黒の使徒の残滓
黒の使徒が霧散した跡には、静寂だけが残っていた。
森を覆っていた黒い霧も次第に薄れ、木々の輪郭がようやく見えてくる。
けれど、その場の空気はまだ重苦しく、肌に粘りつくような冷たさを帯びていた。
「……何も、残っていないように見えますが」
クラウスが慎重に辺りを観察する。
「いや、ある」
魔王が低く言った。
彼の視線の先――地面に、黒い欠片のようなものが転がっていた。
まるで結晶の破片。夜の闇を閉じ込めたように鈍く輝いている。
「これ……」
リリィが恐る恐る手を伸ばそうとする。
「触れるな」
魔王の声が鋭く遮った。
「虚無の残滓だ。生身で触れれば、侵される」
リリィは慌てて手を引き、青ざめた顔で頷いた。
⸻
「……虚無獣と違いますね」
クラウスが手帳を取り出し、記録をつけながら言う。
「虚無獣は形を失ってなお獣の本能のままに動きます。ですが、今の存在は……人に近い形を保ち、明確に戦術を持っていました」
「つまり――意志があった、ということだな」
ガルドが眉をひそめる。
「……ああ」
魔王が答える。
「虚無そのものではない。何者かの“意志”が虚無をまとい、形を保っていた。あれはただの怪物ではない」
⸻
私はその言葉に、胸の奥がひやりと冷えた。
(やっぱり……あれは私が……昔、書いたキャラ……)
中学生の頃、夜な夜なパソコンに向かって、思いつくままに並べた黒歴史の断片。
「黒の使徒」とかいう、強そうな名前をつけただけの未完成の存在。
結局続きを書けず、放り出してしまった。
その残骸が、現実に現れて仲間を傷つけかけた。
「ごめん……」
心の中で小さく呟いたが、声には出せなかった。
⸻
沈黙を破ったのはゼノだった。
「……まだいる」
その短い言葉に、空気が張り詰める。
「奥に、さらに濃い気配がある」
仮面の下の片目が鋭く光った。
「そうか」
魔王がわずかに頷く。
「ならば進むしかない」
彼の一言に、全員が自然と背筋を伸ばした。
私は羽ペンを握りしめる。
これから先、もっと多くの“黒歴史”が現れるかもしれない。
怖くてたまらないけれど――仲間がいる。
だから私は、もう逃げない。
闇に覆われたゼルフィオルの奥地へ、再び一行は足を踏み出した。




