6.母の来訪と許し
フランの街で伝染病が蔓延。死者は多数。
この報があったのは、何と発覚から一週間後のことである。
西側で千を超える死者を出したにも拘わらず、フランの街は報告どころか橋すら封鎖しなかったため、各方面から厳しい責任の追及を受けていると言う。
そこで虐殺があったこと触れられず、死者は病の犠牲者の一人として数えられた。
娼館は不衛生の代表とも言える場所。伝染病の報せがあってからと言うもの、客足はぱたと止んでしまい、暇な時間が続いていた。
「フランの伝染病って、いくら食べても満足せず、人食いになるのもいたらしいね」
「……アンタ、手洗いとかちゃんとしているのかい?」
「あっはっは! アンタを食べても皮ばっかで食べ応えがないよ」
古株のミランダとキャトリンが、呑気に会話を続けている。
悲愴感が覆う世間に反し、寮の中は、子供たちやシスター、娼婦たちが賑やかに過ごす。
また、静かな娼館のロビーでは――
「あのチーズは本当に死ぬかと思ったぞ」
「あれは、鬼、何も関わって、ない」
未だにチーズが怖い、と言うティナ。
娼館の関係者は皆、伝染病の発生源は羅刹だと気付いているのだ。
しかしそれ以外の者は知らないため、
・目の周りにハッカ汁を塗る
・尻に葱を挟んだら治った
・陰毛を剃れば感染しない
などと、未曾有の出来事につきものの流言、眉唾ものの民間療法までも広まってしまっている。
これにはシスターの存在が大いに役立った。
娼婦と言えど心根はシスターのまま。彼女らが正しい手洗いうがい、清潔を心がけた予防法を伝えれば、誰もが素直に聞き入れた。――ミズーラ域は明るさを取り戻しつつある。
「ところで、お前たちは何をしているのだ?」
羅刹と餓鬼が向かい合って座っている。
双方の間には木の棒と鉄兜。そしてその横で、ティナが不思議そうな顔でそれを眺めていた。
「鬼の遊びだ。――餓鬼、いくぞ」
「あ、あーい……」
双方、拳を掲げる。
「殴ってシバいて」
「じゃ、じゃんけん……」
ぽん、と手を出す。
羅刹はグー。
餓鬼はパー。
餓鬼が木の棒に手を伸ばすと同時――
「アビッ!?」
パァンッ、と張り手の音が響き、餓鬼が横に吹き飛んだ。
「マジモンだよォ……ッ、このおっさんマジモンの鬼だよォォ……ッ!」
涙目で左頬を抑えながら悶絶する餓鬼。
半眼でそれを見ていたティナは、ゆっくりと口を開いた。
「それ、楽しいのか?」
「ねェっすよォォ……!」
理不尽な接待ゲームはこの後、四回続けられる。
床の上で横たわる餓鬼を尻目に、ティナは身体を伸ばしながら、溜まった空気を吐き出した。
ようやくゆっくりできる、そんな安堵の伸びだった。
「ロアンの怪我も治り、襲撃してきた連中は全滅。これでやっと落ち着けるな」
「なかなか博打に出たもんだ。娼館で迎えうつと思っていたが、まさか街道で待ち受けるとはな」
ティナは、ん、と額に拳をあてた。
「……実のところ、あまり覚えておらぬのだ。理由もなく気配に気付き、気付けばミズーラ域の外に出ておったし」
「アドレナリンがガンガンに出てたか」
「あど……? 何ぞ、それは?」
「“血がたぎる”みたいなものだ。興奮すると脳内に活性させるものが分泌される」
「興奮……まぁ、うん、たっぷり出たな。あれだけ出れば健康だ」
「お前の悪癖を親の前で明かす日が楽しみでならない」
ちょうどその時、娼館の前に一台の馬車が停車した。
フランの街のものではなく、青いラインが入った騎士の家が所持する馬車。正面のポーカン通りはざわめき、そこから貴婦人らしき者がやってくるのに気付くと、ティナは大きく後ずさりしてしまった。
「な、何だあれは!?」
鉄仮面に鉄の籠手、青いドレスの上に更に雨合羽ような灰色のローブを一枚、首元には隙間を埋める赤いスカーフをキツく巻き付ける。異形、と呼ぶに相応しい存在である。
対する羅刹は『強盗にしてはかなり気合いが入っているので、銀貨でもくれてやろう』と、呑気に考えている。
「――ティナ! なんて恰好をしているのです!」
鉄仮面の下で、くぐもった厳しい言葉が響く。
なんて恰好と言われても、と身体に目を落とした。白いシャツに色あせた朱のスカート、上に朱のローブを羽織る。ごく普通の恰好だが、とティナは呟く。
言われもない叱責であるが、彼女はそれで声の主に気付いた。
「……お母様、その年で呆けられましたか?」
「冗談言ってる場合ですか! フランの伝染病が流行ってると言うのに、こんな不衛生な場所で無防備に顔を露出して! グランドが寒気を訴え、感染の可能性があるのですよ!」
「お、お兄様が!?」
ティナに問うような顔を向けられた羅刹は、ただの風邪だ、と淡々と診断した。
「寒気、咳、発熱までしている。伝染病のそれと同じです」
「風邪の症状だろうが。俺が起こしたのは感染しない方の肺炎だし」
「……この化け物は、何を言っているのです?」
ティナは慌てて事情を説明する。
留守を狙って娼館を襲撃されたことから始まり、奉公人四名が命を落とし、その報復として羅刹が病を振りまいた、と。
これを聞いた母・リアーナは、恐らく鉄仮面の下で難しい顔を浮かべ、
「口や鼻から、毛穴から感染することは?」
「それは他の病気だ」
「目の周りにハッカ汁を塗るのは?」
「眠気に効く」
「尻に葱を挟むのは?」
「そう手の飯屋なら繁盛するだろう」
「陰毛を剃るのは……?」
「マンネリ解消の薬だ」
リアーナは沈むように押し黙った。
「お母様……まさか、すべてしたのでは……?」
「親に訊くものではありません」
はぁ、とため息を吐くと、鉄仮面を外し、手を後ろにスカートをまくり上げ短い棒葱を取りだした。
「その葱、売れるぞ」
「馬鹿おっしゃい!」
顔を赤くして近くのゴミ箱に投げ捨てたリアーナは、眉間を抑えながら左右に首を振った。
「夜はハッカのせいで眠れず、日中は下半身の違和感で集中できず……。下着を穿かない健康法などで、グランドは風邪を引き……。はぁ、流言に踊らされたことが恥ずかしい……」
「お兄様は大丈夫なのでしょうか……?」
「風邪ならば大丈夫でしょう」
「病は気から来ますし、兄上は特に病気がちなので油断してはなりません。流言の払拭と今後の衛生指導も兼ね、こちらから世話する者を送るとしましょう」
娼婦でしょう、と言いかけたようだが、その口は途中で噤まれた。
リアーナは僅かに顎を引いただけで、しっかりと対応する娘のを言葉を否定しなかった。緩む口元を隠すように、ぐるりと娼館のロビーを見渡す。
「娼館、と言うものは薄汚いものと思っていましたが、以外と掃除がゆき届いているのですね」
「ええ。掃除しているのは私ですが、心の汚れは環境から、と言うのがシス――娼婦たちの教えでもありますので」
「シスターなのでしょう。存じています」
「そ、そうでありましたか……」
「事情は把握しています。しかし、よもや貴女もそれに混じり、身体を許してなぞおりませんよね?」
「う、そ、それはまぁ……」
何かを察したのか、情けない、と漏らした。
「外の世界を生きてゆくのです。男の一人や二人、身を預けたくなるもの仕方ないでしょうね……。ですが、泣くような結末を迎えるのは許しません。泣かせる側になりなさい」
「は、はい……!」
「貴女はすぐに場の空気に流され、堪えきれなくなる――放蕩するのは絶対に許しませんからね」
「……はい」
「声が小さい!」
「は、はい!」
激流の如き堪え性のなさを知れば、どんな反応が見られるのだろう。
羅刹は言いたくなるのをぐっと堪えた。
しかし、影からの援助者に徹していた母親が、どうしていきなり娘を訪ねたのか。
それが気にかかっていた。
「……ここで、ウォールの貴人たちに、秘密の商売させている、と言うのは真ですか?」
「いや、その、事情がある方だけ――まさかお母様、やりたいのですか!?」
「お、親をそのような目で見るものじゃありません! 各方面から貴女を家に戻せだの、娼館で熱心に働いているだの、女の悦び・真の幸せに導いてくれただの聞かされれば、おのずと分かります!」
「あ、ああ……」
「一緒に働かないか、とまで誘われることも多くあって困っておるのですよまったく……。それらのことも踏まえ、一度、家で話を聞かせなさい」
ティナは目を瞠っていた。
それはつまり、敷居をまたぐことを許可する、と言うことである。
「ま、まことですか……?」
「あくまで向こうで話を聞いてからです」
「お母様……!」
ティナは目に涙を溜めながら、両腕を母親に回した。
久々の温もりに溢れるものが止まらず、肩口に押し当て鼻をすする。
その下では餓鬼が立て膝を支えに、あっしら同行許されるんですかね、と訊ねていた。




