8.人もまた鬼になる
だが、羅刹は鬼である。
「リサの一番ホールは俺がマワったぞ」
「なッ……!?」
「いい芝、ラフだった。なかなかカップインしなくて難儀してな」
兄・グランドは、ティナと違って純情だった。リサの純潔が化け物に奪われたことがショックだったのか、動揺を露わに、ふらつきながら部屋へと戻る。――それからすぐのこと、妹のティナが烈火の如く駆け向かってきた。
「兄上に変なことを吹き込むでないわ! ショックで寝込んでしまっただろうが!」
「お前の家、この代で途絶えるんじゃねえの?」
メンタルが弱すぎる、と首を振る。
「わ、私がおるわ!」
「ガキのそれが奥まで届けばな」
届く、とムキになりかけた口を噤む。遠い廊下の向こうで人の気配を感じたからだ。
それは、黒い修道服にクロブークと呼ばれる修道帽を被ったシスター・リサだった。人目をはばかりながら、グランドが休んでいる部屋に向かってゆく。
しばらくして、同じ姿をしたシスターがここ・フォード家を訪ねてきたのだが、これが大きな騒動の引き金となることは、まだ誰も気づいていなかった。
「――どうしてミッチェル家がうちにと思っていたが、そうか、エイミーが嫁いだ家であったか!」
「は、はい。挨拶が遅くなって申し訳ありません」
孤児からシスターへ。シスターから娼婦へ。そして娼婦から貴族の妻へ。
十五歳になったエイミーは、ローガンの推挙もあってミッチェル家の三男へ嫁いだ。娼婦と言っても、彼女はまだ店に上がっていない処女だった。
それでも蔑みの目はあったと苦労話を語るが、今ここで見せている眩いばかりの幸福顔は、それらを乗り越えたことを証明していた。
客間に育ての親でもあるリサがやって来れば、途端に姦しくなり、思い出話は尽きない。
温かい時間がいかほどか過ぎた時、エイミーは「実は……」と、訊ねてきた本題を切り出した。
「――フランの街の孤児を?」
「はい。先の伝染病により、たくさんの孤児たちが出ました。孤児院や修道院も限りがあり、受け入れもままならず、たくさんの孤児が不安と孤独の日々を送っています」
「確かに……伝染病があった街、と言うだけで敬遠してしまうでしょうね」
「案じていた私に、ジェームズ様が『新たに施設を設けよう』と仰られたのです。そしてフートラン修道院の女児を、私のようにミッチェル家に奉公させてはどうか、と」
まあ、とリサは明るい声をあげた。
孤児から貴族の正妻になることは稀なこと、将来を案じる孤児たちの希望になって欲しい、と夫から望まれた、とエイミーは話す。
その横で、ティナが不満げに喉を唸らせたが、これに気づいたのは羅刹だけだった。
「私はこれを受けたいと考えています。これにあたって――シスター・リサのお気持ちを継がせて頂けないでしょうか。フートラン修道院で教わった愛を、次は私が孤児に捧げたいのです」
「立派になりましたね、エイミー……。ええ、断る理由がどこにありましょうか」
指で涙を拭うリサ。
エイミーもまた目に涙を溜めている。
「あっしも涙が出そうでやんす……」
餓鬼と動揺、鬼にも涙が出るのだろうか、と微笑ましく見守る羅刹の横で、まるで空気を読まず一異を唱えた者がいた。
「――ならぬ!」
ティナである。
あまりの唐突さに、シスター二人はきょとんとしていた。
「黙って聞いておれば勝手なことを! ならぬ、ならぬ! 孤児院なぞ、ならぬぞ!」
「……え?」
「ミッチェル家にはそこまで財に余裕がないであろう!」
「そ、それはそうですが……。しかし、子供たちのために惜しんでは、と……」
「ちゃんとした教育を施し、面倒見られるのか! お前はさっき蔑まれた目で見られたと言っていたが、子供たちも同じ目に遭わぬ確証があるのか!」
「そ、それは……」
「ハッキリと答えられぬ内は許さん、私が許さん!」
お前が断る理由がどこにあるのか、と突っ込む羅刹であるが、ティナはまったく聞く耳を持たない。
しかも、言っている言葉が支離滅裂で
「私が面倒を見る、私が食事を与える。私の子供たちだ!」
など、目を血走らせる狂人の如きその姿に、シスターは抱き合った。
騒動を聞きつけた母・リアーナであったが、見たこともない娘の形相を前に立ち尽くしてしまう。母の叱咤も、まるで聞く耳を持たない。
「子供たちは私のものだッ! お前たちの領分ではないッ!」
と、金切り声まで上げる始末。
時おり頭痛に顔をしかめ、それが更に怒りを増長させているようにも見える。
その姿に餓鬼は、「うーん……」と、首を大きく傾げた。
「姐さん、偏頭痛でも持ってるでんす?」
「いや? 時々、頭痛に悩んでいるようでもあったが」
「それに、やたらと子供に執着するでんすね?」
「まあ、そう言う悪癖だからな」
餓鬼はしばらく思案し、
「前々から思っていたでやんすが」
と、羅刹を見た。
「……鬼病にかかってやせん?」
はて、と羅刹は片眉を上げ、思案した。
人間で言えば、頭痛や体重減少、感覚機能の低下……などであるが、鬼のそれは違っている。そしてそれならば、思いあたる節が何点かあった。
「修羅の如き言動、あっしは“ある御方”を思い出すでやんす……」
「……」
周囲の者たちは、鬼に助けを求める目を向ける。
ティナは、子供は渡さぬ、子供は私のものだ、と狂い声を上げている。
「確かに、凄まじい聴力をし、素手で襲撃者の頭を二つ割りにしたりしていたが」
「まんまそれでやんすか……」
餓鬼が遠い目を向けた。
フランのゴロツキを襲撃した場所は、ミズーラ域とライコーンを繋ぐ街道の真ん中。夕暮れに出たならば、到着は明け方近くになるはず。
羅刹は少しの間を置いて、暴れ出す寸前のティナを向いた。
「おい、ティナ」
「何だッ!」
女は怒りに顔を歪め、青い瞳をギラギラと光せている。
「この話はしばらく棚上げしてやるが、その代わりに前髪を持ち上げてみせろ」
「なに?」
それぐらいなら、とティナは金髪の前髪を両手で持ち上げる。
するとその場にいた者は、あっ、と驚く声をあげる一方、鬼は、
「やっぱりか」
「やっぱりでやんす……」
「何がだッ!」
羅刹は無言で額を撫でる仕草をする。
「額に何が――ん? これは、コブか……あ、あれっ、何だこれっ?」
リサとエイミーは震え、産みの親であるリアーナは愕然と突っ立ったまま、言葉を忘れてしまったかのように喘ぐ。
「何だ!? 何だこれ、私の額から何が出てるんだ!?」
怒りは引いたが、先ほどとはうって変わってパニックを起こすティナに、羅刹と餓鬼は満面の笑みを浮かべて両手を広げた。
「鬼の世界へようこそ」
「姐さんは鬼女に進化したでやんす! おめでとうでやんす!」
「鬼の……って、なんだとおおおお――ッ!?」
ティナの白い額には、小さな角が二本、前に飛び出していたのである。




