さらに深き虚無
夜明けの薄光は、奥へ進むほど色を失っていった。
灰雲に覆われた空は昼だというのに暗く、黒い靄が木々と大地の境目を曖昧にする。
枯れた幹は影の柱のように立ち並び、地面には無数の裂け目が走っていた。
出立の前、リリィが一歩前に出て、杖の先に小さな光を灯す。
「進む前に、皆さまに個別の護りを付与します。直接の侵食は防げますが……長くはもちません。虚無に触れれば触れるほど、光は薄れていきます」
彼女は手際よく私たちを回っていく。
ガルドの胸当てに指先で光の紋を描くと、ぱちりと火花のような光が弾けた。
ゼノには利き手の籠手へ、細い糸のような光を巻き付ける。右半分の仮面が反射して一瞬だけ明るむ。
クラウスの上着の襟には小さな紋章を留め、魔王の外套には拒まれないぎりぎりのところで薄い膜を重ねた。
そして私の手首――羽ペンを握る側――に、やさしく光の腕輪を巻きつける。
「マシロ様のは、書く力と干渉しない強度に調整しています。淡くても効き目はありますから」
私は小さく頷いた。手首にかけられた光の腕輪は、鼓動に合わせてかすかに脈打っている。
「へっ、護りが破られたって、俺が前に立って時間を稼げばいい!」
ガルドが笑う。
「無駄な消耗は避けるべきです」
クラウスがすかさず釘を刺す。「虚無の濃度は記録上最大値に近い。できるだけ接触を減らして進みましょう」
「……行くぞ」
魔王の短い号令に、私たちは頷いた。
⸻
奥へ。さらに奥へ。
靴底がひび割れを踏むたび、薄膜のような光が足元でちらりと揺れる。
空気は重く、息を吸うのにも力がいった。
周囲に漂う黒い靄は風もないのにゆっくりと流れ、触れそうになった瞬間、各々の護りがちり、と音を立てて押し戻す。
「ここまで虚無が濃いと……次の戦いで、わたしの護りがどこまで持つか……」
リリィが不安げに呟く。
「持たせるさ。俺たちが守る」
ガルドが親指を立てる。強がりでも、少し安心した。
ゼノは相変わらず無言のまま、左の片目で前方を鋭く掃いた。
右半分の仮面に沿って流れる微光が、彼の周囲だけ輪郭を保っているように見える。
クラウスは歩きながら手帳にさらさらと記す。
「……大地の裂け目から、虚無が湧出している。地形そのものが書き換えられつつある兆候です」
「源は近い」
魔王の金の瞳が、森のさらに深い闇を射抜いた。
「気を抜くな」
⸻
どん――。
大地が、鼓動のように一度だけ鳴った。
次の瞬間、足元の裂け目がほそい息を吐くみたいに黒く膨らみ、靄が噴き上がる。
手首の光の腕輪が、ちり、と鋭く鳴った。
(今のは――警告?)
「止まれ」
ゼノが掌を下ろして合図する。
ひび割れが蜘蛛の巣のように広がり、その中心で黒が渦を巻いた。
渦の表面が泡立ち、小さな影が幾つも、ぽろぽろと産み落とされていく。
人とも獣ともつかない、不定形の黒。
赤い点のような光を宿した“目”だけが、こちらを同時に振り向いた。
「群れ、ですね」
クラウスの声が低くなる。
「迎え撃つ」
魔王の外套がかすかに揺れる。
リリィが杖を掲げ、私たちの護りに重ねてごく薄い広域の膜を張った。
「直接は触れさせません……! でも、長くは保てません!」
「なら、早い方がいいな」
ガルドが大剣を引き抜き、足を一歩踏み出す。胸の紋がぎらりと光った。
私は羽ペンを強く握る。
光の腕輪が、私の鼓動に合わせて明滅する。
黒い影の群れが、一斉に地を這ってこちらへと殺到する――




