3.決戦の火蓋
月日はあっという間に流れ、積もる雪は厚みを減らし始める。
寒さ和らぐこの日。試合を目前に控えたティナは、実家のフォード家に移っていた。
「あれは私だ」
「チチがなかったから俺だ」
「お前が押し込んだんだろうが!」
屋敷の前に、子供たちが作ったと思われる角の生えた二体の雪だるまがあり、それはどちらの鬼だと争っていた。
一方で、まだ冷たい空気が吹く頃にも拘わらず、リサと兄・グランドの二人に、家の中は一足早い春を迎えているようであった。
妹はこれにほだされ、何と庶民のロアンを部屋へと忍び入れた。若い精を貪っていた所を母のリアーナに見つかり、こっぴどく叱られてしまう。
「明日が本番って思えないほど、緊張感のねえ家だな」
「うるさい」
試合当日は白いシャツに、青いドレスローブ、その上に鮮やかな金色のエングレーブが施された銀の甲冑を纏う。ここまではいつもの騎士の恰好であるが、ティナはここから更に、母が名を伏せて贈った朱色のローブを羽織った。
騎士でもあり庶民でもある。
この彼女の意思に、関係者は無言のまま何度も頷いた。
「さて俺様も気合いを入れるかね」
羅刹は普段通り、虎柄の腰巻き一枚。腹をパンッと叩いて気合いを入れる。
ローガンやフォード家の者から寄贈の申し出があったが、羅刹は、鬼には鬼の鎧がある、とこれを丁重に断った。
選手は開場前に街の中央にあるダロスの塔に入る。
しかしそこに向かえば、時間を間違えたのかと思えるほどの人が、今か今かと列を作って並んでおり、ティナは思わず驚愕の声をあげてしまうほどであった。
街と島と繋ぐ大きな橋の上に、人が密集している。
ティナに気付くと一斉に道が開け、大きな声援を受けながら塔へと向かっていると、その途中、修道服に身を包んだ一行がいることに気付いた。
「ティナお姉ちゃん!」
そこからぴょこっと飛び出したのは、孤児の一人、アンディであった。
顔が隠れるほどの花束を両腕で抱え、ティナは腰を屈めて受け取ると、目を細めながら優しく頭を撫でた。
「絶対勝ってね!」
「ああ、もちろんだとも」
愛くるしいアンディの姿に、ティナは額から角を出し始めていた。
「ロアンって言う子犬が成犬になっても、面倒見ろよ」
「な、何を言うか! 私はそのようなこと――成長を止める呪いとかないか?」
「部屋の中に引きこもらせておけばいい」
「中身の問題ではない!」
やれやれ、と呆れながら先を歩く異形の存在と、それを追う主人であるはずの人間。
事情を知らない者は、そんな奇妙な光景を前に、ただ首を傾げるだけだった。
◇
塔の中は一段と寒々しい。
控え室には暖がないため、ティナは何度も手に息を吐きかけては擦り合わせる。
これまでのように母が訪ねて来ないのは、娘を信用してのことだろう。娘も孤独を感じることもなく、ただ来たるべき時を待つ。
やがて、移動のアナウンスが流れれば、震える寒さも忘れ、まさに騎士と呼ぶに相応しい凛とした表情で立ち上がった。
「餓鬼から連絡は?」
「何もない」
調査を始めると出かけてから二月ほど。中間報告はおろか進捗状況すらしに来ない。
地獄の獄卒に虐げられる存在であるが、一応は鬼の一種、人間に遅れを取ることはないと羅刹は言い、歩き始めた。
『さー、いよいよ始まるぞ! この年初めての大イベントォ!』
新人アナウンサーのキャットのそれにも熱が入り、『盛り上がってるかー』、『最高かー』と好き勝手に呼びかける。観客もテンションが上がっているのか、そのつど返すため余計にだろう。
『両選手の準備が整ったようです! さあ、入場して貰いましょう! まずは挑戦者・ライコーン及びウォールの街の代表、ティナ・ドリス・フォードー!』
二人の姿が現れると、観客は一斉に沸いた。
ティナは鈍器で殴られたようなそれに目を瞠ったが、一つ息を吐いて両手を振って歓声に応える。自身の立つ足場の後ろの席に、シスターや孤児たち、その他関係者が集まっているのが見えた。
『続けて、フランの街代表、ブライアン・カーン・モーリス――え、発表する順番が逆? えー、まぁいいや、えぇっと、選手の入場でえっす!』
ティナに比べればいまいち盛り上がりに欠ける中、ブライアンは不機嫌そうに姿を現した。
豪奢な緑のスーツに全身を包み、それを彩る金色の紋様は、彼の醜く太った身体のラインを明瞭にしている。顔色が悪く落ちくぼんだ目は、彼の雰囲気をより陰気に思わせた。
ブライアンに試合前の握手をする意思がないようだ。
真っ直ぐに選手用の足場へと向かうと、ティナもそれに応え、羅刹を残して足場へと向かう。
『このクソデブガキ、ほんと段取り守ら……え、何? マイク、入ったまま? ――お、おほんっ、ではこれから試合を始めたいと思いまあっす!』
取り繕ったキャットのアナウンスの直後、タブレットをセットする指示が流れる。
ティナの物は相変わらず画面が壊れたまま、ブライアンの物は金色に塗装されているだけで特に変わった様子はない。
互いにそれをセットすると、カビのような黒い球体が羅刹の前に集まり始めた。
知っている観客たちは息を詰める。知らない観客たちは、己が想像しているよりも長く、そして大量の球体が集まってゆく様に驚きの声をあげている。
巨大。
それは、とてつもなく巨大だった。
羅刹は二メートルを超えているが、それよりも頭一つ飛び出る大きである。
それに、黒い塊は高さだけに飽き足らず、横にも伸びる。腕のようだ――左右、そして更にその上にも、計四本の腕が巨体から伸びる。集まった黒い球体は、やがてハッキリとした輪郭を描く。真っ黒な牛頭が咆哮を上げた。
「――!!」
ビリビリとスタジアムが震える。
知らない者は耳を塞がず、開ききった眼を更に広げんばかりの表情で、固く歯を食いしばった。
ティナもまた同様だった。
「おーおー、牛頭鬼もこうなりゃ強そうだ」
羅刹だけは呑気に、腕を構えながら呟く。
しかし内心は違っている。
(こりゃ五体満足で帰るのは無理かねえ)
と、考えていた。
最初戦った時とは比べものにならない、凶悪なオーラ。一日や二日でなるような身体ではない。
何らかの細工がなされたと思って間違いないだろう。
だが羅刹は、それを言い訳にするつもりはない。
『これまで無敗の超パワー級の獣人と思える、ブライアン選手のタウロスの咆哮! 観客はおろか、ティナ選手も驚いているぞー! しかし、この無双の王者に唯一黒星をつけたのが彼女の闘士・ラセツと言う悪魔! タウロスはリベンジを果たせるか! それとも、再びこれを負かせて格の違いを見せるのか! さあ行くぞ、レディ――』
ティナは顔を引き締め、ブライアンは口元を醜く歪めた。




