5.鬼が出る
二枚の紙が娼館に持ち込まれたのは、それから一週間後の夜明け。
ボーインらには告げず、羅刹とティナ、餓鬼がロビーのテーブルに並べられた二枚の紙きれを囲った。
「ほー。これなら、あっしが調べなくともよかったんですね」
感心したように餓鬼は言う。一枚は餓鬼が調べ、二枚目はローガンの密使より届けられたものだ。
しかし二枚目の紙に染みついた匂いは、ローガンではなく、身近な者と同じであることに羅刹は気付いていた。
「でも三人、あっしのリストには無いでんすね」
まだまだでんす、と首を振る餓鬼に、いや、と紙に目を落としながら言う。
「その三人に訊かねば、片方のリストは出来ていないだろう」
「あ、なーる」
ぱんと手を叩く餓鬼。
するとティナは、いつ決行するのかと訊ねた。
「今から出る」
よし、と立ち上がろうとしたティナに、羅刹は右手を突き出した。
「ここからは鬼の領分。お前はホームを守れ」
「馬鹿を言えっ! 好き放題やられ、黙って見ていろと言うのか!」
「鬼の巣を叩けば鬼が出る。殺された女の時のように、俺らが離れるのを待っている可能性も高い。となれば、店を守る適役はお前しか残っていないだろう」
「く……」
羅刹が立ち上がると、追うように餓鬼も立ち上がる。
ティナだけ座ったまま、悔しげに、机に乗せた拳を固く震わせるしか出来ないでいた。
「連中がもう一度来るならば、現場をよく知る者が――ロアンを狙った連中が来るはずだ。どうせ地獄を味わわせるなら、そっちのがお前としてもいいだろう」
◇
羅刹らが娼館を出てから半日。
空は藍色に染まっているが、ティナは灯りをつけないままロアンの傍に控えていた。
「ティナさん、大丈夫ですか……?」
ロアンは顔だけを横に、心配そうな声で訊ねた。
羅刹らが去った後、また頭痛に襲われたからである。今度はいつも以上に酷く、一時はローブの下で冷や汗が滴り落ちるぐらいだった。気付かれないよう灯りをつけずにいたが、と苦笑する。
今はベッド脇に肘を立てたまま、時々顔をしかめる程度になっている。
「心配をさせないようにと思っていたが……」
「以前から頭痛に悩む姿を見かけるのですが、医者は……?」
「行く機会を悉く失ってな。ま、季節のそれだろう」
「そうですか……でも、無理はしないで下さい。ティナさん、よく無茶なことするから」
「何を言う、それは私の言葉だ」
「え?」
「我が闘士から聞いたぞ。ゴロツキどもに殴りかかったそうではないか」
「そ、それは……」
ティナさんに酷いことした、と聞いたら居ても立ってもいられなくなった。
それを聞いたティナは胸の奥がじんと熱くなり、いつの間にか頭痛も完全に消えてしまっていた。
相手を殴った手には包帯が巻かれているが、気がつけばそれを解いており、手のひらを愛おしそうに頬ずりをしていた。それから、すり切れ、治りつつある拳にキスをする。
しかしそれだけでは満足できず、傷口に染みこませるように舌先でほじり、
「あ、あの……!?」
「ふふ……安心しろロアン。私がお前の仇を、連中に地獄を見せてやる」
片方の手は布団の中に滑り込んだ。
「てぃ、ティナさ――」
「ほうら。可愛いねずみを捕まえたぞ」
その手は蛇の如く。捕らえた獲物を弄んでいると、次第に手の中で力を得てゆく。
ティナはそれに妖艶な笑みを浮かべ、今度は身体が布団に入り込んだ。そして小さな身体に蜜という毒が注がれると、じっと貪られる快楽に震え続けようになる。
◇
中央にそびえるダロスの塔の北にある街・フラン。
ここのみライコーンとウォールと繋がる橋が二つ架けられている。
石よりも草木が多い街の夕暮れ。つんざく悲鳴が起こった。
何ごとかと駆けつけると、そこは地獄――身体中が引き裂かれた者、鋸で身体を切断・削られた者、綱渡りに失敗したのか背負った鉄塊に潰された者、圧死した者が転がっていた。
吐き気をもよおす光景から目を背けたその時、駆けつけた者は瞠目した。うずくまった男が一人、吐いているのかと思いきや、逆に何かを口に運び続けている。
「お、おいアンタ――」
うー、うーと唸るそれは、振り返った。
口元が真っ赤に、手には何かの腸を、その前には何かの死体――男はぎゃっと悲鳴をあげ、後ずさりした。
「み、満たされな゛ぃ……みだざれな゛いぃ……」
食わせろォォ、と腕を伸ばす男。
もう一方の男は、なり振り構わない悲鳴をあげて逃げ始める。
また、そこから離れた屠殺場では、行き場のない叫喚が響き続けていた。
大鍋の中で煮られる者。
太い串を刺され、身体を丸焼きにされる者。
外には弓矢で射殺された者。
リーダーらしき者に関しては毒を浴び、溶鉄を走らされ、舌に百本の釘を打たれている。
彼らはまだ死んでいなかった。
――否、地獄の獄卒は死ぬことを許さない。
『ぐわっはっは! 等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、炎熱、大炎熱、阿鼻、八大地獄巡りを味わえるなんて滅多にねえぞ! 遊女の世界は苦界と言うが、地獄はそれ以上よォ!』
夜明けには屠殺場も静けさを取り戻していたが、発見はもう少し後となる。
フランの街全体が奇病に冒され、多くの者が苦しみ、息絶えたからだ。
◇
またそれとは別の場所、ライコーンとミズーラ域を結ぶ街道の途中では――
「な、何者だお前は……!」
「鬼の飼い主、と言っておこうか」
醜悪な面をした男が、情けない悲鳴をあげて逃げ出した。
しかし、金髪の女は猛禽類の爪の如く。一瞬にして男の首根っこを捕らえ、強く地面に押しつけた。
「まったく。汚い足で娼館に踏み入ってくれたな。掃除するのは下女、私の仕事なのだぞ」
男はもがくがそれは振りほどくことは出来ない。
やがて仰向けにされ、胸の上に馬乗りになると、女の両手・親指を眉間に押し当て、尖った爪先を立てる。
とんでもない力であるようだ。男は真っ赤に染まったその手を外すことも、押しのけることすらできない。眉間が裂け、赤いものがたらり伝い落ちてゆく。
「や、やめっ、た、頼む、許してくれっ! た、頼まれたんだ! あんたを恨んでる奴が、恥をかかされた報復をって、だ、だから――あ、が、がああああああああッ!?」
「そんな情報はいらないんだ。お前は大切なものを傷つけたその罪の償いをする、私の望むものは、ただ、それだけなのだ」
埋没した爪先は、やがてザクロを割るかのように、ぐっと横に力が込められる。
夜を破る絶叫も、女はひたすら艶めかしい笑みを浮かべる材料にしかならなかった。




