7.対面。一足早い春
今日も子供たちの声が寮を渡る。
中庭で掃き掃除をしていたティナは手を止め、頬を緩ませた。
「うむ。今日も元気でいい」
遅れてキャトリンの金切り声がするのもセットで、今や娼館の日常となっている。
隣で茶を飲んでいた羅刹も見上げ、そうだな、と言葉切り出した。
「そろそろガキどもの奉公先も考えねばならん」
「何?」
ティナの顔が少し険しくなるのを見た羅刹は、片眉を上げ、そりゃそうだろう、と言う。
「店にしろ、どこぞのお屋敷にしろ、働きに出て一人前だ」
「不要だ。ここでも一人前になれる」
低く冷たさのある声で言い捨て、箒を乱暴に動かし始める。
その姿に羅刹は眉を寄せたが、他に何も言おうとせず、ぐっと茶を飲み干した。
ティナの下に赦免状が届けられたのは、二日後の朝。冬の到来を告げる風が吹く日だった。
最初は文句ばかり言っていたはずなのに、今では娼館に愛着を持っているようだ。ミズーラ域に住居を残したまま、実家は訪ねるだけにすると決めた。
たびたび歩いた道であるが、帰路についていると思うとまた違った風景に感じられる。
話していた世話役をリサに頼むことにした。
兄・グランドの風邪は思わしくないとのことであったが――いざ訪ねてみれば伝染病だと思い込み、ただの風邪で病人になりきっていただけと判明する。
青ざめるグランドを、リサが問題ないと諭し、彼女の献身的な看病のおかげでもあって体調はみるみるよくなってゆく。外は寒くなる一方なのに対し、熱冷まし用の桶の水が温み始めてゆくのを羅刹は感じていた。
「――選手として復帰を?」
「うむ」
兄を除いた家族が集うダイニングにて、ティナの父・アレックスが呼び戻した理由を告げた。
厳格な性格が顔に、声に出ている。大柄な体躯、金色の総髪は若さを感じさせるが、帰参の挨拶に顔を合わせたティナは、痩せていることに僅かなショックを受けた。
「リアーナより、至るところから復帰の声が望まれていることは聞いているだろう?」
「え、ええ……」
「その他にも、手合わせを願う声が出ていることは?」
「それは初耳です」
ティナの実家は“2番筋”にあり、その申し出があったのは“9番筋”にあるフィップス家だと言う。
袖に巻かれた金帯は一本。等級としては下である。まるで関わりのない家の名に、ティナは首を傾げた。
これをきっかけに繋がりを持ちたいのだろう、とアレックスは告げた。
ティナは困惑しながら、部屋の端で目立たないようにしていた羅刹に目を向ける。
「兵士は戦場で戦うだけ。その他は国が決めることだ」
望む答えだったのかアレックスは大きく頷く。
繋がりを持ちたい――つまり、嫁入りか婿取りを画策するものである。騎士の家は今でも、剣試合を組み、そこで顔を合わせる見合いの風習があった。
ティナは大きく息を吐き出すと、首を左右に振った。
「親の期待に沿うのが子の努め。復帰を望まれるのなら、私はそれに従いましょう。しかしその先、結末までは保証できません」
「二度も思った通りにならなかったのだ。三度目、四度目がそうなっても、もはや何も思わぬ」
承知しました、と言うと、ティナは折り目正しく膝を落とし、頭を垂れた。
それから態勢を戻したのち、一つ、とアレックスに問う。
「グレイとの婚約は破棄されたと思うのですが、その後、先方からは……?」
「それなのだが……」
言いにくそうに、アレックスは口をもごもごさせた。
「あの後、彼の闘士は糸の切れた人形の如く、身体を拭き清めることもせず、虚ろな目をするだけだった。グレイも当初、これに失落していたと思われたのだが……」
「だが?」
「ある日、彼の母が見たのだ。穢れたままの彼女を見て手淫しているのを……」
口を開いたままのティナ。
これには羅刹まで眉を上げていた。
「死んでさえいなければ、闘士はすぐに回復するのでは」
ティナが問うと、アレックスは顔を難しくて頷く。
「その直後は、完治していたと聞いている。しかしその数日後――彼はタブレットに何かをしたのか、塔に行った直後から彼女は別物になっていたらしい」
「別物、とは?」
「もはや言いなりになる人形だ。暇があれば画面の中で何かに犯され、喘ぐ女の姿を眺めている、と」
「……つくづく、婚約が流れてよかったと思います」
まったくだ、とアレックスは安堵の息を吐く。
話が終わり立ち去ろうとしたが、羅刹だけを残るよう指示をした。
娘が部屋を出たのを見届け、鬼は「何だ」と見上げる。
「先日の襲撃の際、リアーナが先頭になって首謀者の捜査にあたっていた」
「鬼が知らいでか。紙に染みついた匂いはご主人様と同じだったからな」
「襲撃され、ティナが辱めた上に殺害された、と聞いた時のリアーナは、まさにお前のような形相だった」
「人も鬼になるからな。愛情が深ければその分、反転した時の憎悪は凄まじい」
ヒステリックもあるが、と言うと、アレックスは薄く笑って返した。
「ブライアン、と言う男を覚えているか?」
「生憎。男の名前はあまり覚えないタチでな」
「ティナのデビュー戦の折り、フランの街代表で出ていた奴だ」
あああれか、と使役されていた牛頭を思い出しながら言う。
「奴が黒幕だと我々は考えている。我が儘放題の子供のまま大きくなったゆえ、敗北したことが許せないのだろう、と」
「敗北を教えなかった親の責任だな」
「襲撃の少し前、ダロスの塔の召喚担当者が殺されており、システムに何かした痕跡があったらしい。ブライアンの仕業と断定できんが、その日あたりから彼は大会で全戦全勝だ。グレイの一件から想像するに、闘士に何かしたのかもしれん」
「なるほど。ティナが復帰すれば、これ幸いにしてくる可能性もあるわけか」
その通りだ、とアレックスは頷く。
そして、この話題は終わりだと言いたげに姿勢を崩し、椅子の肘掛けに上半身の体重を預けると、威厳を潜めた声で“娼館の裏事業”について訊ねてきた。
「……貴婦人との逢い引きの場に、“1番筋”に住むマリアと言う名の女性はおらぬか?」
「その筋は証文帖には載っていなかった。まぁ堕とすなら何でも出来るが」
「そ、そうか。確かに“1番筋”は金貸しでも別格の……」
「必要なら堕としてやるぞ?」
鬼が笑みを浮かべると、正面の男はくっと唾を飲んだ。
「い、いや、居ればと言うだけだ」
うむ、と言う言葉を受けて羅刹は下がる。
部屋を出てすぐ、鬼の耳は『“1番筋”の証文、か……』との呟き声を捉えていた。
ティナの家は堅苦しいものだったが、父親も男であれば、長男も男である。
風邪は三日もすれば治ったのの、あっという間にリサに惚れ、別の熱を上げ始めたのだ。
リサもまた満更でもないらしい。――がしかし、自身は穢れた身、エゴで孤児を死なせたとの罪の意識に苛まれ、幸せを求めることを拒んでいる様子であった。
これを見た鬼は一肌脱いでやろうと、ある日の晩、彼女の夢に一人の孤児を連れて行ってやった。
たかが夢。
しかしリサはその日から、素直な笑顔をグランドに見せるようになる。
「二人の挙式は来年でやんすかねえ」
雪がチラつく曇った空の下。
庭園を並んで歩く若い男女を見ながら、羅刹は高く笑い始めた。




