4.怒れる夜叉女
『ファイト!』
戦いを告げる、キャットのかけ声が下ると同時に、ティナとブライアンが動く。
「鬼の戦い、見せつけてやれ!」
「両断してやれ! タウロス!」
タウロスの右上の腕に巨大な斧が現れたかと思うと、何とそれを軽々しく、低く鈍いうねり音をあげながら振り下ろす。
恐ろしい速さであるが、それは大振りで見た目が派手なだけ。鬼が上半身を軽く反らせれば、鋭い刃も容易く胸の前を通り過ぎる。
しかし――それは挨拶代わりだった。
ブライアンが手元のタブレットを操作すれば、右下、左上、左下、四本の腕に斧や槍、大剣が握られ、縦横無尽に振り回され始めた。
「ぬ、ぬおッ!?」
流石の羅刹も、これには躱すのが精一杯のようだ。
『ああっと、タウロスは序盤からラッシュだ! この四つの刃から逃げられた者は誰もいない、恐怖の旋風! ラセツ選手はいつまで避けられるのかー!』
羅刹は薄く笑みを浮かべた。「なんてな」
「こんなもん、阿修羅の六本腕に比べりゃ――」
「!!」
「ヌルいわ!」
振り下ろされる右上の斧。その柄の部分を腕で止め、同じように続けて左腕の斧を止めた。槍は間合いが遠く、剣は大きすぎて防御に回れない。羅刹は身体を旋回させながら懐へ、右回し蹴りがタウロスの脇腹に突き刺さった。
とてつもなく鈍い音に、スタジアムは僅かな静寂を挟み、よろけた牛頭に『ウォォォォォッ』と大歓声が湧き上がった。
「は――これはただのサービスだ!」
ブライアンは一笑に付すと、タブレットを更に操作する。
すると、タウロスの目は真っ赤に、そして身体がメキメキと音を立て――。
「な、何!?」
更に一回り大きく、筋肉が膨れ上がったそれに、ティナも観客も絶句していた。
そしてそれは、羅刹が感嘆する間もなく、目にも見えない速度で左足を上げていた。
「ぐッお!?」
先ほどのお返しだ、と言わんばかりにミドルキックが脇腹に入る。
その勢いは凄まじく、羅刹の真っ赤な巨体は軽々と吹き飛ぶ。数メートル先の砂地に、背中から落ちた。
「お、おいッ!? 大丈夫か!?」
「も、問題ねえ、と言いたいが、問題大ありだ……!」
――力の桁がおかしい
立ち上がろうとするがまともに入ったらしく、なかなか思うように動かない。
タウロスが巨大な獲物を振り鳴らしながら近づいてきた、その時、
『ちょ、ちょっと何を――って何だこの化け物!? や、やめっ、うわあああああっ!?』
天井のアナウンスが悲鳴と共に遠のき、馴染みのあるものへと変わった。
『――兄貴ッ大丈夫でんすか! やべえっす、やべえことが分かったでんす!』
それは、餓鬼であった。
やべえこと、と口を動かすとマイクの向こうで頷いたように思えた。
『そのタブレット、とんでもねえ欠陥品でんす! 解析してみれば、中の奴の性能を段階的かつ一定値までしか制御しておらず、しかもその者が経た歴史を抑える機能がない――そのせいで進化・強化し続ければ、持ち主の精神が、いや身体ごと乗っ取られかねない代物でんす!』
スタジアムは騒然となり、タブレットを持つ者はそれを覗き込んだ。
中には舌打ちする者もおり、見上げるタウロスもまた忌々しく口を歪めている。
『ブライアンは中枢のシステム書き換えたようでやんす! これによって制限がなくなった牛頭鬼みたいなのは、最大レベルを超え、能力値が振り切ってしまってるでやんす! ――いや、こいつだけじゃない、システムを戻していないせいで、その後にタブレットを手に入れた者たちまで同じ状態でやんす! 放射性廃棄物を素手で握ってるようなもんでやんす!』
以前ここで強姦したグレイの闘士・ニヴェは、やはり家の再興に失敗したのだ。
心が折れた彼女は、慰み者として快楽に溺れた。――グレイが中毒者のようになっているのは、彼女がその快楽を求め、持ち主を支配したからなのだ、と羅刹は確信した。
「いや、もしかすれば初めから、そうするようにしていたかもしれんな」
この期に及んで、犯したくて堪らない身体だった、とあくどい笑みを浮かべる。
しかしこれはまだ可愛い方だ。
もし人を操る術に長けている者なら、簡単に思うまま支配出来るだろう。鬼は感心したように、真っ黒な牛を見上げた。
「なかなか、鬼も驚く野心じゃねえか」
タウロスはニヤリと笑みを浮かべた。
力と支配を極めた王の笑みだ。これならば、癇癪持ちで傲慢な愚か者・ブライアンなど、恰好の獲物。いとも簡単に丸め込めるに違いない。
鬼が外に出たのなら自身も可能と踏んだのか、有力者を手中に収め、調べさせたのだろう。そしてその方法を見つけ出した。
と、なれば。
羅刹は振り返り、ティナを見上げた。
彼女が鬼となったのは、自身の鬼の力が漏れ出ていたから。フィルターとなっているタブレットをぶち破り、それを最大に浴びたのが理由かもしれない。
「何を憐れむ」
気づいたティナは冷たく言い放った。
「誕生に喜びはあっても、私に後悔なぞ何一つないぞ」
「何とも腹が据わった女よ」
笑みを交わし合ったその時、ティナの後ろから小さな男の子・アンディが身を乗り出していた。
隣にいたホリーが慌てて引き戻そうとするが、怒りを孕んだ語気はそれよりも早く、視線の先にいるブライアンを殴りつけていた。
「――ズルいぞ卑怯者!」
よく通る子供の声に、スタジアムは言葉を失った。
「騎士は正々堂々、振るう剣に歪みあってはなし、だぞ!」
アンディのそれは騎士の教えだった。
ホリーの夫、バーナードが教えたのだろう。
観客からの思わぬ言葉に、ブライアンは目元を震わせている。
自分よりも小さな者に罵倒されたことが許せない、怒りに満ちた目であった。
「ぼ、ぼ、僕を卑怯者、だと……」
わなわなと震えたのを見た瞬間、羅刹は危険を察知した。
受けたダメージが想像以上に大きい。それでも厭わず立ち上がろうとしたその時、
「――タウロスッ、あのガキをブチ殺せッ!」
ブオォッと、タウロスは右に構えていた斧を振り上げ、思い切りぶん投げた。
人の大きさほどの大斧が真横に、凄まじい回転と速度で、アンディだけでなくそれを掴むホリーや他の仲間、ティナの家族がいる方向に向かってゆく。
――そこにいる全員が死ぬ
直感した羅刹は無理にでも跳び上がろうとするが、もはや斧は観客席に飛び込む寸前。スタジアム全体が、あっと騒然とした空気に包まれた。
席にいる仲間たちは、何が起こっているのかすら気付いていないようだ。
唯一反応出来たティナの母・リアーナ、父・アレックスは近くにいた子供を抱き庇い、兄・グランドはリサに覆い被さっていた。
しかし、それは無駄な行為だった。
回転が止まり、斧の刃がピタりと止まっていた。
「――何を、している?」
斧は観客席の縁で止まっている。
隠れて見えないが、そこから低く唸った女の声がした。
「――お前は、何を命じた?」
斧を片手で受け止める女が一人。
朱色のローブから覗く銀色の鎧。凛とした顔立ちに、長い金色の前髪を掻き分け、額から鋭い角が二本飛び出した女――
「な゛ッ……なんだお前は……!?」
斧が地響きを立てて落ちる。
ブライアンの驚愕は、スタジアムにいる言葉を失った観客すべてを代表していた。
それもそのはず。先ほどまで選手として、リングの中で立っていた者が、闘士と同じ“異形の存在”となっているのだ。
「何だ、とは何だ? 私はお前の対戦相手に決まっているだろう」
鬼女――ティナはそのままスタジアムに降り立つ。
ゆっくりとした足取りでブライアンの下に向かおうとする。それを阻もうとタウロスが斧を振り上げながら突っ込んでゆくが、
「目障りだッ!」
「ブォッ!?」
ティナは剣を抜くと同時にタウロスの脚を斬り払い、瞬く間に背後へと回り込む。
揺らぐタウロスは何とか踏み留まり、その場で剣を振りながら旋回するが、ティナは軽々と相手とは比べものにならない細い長剣で受け止め、何とそのまま跳ね返したのである。
タウロスの身体は大きく開き、次の瞬間には、バックリと胸部に深い線が走っていた。
「ブオォォォォッ!?」
噴き出す鮮血に、傷口を掻きむしるように背中から倒れゆく牛頭の巨体。
羅刹を含め、全員が驚愕していた。
「い、いったいどうなってるんだ?」
羅刹が洩らすと、横からやって来た小さな影が「装備でやんす」と言う。
「餓鬼か。装備っていったい何だ?」
「このゲーム、レベルアップの他に、トレーニングや装備で能力アップ出来るでやんす。大会報酬とかで配られているようでんすね」
タブレットを操作しながら呑気に説明する餓鬼。
「あの豚はシステム改造に、チート装備で更に強化してたでんすね。まぁ姐さんはゲームキャラではないけれど、フル装備でやんす。ついでに子供にちょっかいかけたら、チート級の力発揮する鬼子母神の姐さんみたいでんすし」
タウロスを倒したティナは、恐怖で顔を歪めるブライアンに迫っていた。
「ああ、そうか」
「あっし、以前から常々疑問に思ってたでんすが」
「何だ?」
「――兄貴、なんで鬼でやんす?」
羅刹は薄く空気を漏らすような笑いをした。
「鬼として召喚されたからだよ」
鬼の視線はじっと、ブライアンの胸ぐらを掴む、鬼となった主人を捉えている。




