11.しかし逃げられなかった
リアーナが部屋を後にすると、控え室は不気味なほど静まりかえる。
対戦相手はそこにはおらず、羅刹とティナ、二名がそこでじっと時を待つ。ほどなくして試合を告げるアナウンスが流れるも、言葉なく互いに頷き合うのみであった。
客の居ないスタジアムは何と寒々しいものか。
かつては大歓声に迎えられたそこは、季節も手伝ってか、鬼の肌にも空気が異様に冷たく感じてしまうほどであった。
砂地のリング中央に、対戦相手と思わしき女が待ち構えている。
フィップス家はライコーンの街で水道管理事業を行っており、代々騎士の家柄であるティナの実家・フォード家とは何の接点もない。見合いかと思われたが、対戦の相手はクローディアと名乗る淑やかな黒髪の少女、とティナとも接点はない。
ではどうして、彼女からの対戦が申し出られたのか? 羅刹はいまいち納得出来ないでいる。
『あー、あー、音声オッケー? あ、オッケー?』
緊張と寒気に包まれた砂地のリングに、気の抜ける大きな音声が流れた。
『さー! いよいよ始まります今年最後の闘士の戦い! 客がいないから張り合いがないかもしれませんが、私は非常に楽であります! あ、わたくし、新人のキャットと言います。これからもお見知りおきを。にゃーお』
気楽とメリハリがないのと違うぞ、と思う羅刹を置いて、タブレットのセットを告げる音声が流れる。
さあいよいよ対戦だ、とノってきたアナウンスと同時に、リングの中央に白い光の渦が集まり始めた。
白い筋を伴うそれは雪風のようでもあり、空気がますます冷たくなってゆく。
同時に、羅刹は背筋に冷たいものを覚えていた。覚えのある冷気だ。
「まさか、と思うが……なあ」
「どうしたのだ?」
クローディアと言う少女が戦いたがったのではない。
もし、タブレットの中の闘士が戦いたがったのなら――光が人の形を取ったとき、羅刹は背を向けてティナの下に走った。
「ギブアップだ! ギブアップしろ!」
「な、何だ藪から棒に!? 戦いもせず背を向けることは許さぬぞ!」
「勝てぬ相手に挑む奴は愚かの極みだ! ギブアップ、早くギブアップ!」
闘士の主人が立つ足場は以前よりも高くなっている。
羅刹はその縁に手をかけながら、必死の形相で懇願する姿にティナは困惑していた。
一体何が、と視線を向けるそこには、一人の真っ白な女がいた。
「――まあーっ、うちの相手は意外な御方やわ」
白い着物、やや青みがかった腰まである長い髪。力のある細目に、整った顔の輪郭は、尖った顎の先端まで乱れがない。しかし肌の色は恐ろしいくらいまで色白くあった。
どこからか忍び込んだであろう餓鬼が、それを見て、ゲッ、と驚愕声をあげた。
「懐かしおますなあ。三百年ぶりやろか」
「ゆ、雪女……何でここに?」
「さあ、なんでやろか。うちが会いたい、会いたい、思うてるのを仏さんが叶えてくはったんちゃう」
「そ、そうか。ギブアップするから短い再会だったな」
「まあ、てんご言いはる。もっと今を楽しまなあきまへんえ? ――さ、殺し合お」
ちょっと、とアナウンスが開始を告げるよりも早く、雪女と呼ばれた女は右手を掲げ、さっと振り下ろした。
「ぬおおっ!?」
直後――そこから一直線に、氷塔と呼ばれる地面から鋭く尖った氷が、羅刹に向かって走って行った。その先にはティナが居たが、羅刹は構わず避ける。
主人に当たらないようにしているのか、咄嗟に腕で顔を庇ったティナの前には、二つに裂けた氷塔が伸びていた。
「まあまあ。毎度毎度、逃げ足だけは速いこと」
「な、なあっ、許せ、な!?」
「許す? 何を言うてはんのやろか、おかしな御方やねえ――そんな生ぬるい言葉、うち嫌いやのに」
続けざまに氷塔を二発、三発と放ち、羅刹はそれを必死で躱し続ける。
躱しきれないのは炎を吐いて溶かすものの、炎すら凍らせそうなほどの氷が更に襲いくる。
羅刹は妙だと思った。日本で見た時よりも何十倍もの力をしている。
「こらー! 逃げずに前みたいに戦えー!」
ティナの檄に羅刹は、戦えるかっ、と反発した。
するとティナの真後ろにやって来た餓鬼が、
「姐さんっ、兄貴の言う通りにするでやんすっ!」
と、切羽詰まった様子で呼びかける。
「何を言う! 戦って負けるならまだしも、相手に降伏なぞ出来るか!」
「姐さんは、兄貴と雪女の姐さんの間に何があったか知らないから言えるんでやんす! あれはダメなやつでやんす!」
「間に……? いったい何があった?」
「実は……三百年ほど前、兄貴と雪女姐さんはある雪山で懇ろに、所帯を持つかとそんな話をしていたんでんす。……が、兄貴は氷室に突っ込んでいるようなものだから止めた、と勝手に山を下りやして」
ヤリ捨てられたと雪女は激怒し、猛吹雪を伴って羅刹の後を追った。
命の危険を感じた羅刹は騒動を起こし、襲ってこられない桃太郎の収容所に入った――それが咎人となった理由だと話す。
それを聞いたティナは、
「なるほど」
頷き、しばらく目を閉じた。
そして、そっと瞼を持ち上げると、氷粒をぶつけられる自身の闘士・羅刹に右手を差し向けた。
「――我が闘士・羅刹よ! 殺されるまで戦え!」
「姐さん!?」
鬼かてめえ、と叫ぶ羅刹にティナは、
「鬼だし」
その目は氷のように冷たく、いつの間にか額にも角が出ていた。
おや、と気付いた雪女は、ころころと笑い出す。
「異人はんの鬼までおるんやねえ」
そら、鬼は外、と氷の粒をぶつけられ、羅刹は地面にもんどり打って倒れた。
「い゛っ、でえ!?」
振りは緩いのに、その豆の速さは目では追えない。
「この豆に芽が出たら、うちも角を納めますえ」
「た、頼む、許してくれ!?」
地面に額を擦りつけて謝罪する羅刹に、雪女は「しかたおまへんなあ」と、目の前に男の腕ほどの氷柱を突き刺した。
「後頭部から突き刺して、ユニコーンごっこしてくれたら、去にますえ」
「今際の馬になるわ!?」
「ほなあきまへんなあ」
腕を振り上げた雪女に、羅刹は猛ダッシュで逃亡を図った。
しかし雪女のそれはあっという間、一瞬にして巨大な、鬼入りの氷塊が出来上がった。
「ああー、すっきりした」
目を細める雪女は、異人の鬼はん、と呼びかける。
「熨斗をつけてくれてやりますさかいに」
「そんな不埒者はいらない」
「なら地獄の釜に落とすとええ。――ああ、あそこのお嬢さんに、今まで操って堪忍、と言うといておくれやす」
ほな、と膝をくっと曲げて微笑む様にも耽美があり、ティナが見とれている内に、雪女はすぅっと溶けるようにスタジアムから姿を消した。
直後――雪女の主人であるクローディアは、ここどこ、と周囲を見回し始めた。
「おっかねえ……雪女、マジおっかねえよお……」
一方では、餓鬼がうずくまり、がたがた震え続け、
『え、えーっと……』
誰の勝利なのか、ひたすら困惑するアナウンスの声だけが、スタジアムに大きく響いていた。




