9.這い上がる場所を間違える
修羅の道を歩めば、人もまた鬼となる。
嫉妬や憎悪で鬼となる者がいれば、人の道を踏み外した者も鬼となる。
「引っ込めー……引っ込めー……」
外にぶ厚い雪が積もる娼館の中。
ティナは子供たちに囲われながら、鏡に写る白く突き出した角を触り、念じ続けていた。
これこそが頭痛の原因。半ば強制退去させられる形で帰ってきた彼女の姿に、子供たちを始め、シスターや娼館の者たちは絶句してしまう。
最初は一歩引いていたものの、中身はあまり変わっていないと分かるや、おっかなびっくり近づくようになっていた。
「よ、よし引っ込んだ……!」
戻るまでティナの角はそこまで出っぱなしであったが、子供たちを見ると嘘のように引っ込むようだ。……が、油断するとまた突き出てしまう。
これを見た羅刹は、ふむ、と鼻を鳴らした。
「おい、ティナ」
「ん?」
「腹減ったから、ガキを一人食わせてくれ」
「ぶち殺すぞッ! ――ああっ、また角が!?」
「子供に危害を加えようとすれば怒る。鬼子母神の姐さんと、まんま同じ反応でやんす……」
餓鬼の言葉に、羅刹は腕を組んで大きく頷いた。
「ショタコンも拗らせれば夜叉となるか」
「本質が子供好きなんでしょうが、イケナイことした業が深すぎたんでんすねえ。まさかそれが子供たち全員に累が及ぶとは、鬼も思わないことでやんす……」
「う、うるさいぞ鬼ども! ああ、さっきより出ている……」
この場にはリサは来ておらず、ティナの実家・フォード家に残っている。
戻る時は足を洗う決心をつけた時だろう、と羅刹は考えていた。
「しかし、どうしたものか」
「そうでやんすねえ……」
餓鬼も難しく唸った。
エイミーの孤児院の件は進める方向で話してあるが、ティナが子供に異常なほど執着する夜叉となれば、計画を進めるまで相当な苦労することは想像に難くない。
現にきっかけとなった話だけであれなのである。
それまでに自分を律させ、力をコントロールする術を身につけねばならない。
「それにはまず、ガキと引き離さねばならん」
羅刹とボーインの娼館の女たちは、店の奥で策を練った。
まず根は孤児・子供たちにある。
全員で協力し、女児四名をティナの実家・フォード家に送ることにした。
角を出してゴネたが、羅刹が外を知るべき時期だと説得し、不承不承ながらも、実家ならばと首を縦に振らせた。
次に、移った女児に好意を向けている子がいると話す。
小さな恋心を傷つけてはならない、と男児四名を送る。
騎士になりたい子がいる。
騎士の家で教えを受ける方がいいだろう、と男児五名を送る。
バーナードからホリーの身請けの話がきた。
懐いているアンディを世話係として連れてゆく、と話す。
――ここで気づかれた。
「子供たちを、子供たちを返せェッ!」
「何であっしが止めなきゃならないでんすかああ!?」
鬼を止めにゆける下っ端は餓鬼しかおらず、必死で夜叉となったティナを抑え込んでいる。
力加減を知らないので殴られた顔はボコボコに、時々、腕が逆方向に向いてもなお餓鬼はしがみついた。
ティナの鬼の角は既に五センチほど、天に向って反り返り始めている。力のコントロールを学ぶのはこれから、今はまだ準備にすぎない。
餓鬼は思う。
餓鬼道に堕ちたものの、この暮らしも悪くない。
しかしこの時初めて、因縁から解放されたい、と涙を流し仏に請うのであった。
◇
ティナの訓練は一ヶ月に渡った。
角は十五センチまで伸び、口内には尖り牙が上下合わせて四本生えた。
一番の薬は、やはりロアンである。
ちゃんと制御出来ればしばらく愛でてもいい、との条件を提示すれば、彼女は必死になって修行に挑んだ。
修行内容も至って簡単で、娼婦であるシスターに愛撫されるのを目の前で見て、鬼にならないように堪えることである。
「――ロアン殿、決して女を嫌悪せぬように。あのようなものが、すべての女ではありません」
やつれ顔でぐったりと椅子に座るロアンに、ティナの母・リアーナが労いの言葉をかけている。
部屋の隅では羅刹が控え、今日もボコボコにされた餓鬼が、木彫りの仏像に向って手を合わせ続けていた。
ロアンの気力は尽きかけ、下半身を隠すこともしないまま、はひ、と空気が抜ける返事をするしか出来ない。
しかし、女の匂いを感じると反応するようになったのか、ムクムクと力が込められ始めたそれを見、リアーナはあんぐりと凝視してしまう。
「お母様も女でございますね」
「ば、馬鹿言うものじゃありません! す、少し驚いただけです!」
ティナは一瞬、角を出しかけたがすぐに引っ込める。
ちゃんと制御したのだから、と言いたげにロアンを軽々と持ち上げると、舌なめずりしながら娼館の奥に消えた。
残されたリアーナは、気鬱なため息を吐いた。
「娘を情けないと思うべきか、憐れむべきか分かりません……」
「鬼からすれば誇るべきだ、としか言えん」
「まさかあんな悪癖があるとは、親として何と言うべきか。いえ今はそれよりも」
完全に悪魔になったのか、と心配そうな目を向ける。
「結論から言えばそうだ。それと、悪魔じゃなくて鬼な」
「やはり、そうですか……」
「気休め言っても仕方がないからな。しかし鬼も様々だ。アイツに近しいので鬼子母神と言うのがいる。これは元々自身の五百の子供を育てるため、人の子を捕らえ、食っていた夜叉だ」
まさか、とリアーナの顔は真っ青になっていた。
「だが仏に子を隠され、改心してからは三宝に帰依し、子供のための神となった。――鬼と言えど、進む道を選べばそれは正しきものとなる。見た目が異形だからと決めつけるのは早計だ」
「するとまさか、そのために――」
力を制御させていたのか、と羅刹の足下に跪いて感泣した。
「ふん。結果的にそうなっただけだ」
行く末を案じれば胸が張り裂けてしまいかねず、必死に隠していたのだろう。
安堵がその堰を切り、目から涙となって流れ落ち続けてゆく。いくら拭っても、それは止めどなく流れ続けた。
「ただ、一つ問題がある」
「え、そ、それは……!」
「鬼子母神は子授けや子宝、安産の守り神、との性質もある。どうやら、アイツにも近しいものがあるらしい」
「……それは、いいことなのでは?」
「子は世の宝だ。確かにいいことなんだが……」
羅刹は娼館の中をぐるりと見渡した。
孤児はティナの実家・フォード家に移り、娼婦となったシスターは四名ほどが足を洗った。
子供の声にぎやかなこの時間も、今や閑散と火が消えたように薄暗くて静かだ。
「場所が場所でなあ」
困ったような口ぶりに、リアーナは少しの間を置き、あっ、と声を出した。
娼館は男が性欲を満たす場所。子作りではなく、性交の快楽を貪る場所なのだ。
基本的に娼婦は金に困る者ばかり。娼館の主人も女も、男と交わる回数を計算して働く。
もしそこに、子宝が繁栄する存在がいればどうなるか。火を見るより明らかな結果を待つ。
今まで出来ないようにしていたが、邪魔をすると何されるか分かったもんじゃない、と鬼は眉を落としながら言った。
「ならばそれを逆手に取り、子授けの宿にすればいいのではないでしょうか? 裏の居住地に新たな孤児たちを受け入れ、面倒みながら」
「やっぱそうなるか……」
ミズーラ域の歓楽街も破壊しちまうのかねえ、と対極の存在に困った様子で唸った。
リアーナが訪ねてきたのは、鬼となった娘を案じただけではない。
復帰戦の日程と内容について、今年の興行をすべて終えた後、無観客試合で復帰戦を行う旨を伝えにきたのである。
「無観客ねえ。あまり大っぴらにはしたくないのか?」
「それもありますが、“集客力”を失ったのが大きな要因です」
客を呼び込む声がなくなった、と説明するリアーナ。
スタジアムの収容力は変わらない。声目当て客が増えれば、純粋に観戦を楽しんでいた客が離れてしまう。主な収入源まで失い、今まで通りのやり方では採算が合わなくなったようだ。
「あの声だけ美人なやっこさん、辞めたのか?」
「いえ、辞めたと言うか……追放されてしまったようです」
「追放?」
ある日、傷心の彼女の下に一人の男が訪ね、熱心に口説いた。
その想いが通じたのだが、ずだ袋をかぶせて性交をしたため、終わった直後に鉈で滅多斬りにされ――事情が事情であるため、彼女を死刑にするのは忍びない。これまでの功績をたたえ、追放のみの処分とされた。
彼女はフランの街とウォールの街の堺近くにある森に家を建て、そこに移ったようだ。
――森のセイレーン。美しい歌声に導かれれば、二度と戻って来られぬ
詩人はそう詠う。
「……彼女も、鬼と言うものになったのでしょうか?」
「それはただの殺人鬼だ」
鬼の所業であるが、と羅刹は口を大きくあげて笑った。




