封印された小説ファイル
金曜日の夜。
残業を終えて、私はようやく玄関のドアを閉めた。
「……ふぅ」
パンプスを脱いだ瞬間、足がじんわりと悲鳴を上げる。
スーツのジャケットをソファに放り投げ、カバンを床に置いたときには、もう全身の力が抜けていた。
「今日もお疲れさま、私」
小さくつぶやいて、自分を労う。
社会人3年目、25歳。
毎日忙しいけれど、同僚と飲みに行けば愚痴もこぼせるし、休日は買い物に出かけたりもする。
高校や大学の頃の自分と比べれば、今の私は“普通の大人”をやれていると思っていた。
……あのフォルダを見るまでは。
コンビニの袋を開き、唐揚げとポテトサラダ、そして缶チューハイをテーブルに並べる。
プシュッと缶を開けて、一口。
冷たい炭酸が喉を通り、アルコールの熱が全身に広がる。
「あぁ……生き返る」
たったそれだけで、今日一日の疲れが少し軽くなる気がした。
食事を片付け、私はパソコンを立ち上げた。
週末の習慣――不要なファイルを削除し、容量を空ける。地味だけど、やると気分がすっきりする。
そのときだった。
「……ん?」
デスクトップの隅に、見覚えのないフォルダがあった。
『Eternal Chaos - prototype』
心臓がどくんと跳ねる。
指先が冷たくなり、息が浅くなる。
(まさか……いや、そんなはずない)
震える指でクリックすると、ファイルがずらりと並んだ。
《漆黒の断罪の魔眼》
《絶望を統べる魔王の詩》
《禁忌解放――星葬の黙示録》
「ぎゃあああああああ!」
椅子を蹴って立ち上がる。両手で顔を覆った。
これは――間違いなく15歳の私が書いた“黒歴史小説”だ。
中学2年、厨二病全盛期。
夜な夜なノートPCに向かって、かっこいいと思う言葉を並べて悦に入っていた。
けれどすぐに飽き、更新も止まり、アカウントのログイン情報も忘れて、そのまま放置した。
どうして、今ここに……?
恐る恐る一つファイルを開く。
『勇者は絶望に堕ち、仲間は散り、最後に残るは――』
そこで途切れていた。
未完。
15歳の私が飽きて、投げ出した痕跡。
チューハイを一気に飲み干す。炭酸が喉を焼き、涙がにじむ。
「……明日、消そう。絶対」
そう決めて、パソコンを閉じた。
シャワーを浴びる気力もなく、部屋着のTシャツと短パンのまま布団に潜り込む。
瞼が重くなり――意識が沈んでいく。
――そして、目を開けたとき。
私は、知らない空の下に立っていた。




