2.対極の指導者。そして転生せしもの
そのような騒動から数日。
寮の中庭を抜けようとするティナの視界の端に、男がナイフを振っている男の存在に気付いた。
ダンと言う三十を超えている中堅の奉公人だ。
坊主頭が特徴で、労働では決して身につかない筋肉がついている。向こうも気付いて腕を止め、ティナに向き直った。
「すまぬ、邪魔をした。気にせず続けてくれ」
「いいってことよ。それよかコレ、結構サマになってきたろ?」
ダンはそう言って、ひゅっ、とナイフをひと突きしてみせた。
「うむ。しかし腋をもう少し締めた方がいいだろう」
「む、そうか?」
そう言って、今度は自身の身体の動きを確かめながら腕を振る。
先ほどとは違う、高く鋭い音がした。これにはダンも驚き、同じ動作を何度も繰り返す。
「やっぱティナは騎士なんだな。一瞬で悪い所見抜くんだから、すげーよ」
「私に出来るのは剣を振ることだけだけだからな」
「子守も、だろ」
目尻を下げ、寮を見上げる。
つられて見上げると、窓に孤児たちが集まっていることに気づき、ダンと揃って手を挙げた。満面の笑みを浮かべ、手を振る子供らを見ると自然と口元が緩んでしまう。
「へへっ。柄にもねえが、あのガキどもの顔を見てると気合い入れなきゃって思うぜ」
「まったくだ。守ってやれるのは我々だけだからな」
ダンは元々裏通りのゴロツキで、人殺しも厭わない男だった。
ボーインに用心棒を兼ねてスカウトされてから十八年、まさか娼館で子供たちの面倒を見ることになるとは、夢にも思わなかったようだ。
ティナはこれまで、子供たちの剣の鍛錬につき合う姿や、一緒に水浴びをするダンの姿を何度か目撃している。その時の表情はいつも、普段のむすっと愛想のないものと違い、柔和なものだ。
今も同じ表情になっているのに気付いているのだろうか。そう思うとティナの顔も自然と綻んだ。
それに気付いたダンは恥ずかしそうに顔を引き締めると、そういえば、と話題を変えた。
「前によ、イチモツ切り落とそうとした奴いたろ?」
「ああ、あの絵描きか。芸術家の行動は度しがたいものだな」
「この前、謝罪に来たらしいんだがよ。その当事者の女――ロッティだったか、淫らな私の絵を描きなさい、その絵を買います、って啖呵切ったようだぜ」
なんだと、とティナは目を瞠った。
『修道女には禁欲の教えがあります。――しかし私はそれを破っている。正直に言えば、私はお尻の穴を舌でほじられ、後ろから犯されるのが気持ちよくてたまりません』
『貴方が私を描けないのは当然です。堕落しきった私に“美”など、もはやないのですから。見いだせるものなら、見いだしてごらんなさい。そして暗澹たる地の底に堕ちた私を、救ってみなさい』
気の強い彼女ならではの援助方法だ。
娼館に通う金を援助すれば、彼はそれに甘えてしまう。あえて自ら“淫らな女の絵”を注文することで、彼に描く機会と使命、そして救済を与えたのである。
ヒンチはこれに拳を固く握り締め、絶対に見つけ出します、と言葉を震わせながら決意を告げたと言う。
「路地裏の立ちんぼには言えねーよ、あんな言葉」
「奴の美を追求する姿が、それほど本気だったのだろう」
ロッティらしい、と言い添えたティナは、じっと顔を見つめられているのに気付いた。
「イチモツを切り落とす姿を見せたら、お前が本気か考えよう」
「ちぇっ、突っ込むモンがなきゃ意味ねえよ」
やれやれと首を振るダンに、ティナは高笑いしながら寮に入っていった。
◇
風に冷たさが混じる。いよいよ夏が終わりを迎えようとしていた。
羅刹はこの日、子供たちの秋冬ものを調達中のティナを捕まえ、米を作っている所はどこか、と訊ねていた。
「米? 確か……東南のヘッディア村だったか。数年前より水田を作っているらしいが」
「そこは遠いのか?」
「ここからだと三日半ぐらいだ。訪ねる理由がないので詳しいことは知らないが。なんだ、米が必要なのか?」
ぼりぼりと頭をかきながら、米で作った酒や米そのものを食べたいことを明かした。
「ふむ。なら訪ねてみるとするか」
「いいのか?」
「闘士のわがままを聞くのも主人の役目。ボーインの娼館も繁盛し、私自身にも利益を受けられているしな。それに実を言うと、米と言うのを食ったことがない」
ニッと笑みを浮かべると、ティナはその翌日から準備に取りかかった。
とは言え、ボーインに休みを申請するだけである。理由を訊ねられ、ヘッディア村にゆく旨を告げると、
横でそれを聞いていたミランダが突然、ああそうだ、と思い出し声をあげた。
「馴染みの客に、ヘッディア村から来てる男がいるよ」
辺鄙な農村だ、と言っていたのを思い出したらしい。
行くなら紹介状を持って、どこか寝泊まりする場所を用意してもらうべきだ、と彼女は提案した。
特にいらないと言いかけたものの、あっても損はしないだろうと思い、その客が来るのを待った。
しかし、そう言う時に限って来ないもの。
十日後にようやく出発できたのだが、こんなことならば、と唇を尖らせた。
ミズーラ域から更に南東に進んだことはない。砂利道の両脇は急斜面となっていて、背丈ほどの雑草がそれに剃って伸びる。建物が減るにつれ平野が広がりを見せ、代わり映えのないあぜ道だけの光景が続いた。
目的の外観が見え始めたのは、三日目の朝のことであった。
「ほーっ、ここはまた懐かしい風景だ」
「も、木造の住宅だと……? いや、それよりも……」
ティナは立ち尽くしたまま、まばらに並ぶ平屋の建物を眺めていた。
北には紅葉で赤く燃えるトレガン山脈が、そこから目を水平に向ければ黄色の稲穂が垂れる。
そこから視線を横にすると、緑の雑草で飾られたあぜ道が延び、灰色か黒色か分からない、木の板を立て並べたような建物が置かれている。
都会育ちのティナは信じられず、震える手で村を指差した。
「賊か何かに襲われ、一時的にここで避難生活しているだけだろう……?」
「百姓にフクロにされるぞ」
羅刹が先に進んだのを見て、ティナも困惑しながら追いかける。
突然の鬼の来訪に村人は驚愕するだろうな、と思っていたが、いざ遭遇してみると拍子抜けするほどあっさりしていた。
いや、驚いたことは驚いた。しかし異形のものがまた現れたような、そんな反応である。
自分以外にもタブレットから出た者がいるのだろうか。そろそろ人間の手下ではなく、同類の手下が欲しいと思っていたところだ。
羅刹はそんなことを考えながら、人の集まっている田んぼへと向かう。
「――うけけけっ! おめぇら、今日もしっかり働け働けぇい! 俺様の『餓鬼転生~元社畜SEのおっさんが現代知識で無双する~』の序幕なんだからよぉ! うけけけっ!」
田んぼの縁の上に“それ”はあった。
血色の悪いような薄紫の身体。やせ細っているのに腹だけ膨らんでいる。角が二本生え、下顎が突き出した醜悪な怪物顔が、農民に厳しい統治を敷いている。
身体が小さいように見えるが、それは背骨が折れ曲り“くの字”になっているからのようだ。
「うけけけ! 仏に感謝感謝、支配者のいないこの世界は最高――」
「何だ、餓鬼じゃねえか」
振り返ると、
「鬼上司来るのやめてよォ……」
先ほどまでの威勢はどこへとやら。
餓鬼と呼ばれた小さな鬼は、絶望を露わにしながら崩れ落ちる。




