4.襲われた鬼の住み処
ティナの戻りが遅かったのには理由があった。
帰れると思うや頭痛は治まり、その気配も感じられない。
早くロアンを愛でようと足を弾ませボーインの娼館に戻ったのだが、顔を見せるなりミランダやキャトリン、リサたちが安堵の表情を並べた。どうしたのか訊ねると、
「――妙な連中が目付け始めた、か」
「その日は確かに妙な気配があったが、私が戻ったのに気付いてか風と共に掻き消えてしまった」
ふむ、と羅刹は腕組みして顎を揉む。
最近、女に乱暴な要求をする者が増えつつある。
買い出しに出れば、どこからか視線を感じる。娼婦に焦がれる者は多いが、ボーインやそこに務める奉公人、また古株のミランダたちには、それと違うものを感じていると言う。
「繁盛しているのを妬んで、だけではなさそうだな」
一度戻るか。その言葉を待っていたのか、ティナは腰に携える長剣の柄に手を添えた。
村人たちに後のことを任せ、羅刹とティナ、新たな手下となった餓鬼を連れてミズーラ域に戻る。
三日の途を経て戻った歓楽街は、確かに、重く異様な空気が漂っていた。
ティナもこれに気付いたのか、周囲の者が言いかけるのを聞かずに店へ。そしてすぐに視界に飛び込んで来た“惨劇の跡”に、誰もが立ち尽くしてしまう。
「いったい何があった」
怒気を孕んだ鬼の声に、顔中に青あざを残すボーインたちはすくみ上がった。
「暴漢が――」
店の奥から力ない声を上げたのはリサである。
頬に湿布を貼り、手足首に包帯が巻いた姿で椅子の上に座っていた。出来て間もない青あざの淵が、湿布の端から溢れている。
理由を話そうとするも、その時の恐怖を思い出したのか先を言えなくなる。代わりに奉公人が言葉を継いだ。
「突然、ホリーさんを殴りつけた輩がいたんです。歯を当てた、などと言いがかりをつけて――」
女たちに暴力を揮われることはままある。
それは先日まで、“鬼の口”であるボーインの娼館以外の話であった。
リサと同じことがあちこちの部屋から起こり、たちまち討ち入りの如き大げんかが勃発した。
奉公人たちは普段通りの、一人や二人の対応だと思っていた。しかし連中は用意周到に武器を隠し持ち、対応に追われる奉公人たちは逆に痛めつけられ、ボーインもまた鈍器などでボコボコに殴られる。刺された者もおり、下人が二名、奉公人が二名、落命したと話す。
また、そのドサクサに紛れ、シスターたちを複数で犯そうとしたり、燭台をベッドに投げて小火を起こすなど、やりたい放題。裏通りの連中が騒動を聞きつけなければ、娼館だけでなく、シスターたちも今頃どうなっていたか分からない、と力なく言う。
「ダンは、ガキどもの所に行こうとする奴とやり合い、刺し違えて……」
「何だと……」
それとティナさんを訪ねてきていた、と開いたまま部屋の一角に目をやった。
ティナはハッとして部屋に飛び込むや、そこから我も忘れた金切り声があがる。
『――ろ、ロアンッ!? ロアン、おいっ大丈夫か!?』
慌てて駆け込む後を追えば、そこにベッドの上に横たわる郵便屋・ロアンの姿が。
配達に来たのを待ち受けていたのか、それとも巻き込まれたのか、包帯が小さな身体を覆っていた。配達用カバンも、酷くボロボロとなっている。
「どうして……どうしてロアンが……」
ロアンは小さく顔を横に、僅かに唇を動かすだけ。ティナは布団に顔を埋めて肩を震わせた。
「――あーらまあ」
この中で唯一、緊張感のない声を上げたのは餓鬼であった。
「襲ってきた連中は犬、猿、雉でんすか?」
「お前、何を――!」
これに憤る奉公人だったが、羅刹の言葉がそれを抑えた。
「鬼のシマをつつくたァいい根性よ」
静かな声であったが、ボーインを始めシスターまでも、漂う物々しい気配に双眸を開いている。
「あっし、きび団子食ってみたいでんすが、男のお腰につけるのはチンタマ団子。あまり美味くなさそうでんすね。ま、口に入れたら火になっちまうんで同じでんすが、うけけッ」
「鬼も見落とし。俺の不始末だ。――餓鬼、くたばった敵連中の首持ってこい。地獄に堕ちる覚悟と根性をたたえ、礼には礼を持って、鬼の懇情を与えてやるとしよう」
「あーい、でやんす」
腹を抱えるように、ちゃかちゃかと爪を鳴らしながら建物の奥に消えた餓鬼に、娼館の者たちは、初めて新たな異形の存在に気付いたのだった。
◇
襲撃者の首がポーカン通りに並び、彼らの素性を知る者を探す。
その数は四つ。屋台の庇に、まるで吊るし売りをするかの如く、首がぶら下がる。
下にはまな板と“謎肉”と書かれた肉が売られてある。当然のこと、そこに近づこうとする者は誰一人とていない。
「ただの豚肉なのに、ここの奴らは挑戦するのを恐れすぎだ」
「羊頭狗肉ならぬ人頭豚肉でやんすのに」
うけけ、と笑う鬼の屋台は、酷い腐敗臭に退去命令が出るまで続けられる。
無論、羅刹は本気でやっているわけではない。鬼の管轄に手を出せばどうなるか、との見せしめるのが目的である。
おかげでミズーラ域外のゴロツキ風情は姿を見せなくなった。
あれから十日。娼館だけでなく、ティナの部屋までも荒らされていた。
しばらく部屋に戻れる状態ではないので、彼女は娼館に寝泊まりさせてもらいつつ、ロアンの看病にあたっている。
娼館もまだ営業できるものではなかったが、軽傷のシスターかつ一部の客にのみ、営業を行うことにした。一部の客とは、彼女らと惚れ合っている貴族の子――この事件をきっかけに、身請けしたいと申し出る者が現れたからである。
涙を流して喜ぶ女の姿は、娼館の中に華やいだ空気を取り入れてくれた。
「――ウチも足洗って、妾に納まろうかなって思っててさ」
路地裏の立ちんぼの一人が、羅刹にそう話しかける。
相手はシスターらの花散らしの日、ここまで同伴してきた父親の一人。昨日までその者に会いに行っていたので、事件を知ったのはついさっきのことのようだ。
「アッチもまだまだ現役だし、アタシもそろそろ腰を据えて――って、それは後にして、その人が『襲ったのはフランの街のゴロツキだ』って言ってたよ。ライコーンに酒場持っててさ、そこで『ミズーラ域を襲った』とか、自慢げに話してたんだってさ」
戻ってから、まさか、と推断したと言う。
「フランの街はのどかなイメージだったが」
「ぜーんぜん」
女は巻きたばこを咥え、近くに置いてあったランプの火を移す。
宙に向け細い煙を吐き出すと、ゆっくりと言葉を続けた。
「景観はそうだね。だけど人間はほど遠い、治政がよくないから博打と喧嘩と女を抱くしかないクズな連中が多いんだ。家畜のメスでさえ隠さなきゃならない、ってくらいね」
豚か人か分からない女ばかりだし、と嘲ると、いよいよ本題を切り出した。
「郵便屋をフクロにした連中の似顔絵見たけどさ、あれはフランのゴロツキの一人だよ」
「それは確かか?」
「娼婦は馬鹿だけど、しみったれとヘタクソの顔は覚えるのさ。あと絵が特徴を捉えていたしね」
「そうか――後でボーインの店に訪ねてくれ」
「いーよ、もうイイオトコに出会わせてくれたんだから」
ヒラヒラと手を振る女と別れ、羅刹は“フランの連中”について絞ってみる。
シスター・ロッティがパトロンとなった絵描きが男の一人を覚え、絵に描いていた。
それが襲撃者の“ほつれ”となったようだ。
。その直後、ロアンが連中に殴りかかり、返り討ちにされたと言う。
娼館に戻った羅刹は、ロアンの部屋から出てきたティナにそれを話した。
「勝てない相手に反撃に出たのは愚かだが、ガキんちょもなかなか男じゃねえか」
「当然だろう。私が目にかけたのだからな」
口元を緩めるティナに、お前の場合は意味が違う、と羅刹は釘を刺す。
ヘッディア村で葬式を挙げた名もなき女の死体は、ティナと間違えて襲われた女と推察される。その直後、連中はロアンを挑発――先に手を出したのは男の子から、との情報より、強姦・殺害し、更に侮辱されたことで怒った少年は、なり振り構わず殴りかかったのだろうと考えられた。
「しかし、一つ聞くのだが」
「何だ?」
「子犬は成犬になるぞ」
「……その時が来たら考える」
無責任な奴め、との言葉に、ティナは乾いた笑いをするしか出来ないでいた。
一つ咳払いをすると、正面に向き直り、これからについて話を切り出す。
「フランの連中が犯人なら、いつ報復に向かうのだ」
「そう焦るな。襲撃者のリストが出来上がってから、地獄を見る連中を絞り込んでからだ」
「まどろっこしいことを。西側の連中すべて滅ぼせばいいのだ」
「ぐわっはっはっ! 鬼を理解しつつあるな!」
「私はお前の主人。鬼を飼う女だぞ」
ティナも腕を組み、高々とした笑いをあげる。
実際それでいいのだが、まとめてやると鬼として面白くないのだ。




