁か」
声にはまだ理性がある。
「……邪魔をするな。これは俺の会社とこの会社の問題だ」
「社員を無理やり動かしておいて、よく言うな」
ユウゴが一歩前に出る。
「その力の使用は違法だ。直ちに解除しろ」
社長の顔がわずかに歪んだ。
「違法?」
薄く笑う。
「俺が育てた会社だ」
「俺の社員を、俺が使って何が悪い」
その言葉と同時に、社員たちが一斉にこちらへ向いた。
「身体が……社長、やめてください……!!」
社員たちがぎこちない動きでこちらへ向かって走ってくる。
「ま、待って!!――均衡固定!」
ヒナが声を上げる。
障壁が展開され、突っ込んできた社員たちがぶつかり、鈍い衝撃が響いた。
「この人たちを攻撃しちゃう!」
ミオが叫ぶ。
「傷つけずに止めないと……!」
「はいはーい、そういうの得意だよ~!」
「転星――蠍座」
ハルが前へ出る。
最小限の動きで社員たちの手首や足を払って崩し、首筋すれすれに毒針を当てて意識を落としていく。
だが、数が多い。
しかも倒れても、また別の社員が出てくる。
「きりがないんだけど~!?」
その時、ロビー奥の自動ドアが開き、高級時計をつけた初老の男が現れた。
後ろでは数名の秘書らしき人間が怯えている。
「おやおや」
男は場の惨状を見ても、むしろ面白がるように目を細めた。
「やはりあなたは時代遅れだ。交渉がうまくいかないからといって、こんな真似に出るとはね」
「……貴様ぁ!」
社長の顔から笑みが消える。
「まだそんな目をするんですか?」
ライバル会社の社長は鼻で笑った。
「だから買収されるんですよ。あなたの会社は、あなたごと終わりだ」
空気が凍る。社長の肩が、びくりと震えた。
「……黙れ」
低い声。
「……お前は何も分かってない」
社長の視線が、社員たちへ向けられる。
その目には、わずかに迷いがあった。
「……ここまで来るのに、どれだけかかったと思ってる」
かすれた声。
「何年もかけて、ようやくここまで積み上げたんだ」
社員の一人が涙をこぼす。
「社長……もうやめてください……!」
「やめる?」
社長が小さく笑う。
「ここで手放せって言うのか?」
「社員も技術も、全部こちらが引き継ぎます。安心してください。あなたが守れなかったものは、私が有効活用してあげますから」
「そんなの……認められるわけがないだろ……!」
その瞬間だった。転星体の装甲が、ぶくりと膨れ上がる。
「――まずい!」
ユウゴが叫ぶ。社長の周囲の光が濁る。
王冠めいた装甲が歪み、肩から背にかけて異形の鎧が爆発的に広がった。
「全部……守ル……タメダ……!」
人の声が、怪物の咆哮へと変わっていく。
「俺ノ会社ヲ! 俺ノ社員ヲ! 俺ノ王国ヲ――!!」
社長の転星体は、もはや転星体ではなかった。
巨大化した装甲。王衣のように垂れ下がる外殻。
人間だった面影をかろうじて残しながらも、完全に星喰いへと変貌したケフェウス座が、そこに立っていた。
「星喰い化……!」
ミオが息を呑む。
次の瞬間、倒れていたはずの社員たちがまた立ち上がる。
今度はさらに露骨だった。
目は涙を流したまま、身体だけが兵隊のように整列し、ケフェウス座の前に壁を作る。
「オレノ……タテニナレ」
その命令に、社員たちの身体が強引に従わされる。
「最悪……!」
ハルが歯噛みする。
「これ、もう普通に人壁じゃん!」
社員の影から、重い衝撃波が飛ぶ。
ヒナの障壁が大きく揺れた。
「っ……!」
「ヒナ!ちょっと下がれ!」
「まだいける……!」
だが、明らかに押されている。
その時、レイが前へ出た。
「……俺が行く」
「待て、天宮!突っ込めば一般人を巻き込むぞ!」
「傷つければお前にも処分が下る!」
「でもこのままじゃ、ヒナの障壁が持たない!」
「……右腕だけだ!」
ユウゴが鋭く言う。
「全身はまだ使うなよ!」
レイは舌打ちしたが、頷いた。
レイは拳を握る。
脳裏に、あの時の光景がよぎる。
崩れた自分の身体。溢れた黒い星空。
(また壊れるのか)
一瞬だけ、躊躇が走る。
だが――顔を上げる。
「……装星――オリオン座」
黒いもやが右腕に集まり、星の鎧が重なる。
レイが踏み込み、社員たちの隙間を縫い、本体へ一直線に向かう。
「オロカダ……」
ケフェウス座が杖を振るう。レイの拳とぶつかる。
ガン、と鈍い音。
「っ……硬ぇ……!」
装甲が厚い。しかも、社員たちが盾になって追撃を阻む。
「天宮、下がれ!」
「まだだ!」
「ワタシニ、シタガエ――ヒレフセ!」
その言葉が発された時、レイの身体は地面に叩きつけられていた。
「ぐっ……!クソッ!」
「星喰い化して対象範囲が増えたのか……!」
「ホカニモ、ジャマスルヤツハ――ヒレフセ」
「まずい!!」
ユウゴたちは急いで星喰いから距離を取ろうとするが間に合わない。
ユウゴ・ハル・ヒナ・ミオも床に押し付けられる。
床に押し付けられ、障壁が解除されたことで、社員たちが上にのしかかる。
「重ってぇ~!!」
「ちょっと……離れてって……!」
「チッ……この状態で転星はリスクだな……」
「動けない……」
星喰いの能力を受けて、この状況を対処できる人間はいなかった。
――ただ1人を除いては。
「……あーあ」
場違いなほど軽い声が落ちた。
「動けるの、もう僕しかいない感じ?」
壁際で腕を組んで見ていたカナメが、つまらなさそうに息を吐く。
「お前……!」
レイが睨む。
「見学じゃなかったのか?」
「見学だよ」
カナメは笑った。
「レイくんだってこの前、ユウゴさんたちが着く前に戦ってたでしょ?」
カナメの言葉に、レイは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
カナメはロビーの惨状を一瞥する。
「僕が出ないとダメっぽいね」
ひどく軽い調子だった。
けれど、その声が妙に場に馴染まなかった。
「待て、三浦――」
ユウゴの制止より早く、カナメが一歩前へ出る。
「転星――双子座」
光が弾けた。現れた転星体に、ミオは思わず息を呑む。
右半分は笑っている。左半分は、泣いている。
道化の仮面みたいに、真逆の表情がひとつの顔に同居していた。
「まさか、双子座なんて……」
ヒナが小さく零す。
カナメはそのまま歩き、ケフェウス座の前で立ち止まる。
「王様ごっこにしては、趣味悪いですよ?」
「ジャマヲ、スルナァ!!」
星喰いの咆哮。
社員たちが一斉にカナメへ殺到する。
その瞬間――転星体の顔が中央から裂けた。
笑う顔。泣く顔。
二つの転星体に分かれ、左右へ跳ねる。
「どっちが本物だと思う?」
笑う顔が楽しげに言う。
「……どっちでも同じだけど」
泣く顔が冷たく返す。
笑う顔がくるりと回る。
「当ててみなよ」
泣く顔が、静かに付け加える。
「無理だけど」
次の瞬間、二つの影が同時に動いた。
片方が正面に立ち、わざとらしく大げさな動きを見せる。
もう片方は、音もなく死角へ滑り込む。
「ほら、見てて」
「ちゃんと見ないと、置いていくよ」
社員たちの動きが完全に乱れる。
攻撃の矛先が定まらない。
「こういうの、得意なんだよね」
軽く笑った。
笑う顔が目の前を横切り、派手な動きで注意を奪う。
その隙に、泣く顔がケフェウス座の背後へ回り込んだ。
「はい、ストップ」
ひゅるり、と光のリボンが溢れる。
「束縛彩帯」
リボンは社員たちではなく、本体だけを狙って絡みつく。
ケフェウス座が力任せに引きちぎろうとする。
「コシャクナァ……!」
星喰いの感情に呼応したように、社員たちの足取りが早まる。
「うっとうしいなぁ。お静かにね」
笑う顔が指を鳴らす。
その途端、社員たちの身体がぴたりと止まった。
「透過縛線」
「動きが……止まった!?」
ミオが目を見開く。
目を凝らすと、光に反射したピアノ線のようなものが見える。
「完全じゃないけどね」
泣く顔が言う。
「少なくとも今は、邪魔されない」
レイが息を呑む。
あれだけ人盾にされて手が出せなかった状況を、カナメはほんの数秒で組み替えてしまった。
「ちゃんと見ててよ」
笑う顔が振り返る。
「手品のタネ、見逃したらつまんないでしょ?」
「オレガツミアゲタモノヲ――コワスナァァ!!」
ケフェウス座が拘束を引きちぎり、マントが泣く顔の方を包み込む。
そして――潰した。
「カナメ!!」
ヒナが叫ぶ。
「ざーんねん。そっちはハズレだよ」
笑う顔の方から発された言葉。
ヒナがその方を見ると、笑う顔・泣く顔が半分ずつになっている転星体が立っていた。
「そろそろフィナーレといこうか」
転星体がもう1度分裂した。
笑顔が歪む。泣き顔が、冷たく見下ろす。
「処刑奇術」
ケフェウス座の周囲に巨大な箱が出現し、異形の身体を閉じ込めた。
笑う顔・泣く顔が手を叩くと、手にはマジックで使われる小型のナイフが数個と1つのサーベルが出現した。
転星体がナイフを投げると、星喰いを閉じ込めている箱の中へ刺さっていく。
そして、サーベルを持った2体の転星体が箱を挟むように立ち、
「「消えろ」」
笑う顔・泣く顔両方がそう言って、サーベルを箱に突き刺した。
やがて――箱の表面に無数の亀裂が走り、一気に砕け散った。
箱の中から現れたのは、ケフェウス座の星珠だけだった。
静寂が落ちる。
「……おしまい」
少しだけ、つまらなさそうに言った。
カナメが元の姿に戻る。息も乱れていない。
まるで、本当にただの余興でも済ませたみたいに。
「……なんだよ、今の」
レイが低い声で言う。
「ただの手品だよ」
カナメは笑う。
「そんなに気張らなくても、勝てるでしょ?」
その言葉は、軽いのに妙に冷たかった。
撤収後。人気のない廊下。
カナメは壁にもたれ、スマートフォンを耳に当てていた。
「お疲れ様です、桐山先生」
『ご苦労さん、三浦。今日の任務はお手柄だったな』
電話から壮年の男性の声が響く。
「最初は見学って言われたんですけど、手を出しちゃいました」
くすり、と笑う。
『最初の任務は見学?誰から言われたんだ?』
「ユウゴさんからですよ。リスクがあるとかなんとかって」
『ハハハ!橘か!変わってないなー、あいつも』
ひと拍の間。
電話口の声が少しだけ声音が落ちた。
『相変わらず“真面目にやってる”みたいだな』
『ところで、天宮レイはどうだった?』
「レイくんは興味深いですねー。装星も直接確認できましたし」
わずかに口元が歪む。
『そうかそうか!また何かあったら相談してくれよ。――お前は俺の“とっておき”だからな』
「ありがとうございます、先生。それではまた。」
ほんのわずかに、声色が変わった。
通話が切れる。
カナメは、何事もなかったかのように笑った。
その笑みは、先ほどまで見せていたものと、まったく同じだった。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、新たに加入した三浦カナメの戦いを書いた回でした。
その圧倒的な力と――どこか噛み合わない言動。
彼はこの任務を、どう見ているのか。
次回もぜひお付き合いいただけると嬉しいです。
もし少しでも面白いと感じていただけたら、
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