噛み合わない距離
星象庁の白い天井。消毒液の匂い。
静まり返った医療室の中で、ミオはそっと手を離した。
「……大丈夫です。もう、動けると思います」
ベッドに横たわっていた男性社員が、ゆっくりと身体を起こす。
その顔には、安堵よりも強い戸惑いが残っていた。
「……助かった、んですよね……?」
「はい。もう、あの力は解除されています」
ミオは優しく頷く。だが、男の表情は晴れない。
「身体が……勝手に動いて……」
震える手を見つめる。
「止めたかったのに……止められなくて……」
その声は、かすれていた。
「……俺、全部聞こえてたんです」
男が震える声で言う。
「自分が何をしてるのかも、全部分かってた……でも、身体が……」
歯を食いしばる。
「勝手に動いて、勝手に喋って……止められなくて……」
拳が白くなるほど握られる。
「俺が、やったみたいになってるのに……!」
その言葉に、ミオは言葉を失った。
隣のベッドでも、同じように顔を覆う女性社員がいる。
「私……机、壊しちゃって……」
「取引先にも……ひどいこと、言って……」
「違うのに……私じゃないのに……」
誰もが同じことを言う。
「違うのに……」
「私じゃないのに……」
その言葉だけが、何度も繰り返されていた。
「……大丈夫です」
ミオは、ゆっくりと声をかける。
「それは、あなたたちの意思じゃない」
一人ひとりの顔を見る。
「ちゃんと、分かっています」
その言葉に、誰かが小さく嗚咽を漏らした。
隣のベッドでも、同じようにうつむく社員がいる。
誰もが“助かった後”なのに、どこか現実に戻りきれていない。
(助かったのに――誰も、安心してない……)
ミオは胸の奥が重くなるのを感じた。
「……あの人は、どうなったんですか」
ふいに、ベッドの端に座っていた若い女性社員が小さく尋ねた。
「社長さん、ですか?」
ミオは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……もう、止まりました」
嘘ではない。
でも、それだけでは足りない気がした。
女性社員は、膝の上でぎゅっと両手を握る。
「私、あの人のこと嫌いじゃなかったんです」
「え……」
「厳しかったけど、ちゃんと会社を大きくしようとしてて……」
「すごい人だと思ってたんです」
声が震える。
「だから余計に、怖かった」
ぽろりと涙が落ちた。
「助けてほしいのか、止めてほしいのか、自分でも分からなくて……」
ミオは返す言葉を見つけられなかった。
ただ、そっと近くに寄って、
その人の震える肩に、やわらかく手を添えた。
消えないものがある。
助けても、元には戻らないものがある。
それをミオは、この場所でようやく思い知った。
⸻
「……以上が今回の報告だ」
簡易会議室。
ユウゴが端末を閉じる。
「対象はケフェウス座の星喰い、星珠はおそらく人工星珠。だが、被害は最小限に抑えられた」
「最小限、ねぇ……」
ハルが椅子にもたれながらぼやく。
「精神的ダメージはデカそうだけどねぇ~」
「それは医療部の管轄だ。俺たちが考えることじゃない」
淡々と返すユウゴ。
「まぁ、そうなんだけどねぇ~」
ハルが肩をすくめる。
「で?今回のMVPは誰になるのかな?」
わざとらしく言いながら、視線が一斉に向く。
その先にいるのは――カナメ。
「別に、誰でもいいんじゃないですか?」
軽く笑う。
「結果出たんだから、それで」
「……それで済ませるには、ちょっと派手すぎない?」
ハルが笑いながら言う。
「いやほんと、あれどうなってんの?分裂って」
「双子座の特性だろう」
ユウゴが淡々と答える。
「双子座星珠の運用記録にも似た事例があった」
「いやいや、記録のレベルじゃなかったって~」
ハルがニヤニヤする。
「どう見ても無双してたじゃん、カナメくん」
「そうですか?」
「そうだよ~?」
ヒナも苦笑する。
「正直、びっくりした……」
「……そう」
カナメはあっさりと受け流した。
その軽さに、ほんのわずかに空気が止まる。
(……そんなにおかしい?)
カナメは、ふと周囲を見た。
誰も笑っていない。
(結果は出てるのに)
ほんの一瞬だけ、視線を逸らす。
(まあ、いいか)
場に沈黙が落ちる。
次に口を開いたのはユウゴだった。
「……三浦の判断は結果として正しい」
「だが、独断行動は推奨しない。次からは指示を仰げ」
「了解です。でも、あの状況じゃ僕が出るしかないと思いました」
「それは結果論だ」
「まあ、そうですけど」
肩をすくめる。
「君、本当に新人さん?そうは思えないんだけど~」
「僕はれっきとした新人ですよ」
カナメがあっさり返す。
「使えるものは使うだけです」
「使わない理由、ありますか?」
「……躊躇いがないな」
シュウがぼそりと呟く。
「え?」
「いや、なんでもない」
シュウは軽く流すが、その一瞬、ほんのわずかに空気が重くなった。
そのやり取りを見ながら、レイは黙っていた。
頭に浮かぶのは、あの戦闘。
軽く笑いながら、全部ひっくり返したあの動き。
(戦ってるっていうか……遊んでたよな)
拳を握る。
(俺は……あんな余裕、ねぇのに)
視線を落とす。自分の手を見る。
まだ、あの時の感覚が残っている。
暴れそうになる力。制御しきれない感覚。
右腕だけの装星。
それでも、ギリギリだった。
カナメは、軽くやっていた。
遊ぶみたいに。余裕すらあった。
(……ふざけんな)
奥歯を噛む。
(俺だって――)
そこまで考えて、止まる。
(……何がしたいんだ、俺)
分からないまま、拳をほどいた。
⸻
廊下に設置されている自販機前。
ミオが缶を取り出した時だった。
「ミオ」
「……あ、レイ」
レイの方へ振り向く。
「さっきの、どう思った?」
唐突な問い。
「え……?」
「カナメの戦い方」
少しだけ間が空く。
「……すごい、とは思ったよ」
素直に答える。
「でも……」
言葉を選ぶ。
「ちょっと怖かった、かな」
「……だよな」
レイは自販機に背を預けたまま、視線を落とした。
「俺さ」
ぽつりと漏らす。
「戦ってる時、ずっと思ってたんだよ」
ミオは黙って続きを待つ。
「ヒナの障壁が割れそうで、社員もいて、でも本体は叩けなくて」
「何もかも中途半端で……」
奥歯を噛む。
「あと少し、ちゃんと力を出せたらって思った」
ミオの手の中で缶が小さく鳴った。
「でも、その“あと少し”が一番危ないんだよな」
「……うん」
「分かってるよ」
レイは苦く笑う。
「分かってる。分かってるけど」
言葉が詰まる。
「カナメを見たら、余計にな」
少しだけ間が落ちる。
「俺だけが、足りてないみたいでさ」
その一言に、ミオは胸の奥がちくりと痛んだ。
「……そんなこと、ないよ」
すぐに言う。
「レイは、足りてないんじゃなくて……まだ途中なんだと思う」
レイが顔を上げる。
「途中?」
「うん。カナメくんとは違うだけ」
ミオはレイを見る。
「レイは、ちゃんと迷えるから」
「怖いって分かってても、それでも誰かを守ろうとするから」
少しだけ笑う。
「私は、そういうレイの方が好きだよ」
その言葉に、レイは一瞬だけ目を見開いて、すぐに目を逸らした。
「……そういうの、今言うか?」
「今だから、かな」
ミオは缶を抱え直す。
「戦ったあとじゃないと、言えないこともあるし」
レイは何も返さなかった。
しかし、その沈黙はさっきまでより少しだけ柔らかかった。
それでも、焦りが消えたわけではなかった。
⸻
星象庁の屋上。高さがあるせいか、風が強い。
フェンスにもたれながら、カナメは空を見上げていた。
夜空。無数の星。
「……遅かったんだよな」
ぽつりと零す。
誰もいない場所に向かって。
「全部」
目を細める。
「今さら“すごい”って言われてもさ」
(欲しかったのは、そっちじゃない)
ほんの一瞬だけ、表情が消える。
しかし表情はすぐに戻る。
カナメは小さく笑った。
その笑みは、どこか空虚だった。
「ねぇ、カナメ」
振り返ると、ヒナが立っていた。
「……あ、ヒナ」
「ちょっといい?」
「いいよ」
並んで立つ。少しだけ間が空く。
「久しぶりだね、こうやって2人でいるの」
ヒナが言う。
「うん」
「カナメは……変わってないね」
「そう?」
カナメが笑う。
「ヒナの方が変わってないよ」
「えー、そうかな?」
少しだけ笑う。
「昔みたいだね」
ヒナの声が、少し柔らかくなる。
「高校1年の頃みたい」
「あー……あったね、そんなの」
軽く流す。
「ヒナが先に適性出てさ」
「うん……」
「羨ましかったなぁ」
ヒナは少しだけ目を細めた。
「……でも、昔のカナメはそんなこと言わなかった気がする」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
ヒナは小さく笑う。
「適性が出てない時も、カナメはずっと平気そうな顔してた」
「私が焦ってる時、逆に“大丈夫だって”って言ってくれたこと、あったし」
カナメは答えない。
風が吹く。フェンスがかすかに鳴る。
「……それ、たぶん」
しばらくして、カナメが口を開く。
「そう見せてただけ」
ヒナの表情がわずかに固まる。
「え?」
「ヒナが不安そうだったから。僕まで同じ顔してたら、余計にダメだと思っただけ」
軽い口調だった。でも、その軽さが逆に遠い。
「じゃあ、あの時から……」
「ずっと、羨ましかったよ」
あっさりと遮るように言う。
「ヒナが先に呼ばれて、先に訓練受けて、先に“選ばれる側”になっていくの」
「横で見てるの、結構きつかった」
ヒナは息を呑む。
「……知らなかった」
「言ってないし」
「なんで?」
「言ったところで、どうにもならなかったから」
その答えが、妙に冷たい。
ヒナは言葉を探した。
「でも、今はカナメだって――」
「今さらだよ」
その声だけ、少しだけ低かった。
「遅かったんだよ。俺が欲しかったのは、“今の結果”じゃなかった」
ヒナは何も言えなくなる。
カナメはすぐにまた笑った。
「……なにその顔」
「そんな重く取らないでよ。ちょっと昔のこと思い出しただけ」
冗談めかした声音。
けれど、その奥にあるものまでは隠しきれていなかった。
ヒナが少しだけ目を伏せる。
少しだけ間が空く。
「ヒナはさ」
カナメはふいに続ける。
「“選ばれない側”の気持ち、考えたことある?」
「え?」
ヒナは言葉に詰まる。
「……それは」
言いかけて、やめる。
「正直……分からない、かな」
カナメは小さく頷く。
「だよね」
あっさりと。
「だからさ」
視線を逸らす。
「ヒナはそのままでいいと思うよ」
少しだけ間を置く。
「え?」
「変わらない方が、ヒナらしいし」
笑う。
「……変わる必要なんて、なかった側なんだから」
その言葉は優しいはずなのに、どこか距離を感じさせた。
ヒナは、何も返せなかった。
何を言えばいいのか――分からなかった。
⸻
「……三浦のこと、どう思う?」
別の部屋。部屋にはハル・ユウゴ・シュウの3人だけ。
ユウゴが2人に問いかける。ハルが腕を組む。
「どうって?」
シュウが返す。
「強いのは間違いない。でも――」
「……ああ」
ユウゴが頷く。
「“それだけじゃない”」
「だよねぇ~?」
ハルが苦笑する。
「半年ごとに研修先が変わるのに、あの戦闘力は引っかかる」
ユウゴが疑問を呈する。
「上層部会議の時に知ったんだが、三浦は桐山さんが教官だったらしい」
「……スパルタだった、“あの”桐山さんか?」
シュウの答えに、ハル・ユウゴが反応する。
「桐山さんだったら叩き込まれたっていう可能性はあるけど――」
ハルが一瞬だけ言葉を切る。
「……普通に“育てる”ような人じゃなかったからなぁ」
「桐山さんの教え子の俺たちとしては、複雑だけどな」
シュウの一言で、笑いに包まれる。
「でもやっぱりなんか不自然かなぁ~。場慣れしてる感っていうか?」
「強い新人ってさぁ、だいたい一癖あるよねぇ」
「決めつけるな」
ユウゴが言う。
「だが、警戒は必要だ」
「……様子見、か」
シュウが呟く。
部屋に沈黙が流れた。
⸻
廊下の端で、カナメがふと立ち止まる。
視線の先では、レイが遠くで壁に背を預けている。
(……やっぱりさ)
目を細める。
(まだ足りてないよね)
レイは何も気づいていない。
ヒナも。ユウゴたちも。
(足りないから、伸びるんだけどさ)
視線を外す。
「……まだ、始まったばっかりだしね」
誰にも聞こえない声で呟いた。
くすり、と笑う。
その笑みは――どこまでも軽かった。
読んでいただきありがとうございます!
今回は、カナメと周囲との“距離”を書いた回でした。
強さとは別の部分で、どこか噛み合わないカナメ。
その違和感が、少しずつ周囲に影響を与え始めています。
このズレが今後どう広がっていくのか――
次回もぜひお付き合いいただけると嬉しいです。
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