3.収穫祭にもたらされた訃報
餓鬼は最も位が低い鬼の一種である。
獄卒に虐げられる存在でもあるのだが、一応は鬼のため、村人たちは餓鬼に抗えず支配されていたらしい。
「おらおら、今日も兄貴のために休みなく働け、働けぇいっ!」
農作業に出る村人の横で、餓鬼は木の枝を地面に叩きつける。
しかし、誰も聞いておらず、かわりに後ろにそびえる大きな存在に目を向けていた。
「疲れを感じたら適度に休め。断わりは入れなくていいぞ」
「そうでやんす! 兄貴の言う通り働きすぎは毒、休みは大事でんす!」
村人たちはみな腰巾着の餓鬼ではなく、新たな支配者である羅刹についていた。
ありがとうございます、そうさせていただきます、と丁寧に腰を折り曲げて田んぼへと向かう。今日は周りの雑草を引き抜くことになっている。
「まさかお前が米を作っていたとはな」
「兄貴が来るかと思い、稲作に着手させたんでやんす。この土地には小川があり、水が溜まりやすい地質でんしたから」
村に田んぼを作らせ、稲作に力を入れたのはこの餓鬼である。
山から流れるやや濁った水は豊かな養分を含んでいるため、他には畑で大豆を育て、今はたくあん用の大根までも植えているという。
「そんで去年採れた大豆で、これを作ったんでんす」
「ほお味噌か」
差し出された壺からひと匙、ぺろりと舐める羅刹にティナは露骨に顔をしかめた。
「よくそんな臭い、糞便みたいなの食えるな」
これに餓鬼は表情を一変、折れ曲がった身体で下から睨みあげた。
「あ? 兄貴の肉便器の分際で、俺様の――」
「ティナは俺の主人だ」
「――姐さん、これはあっしが作った味噌と言うものでんして、大豆を発酵させた日本伝統の保存食でんすでんす!」
ぺこぺこと変わり身の早い餓鬼に、ティナは眉を寄せた。
突然の来訪者、そして怪物に村人は困惑したものの、ミランダに用意してもらった紹介状が役に立った。手紙の差出人が知った名前であると分かった途端、彼らはすぐに態度を改め歓迎の意を表した。
宿がないので、代わりに村人の空き家の供出を受けた。
あばら家ではあるが、隙間風は少なく肌寒さをあまり感じない家である。しかしティナは寒いのが嫌いと言うだけあってか、屋内でも朱色のローブの下には同色のベスト、白い長袖のシャツを着込んでいた。
『今年の夏は弱腰だ』
羅刹にそう告げた明くる日から、村は冷たい長雨に見舞われる。
日数として五日。増水と稲への影響が案じられたものの、幸いその後から晴天を迎えられ、すっきりとした天高い秋の空の下、農民たちは活き活きと農作業に飛び出して行った。
羅刹も伴い、あれこれと指示を出す。
そんな光景を、建物の縁側に座るティナは、暖かい日差しを受けながら眺めていた。
「あれを見てると、悪魔とは程遠いな」
「鬼でやんす。まぁやることは悪魔でやんすがね」
「ああそうだったな。……しかしお前の国の怪物はややこしいぞ。羅刹の言う鬼とやらの悪事は、過程に悪さがあるようにしか感じないのだが、暴虐などの悪さはしないのか?」
「へ? 鬼はバリバリやりやすが、兄貴は鬼でも――」
餓鬼は言いかけ止めた。羅刹に呼ばれ畑に向かったからである。
ティナも特別気にした様子もなく、こめかみを揉みながら、ミズーラ域・ライコーンの街がある方角に視線を移した。
「う、ぅむ……長雨で気温が下がったせいか?」
ずんと重い頭を支える。
ここ最近、頭痛を覚えることが多い。前触れがないため、一緒にいる孤児たちにも余計な心配をかけてしまうこともままある。それに今日は、ずきずきとうずくような痛みだ。
「ここにおっても暇であるしな」
飽きてきた。
医者に診てもらうのを口実に、稲刈りが終わるまでミズーラ域にいようか。
ああ、またファンレターが来ているかもしれない。それを届けてくれる者・ロアンに会って――そう思うと、ティナの腹の底にある女が空腹を訴え、疼く声を上げていた。
◇
調子が悪い、とティナがミズーラ域に戻ったのは三週間前。
山はすっかり秋の色に染め、村も吹き下ろし風に塗り替えられてゆく。おおきく頭を垂れた稲穂は刈り取られ、米を取り出す作業が始まっていた。
雀らしき鳥が溢れたそれを啄ばみ、腹を満たして飛び去ってゆく。
「五十俵ってところだな」
なかなかの数字ではあるが、これで村の生計を立てるには少し厳しいだろう。
「兄貴、姐さんはまだ戻らないでやんすか?」
「さあ知らん。いつもの病気の薬を飲むだけだろうし、そろそろ戻ると思うが。何か用事か?」
「酒を造ろうかと。初収穫のをハミハミしてもらいたいんでやんす」
「ああ、噛み酒か」
巫女が米を噛み、それを種にして作る酒である。
清い身のそれは尊いとされてきたが、ティナがそうかと思うと首を傾げてしまう。
「どうしたんでんす?」
「……いや、噛ませるならこの村の生娘にさせる方がいいだろう」
「そうでやんすね。じゃあ早速、米を炊くついでにやらせてみやす」
一礼して、のっすのっすと駆けてゆく。
餓鬼はどこからか仕入れてきた三十本の苗を、五反の田んぼいっぱいに広げていた。
縁には下手な木彫りの仏像を置いてあることから、自身が飢えないようにとのことだろう。中々よくやったものだと感心する。
それからしばらくすると、懐かしい米の香りが村に漂い始めた。
空腹を覚える匂いに期待を覚えた、まさにその時――。
『た、大変だァーッ!?』
村の外から若い男が必死の形相で駆け込んでくる。
用事でミズーラ域方面に出ていた者だ。
並々ならぬ様子に何があったかと訊ねると、息も絶え絶えに、羅刹を見上げながら叫ぶように告げた。
――ティナさんが殺された
信じがたい訃報に、村中が騒然となった。
◇
男が言うには、この村から半日ほど先にあるあぜ道の下。朱色のローブを被せられた女が、茂みの中に倒れていたと言う。
強姦されたのだろう。身ぐるみはすべて剥がされ、股ぐらには乾いた男の精がこびりつく死体が転がっていた。
酷く殴りつけられたせいか顔は崩れ、腐敗も酷くて分からない。金髪で背格好は確かにティナに近く、朱色のローブにも覚えがある。
儚いものだ、と羅刹は死体を哀れみ、片手で拝む姿に村人全員が確信を持った。
遺体は村の外れに埋葬された。
収穫の喜びは一転、村は死の気配に覆われている。
「何妙法蓮華――」
埋め戻した土山の前で餓鬼が経を上げる。
上には無名の墓石が一つ。線香代わりの炭が燃え、その前には椀に盛られた新米が置かれている。
『あんな明朗だった人がどうして……』
村人がひそひそと話す。
短い期間、それもあまり関わりがなくとも存在感を残す人物のようだ、と羅刹は片手で拝みながら思っていると、
『おい、どうして村に誰もいない――な、何だ、誰か死んだのか!?』
存在を思い出させる声に村人たちが振り返るや、絶叫に近い悲鳴を上げ、慄き、尻餅をついた。
「んー……解散っ」
餓鬼の声で、全員が青ざめた表情を残しながら戻ってゆく。
突然現れたのは何と、今まさに悼まれている人物・ティナ本人だったのである。
残されたティナは何だと慌てていたが、
「――何で私の葬式なんてするんだ! こんなにピンピンしてるだろう!」
羅刹より事情を聞くや、顔を真っ赤にして憤りだしていた。
「着ていたものや背格好が似ていた」
「どこでも売ってるものだろうが! それに背格好が似たものも山ほどおるわ! と言うか、悪魔か鬼か知らんが、シャーマンのように死霊を喚ぶことぐらいできるだろう!」
「だって、死してなお文句言う霊とか最強に鬱陶しいし」
目を釣り上げるティナをよそに、羅刹は名前もない墓に目をやり、箸の片方が突き刺さったご飯を持ち上げる。
「この名無しの女も、あれだけの数に悼まれたら満足だろうよ」
「人の話を聞けッ! そもそも私が賊に遅れをとることなど――」
口元に笑みを浮かべ、米を食べながら去る羅刹の後ろで、ティナはずっと地団駄を踏んでいた。




